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Various Artists"Equidity Funk"(Traffic TEG 3321)2009

equidityfunk.jpg

"Equidity Funk"は'09年にアメリカのトラフィック・エンタテインメントから
リリースされたコンピレイション。選曲者のクレジットはなく、トラフィックの
スタッフが選んだものと思われます。

ライナーも無く、中ジャケは個々の曲のオリジナルのレーベル写真が小さく載って
いるのみ。これは以前スーパー・コパースプーニー・ジーを紹介した時に名の
あがった伝説のプロデューサー、ピーター・ブラウン("Dance Wit Me"等のヒットで
知られる白人ディスコ・シンガーとは別人)のレーベルから出た曲のうち、ファンク度の
高い曲を集めたコンピになります。

ライナーの素っ気なさを逆手に取って今回はピーターの経歴を調べてみようと
思ったのですが、ろくなデータが無い…彼のレーベルの中では最もメジャーだった
P&Pで彼とタッグを組んでいたパトリック・アダムスに関してはインタビュー
記事等が出てくるのですが、基本的にはレーベル・オーナーで音作りにタッチすることは
無かったピーターについてはあまり興味が持たれてない、ということですかね。
「激レアなディスコ~ガラージ系やオールドスクール・ヒップホップの12インチを
多数リリースしていた謎のインディ・レーベルのプロデューサー」みたいな説明に
終始していることが殆どでした。

数年前に、ピーター関連の音源を網羅したコンピ"P&P Records Hits Hits Hits"が
リリースされた際の特設サイトにピーター自身が生い立ちを語る長尺のビデオが
上げられているのですが、お年を召した方のためなかなかのフガフガぶりで何を
言っているのかさっぱりわからず、2分ほどで断念(泣)。困ったあげく手持ちのCDを
いろいろと調べてみたところ、'02年に出たオールドスクールのコンピ"Super Rap"
経歴らしきものをようやく発見出来たので、今回はこちらを元に書いてみます。

ピーターはジョージア州アトランタの生まれ。生年は明らかにされていませんが
'40年代の後半と思われます。10代後半にレコード・ビジネスに憧れてシカゴに赴き、
そこで出会ったのがヴィージェイ・レコードのオーナー/プロデューサーのカルヴィン・
カーター
。カルヴィンに「いいレコードを作ったら俺のレーベルでディストリビュート
してやる」と言われ、さっそくピーターはシカゴ市内でとあるゴスペル・グループ
(名前不明)をスカウトしてレコーディング、テープをヴィージェイに持ち込んだところ、
レコードがリリースされたとのこと('61年頃)。

その後ピーターはデトロイトに移り、ベリー・ゴーディ・Jrの父"ポップス"ゴーディと
親交を深めます。そこからモータウンとの繋がりが出来て、同レーベルのスタッフとも
接触するようになり、レコード・ビジネスの内情を知るようになっていったそうです。
そしてようやくニュー・ヨークへ。それまでは主にレコードのプロモーション業を
行っていた彼は、その頃から自分のレーベルを持ちたいと考えるようになり、
ポール・ウィンレイや(まだブルーズ/R&B系だった)ファイア~フューリー・レコーズの
ボビー・ロビンソン、またベル・レコーズのスタッフ等から全国規模にレコードを
配給するためのノウハウを学んだとのこと。

彼の制作した初のレコードはチャールズ・ウォーカーというブルース系のシンガーで、
曲はマディ・ウォーターズの"40 Days & 40 Nights"のカヴァー('71年ごろか?)。
その制作でレコーディングのプロセスも学び、つづいてはP&Pレーベルを設立して
フレイム&ザ・ソンズ・オブ・ダークネス(後のリズム・メイカーズ~GQ)のシングル
"Solid Funk"('72年)を発表します。この曲のプロモーションでフロリダやナッシュヴィル、
ボルチモア、そしてNYのラジオ局を廻った結果、ヒットに繋がったそうです。

'75年ごろ、ピーターはロニー・ジョンソンなる人物の仲介でプロデューサー/
ソングライターのパトリック・アダムスと出会います。トゥデイ・レーベルとの
契約でもめてホされていたパトリックはピーターに接近、当時パトリックが
制作を手伝っていたフォー・ビロウ・ゼロというグループのシングル
"My Baby's Got E.S.P."をピーター経由でルーレット・レコードと契約させ、
そこから二人のタッグが本格的に始まります。ピーターはP&Pをルーレット傘下に
移して配給を安定させ、レーベル運営も軌道に乗るようになっていきました。

資金繰りやレコードのプレス、プロモーション等はピーターが、そして音楽の
制作はパトリックが担う両輪体制が出来てリリースも加速、'76年にはパトリックの
変名プロジェクト、クラウド・ワンの"Atmosphere Strut"がディスコを中心に
ヒットを記録します。これではずみがついたピーターは'70年代後半から
ものすごい勢いでディスコ系のシングルをリリースするようになります。
売れっ子になったパトリックの代わりにレコード制作にはマイケル・キャンベル
ゲイリー・デイヴィス(ジャズ・オルガニストのリチャード・グルーヴ・ホームズの甥)
をスカウトし、自らはNY周辺のレコード店を直接セールスして廻り、日銭を
稼いではそれを制作資金にあてて、夜はクラブ等で新人をスカウト…という
繰り返しで膨大な量の12インチが作られたそうです。

'79年には「ラッパーズ・ディライト」の大ヒットをうけてピーターも
スプーニー・ジーをスカウトし、ヒップホップの市場にも参戦。ラヴバッグ・
スタースキー
(当時はリトル・スタースキー)やバーナード・トーマス等の
初レコーディングもピーターのレーベルからでした。

このコンピは12曲入り。レーベルもランド・オブ・ヒッツ、ヘヴンリー・スター、
ゴールデン・フラミンゴ、ジョージア・ピーチほかバラバラですが、全て
ピーターのレーベルなのでレーベル毎の区別は意味がありません。音もエレクトロ・
オンリーではなく、ファンク~ディスコ、生演奏のディスコ・ラップのほうが
中心。詳しい曲目はこちらを参照してほしいのですが、オリジナルの12インチは
レアなものばかりです。アルバム・タイトルにもなったミスタファイドの曲は
コレクターのウォント・リスト常連のレア盤ですね…エレクトロ好きが注目する
のは私も好きなスーパー・コパーや曲名が気になるスタックスの"New York
Computer Break Dance"あたりか。前述の"P&P Records Hits Hits Hits"を買えば
全部揃ってはしまうのですが、オールド・スクール好きなら押さえておきたい
内容でした。



peter_brown01.jpg
ピーターのお顔はこんな感じ(V/A"Sounds Of New York,U.S.A."のライナーより)。
こちらの掲示板のイアン・デュウハーストのコメントによると「見たまんまの人」だそうです…




スタックス"New York Computer Break Dance"




ミスタファイド"Equidity Funk"





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クロい音楽全般が好きなのですが、 ここではエレクトロとオールド・スクールの アナログ盤に絞って紹介していきます。

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