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Power Jam"N.Y.C."(Mega MGA 2281)1985

powerjam.jpg

パワー・ジャムはNY出身のセッション・ミュージシャンである
ベン・マーギュリーズ(Ben Margulies)とスコット・マーティン
(Scott Martin)によるプロジェクト。この名義ではこのシングル1枚
だけしかリリースしていません。

ベンは十代の頃からドラムの名手として地元NYでは話題を集め、
クラブでのパフォーマンス~スタジオでのセッション・ミュージシャン
としてキャリアをスタート。'83年にはニュー・ウェイヴ系グループ、
コマティーンズのライブ時のドラマーに加入し、知名度を徐々に
上げていきます。翌年には(こちらもセッション・シンガーとして
長い経歴を持つ)フォンジー・ソーントンのセカンド・ソロ"Pumpin'"
ドラム/プログラミングで参加。その他にもクレジットはされていない
ものの、数多くの録音/ライヴに関わっていたようです。

スコット・マーティンはジャズ畑出身のキーボード奏者。彼も
スタジオ・ミュージシャンとしてキャリアを積んできた人物で、
E,W&Fや元シカゴのロバート・ラム、カーリー・サイモン等の
レコーディングに参加してきたそうです。またブロードウェイ・
ミュージカルの音楽監督も何度かつとめたとのこと。

この二人がどういった経緯で知り合ったのかは不明ですが、スタジオや
ライヴの現場でちょくちょく顔を合わせる間柄ではあったのでしょう。
二人とも生演奏だけでなく、打ち込みやシンセ類の扱いにも慣れて
いたため、スタジオでの遊び的なところから今作が生まれたのでは
ないかと思われます。"Pumpin'"の翌'85年にディスコ系のレーベル、
メガから発表されたのが今作です。

作曲/プロデュースはベン&スコットの二人。ミックスのトミー・
ムストとマット・ノーブル、エディットのトミー・ソッツィは当時
メガや25・ウェスト等のレーベルでダンス/エレクトロ系の作品に
多数関わっていた人物です。メンバーを含めてスタッフ全員が白人で、
ヒップホップ系のクラブの現場から上がってきてレコーディングに
至った、というパターンでは無いことがわかります。

エディットされたサンプリング・ドラムの連打からはじまり、DMXが
ミディアム・テンポのビートを刻み、キラキラしたシンセのリフレインが
のります。つづいて正体不明の二人の男性がラップを始め、あどけなさが
残る声ながらNYがどれほどヒップな街かをアピールしていきます。間に
短くシンセのソロを挟みながら二人の掛け合いラップがつづき、その後
ハード・ロック風ギター/DX7のベースが加わります。この辺りから
エディットの比重が大きくなっていき、シンセのリフやドラム・ソロ、
オーケストラ・ヒット等が激しくエディットされながら鳴らされます。
ラップやドラム類が抜けてシンセだけが流れる中で終了。

二人のラッパー(彼らが実はパワー・ジャムというグループ本体?)に
関するクレジットが一切無いのが困ってしまうところです。写真を
見た感じでは、ベンやスコットがラップをするタイプにはとても見えないし...
マット・ノーブルは、この頃シングル1枚だけのヒップホップのグループを
多数手掛けているので、彼の子飼いの無名のラッパーをノン・クレジットで
おだてて参加させたのかもしれません。その辺の不透明さを除くと、
エディットも派手にキマったなかなかカッコ良いエレクトロでした。

この後のベンは、以前からの知り合いだったマライヤ・キャリーの
デビュー作に曲を提供して成功をおさめ、現在は自らのスタジオを
運営しているようです。スコットはジャズ畑に戻り、デンバーを
拠点に自らのピアノ・トリオを率いて活動しています。



最近のベン↓   
ben.jpg


とスコット。↓
scott01.jpg
この二人が「オレらも若い頃はBボーイだったんだぜぇ」とかいう
タイプだったらちょっと驚きます(笑)が。




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VSF"Velocity,Speed And Force"(Dunk Yer Funk! DYF 012)1988

velocity.jpg

VSFは'80年代後半にLA在住の3人のヒスパニック系アメリカ人に
よって結成されたグループ。メンバーはホセ・ヒメネス・Jr.
(Jose Jimenez Jr.)、サム・ヘルナンデス(Sam Hernandez)と
サンティアーゴ・ヒメネス(Santiago Jimenez)です。

三人は幼なじみで、子供の頃は地元にふたつあったアーケード街を
繋ぐ道路にゲットーブラスター(大型のラジカセ)を置いて、エレクトロ~
ファンク~イタロ・ディスコ~ニュー・ウェイヴ等の曲を大音量で
鳴らしながら盛り上がっていたそう。'83年当時はジョンザン・クリューの
"Pack Jam"、サイボトロン"Clear"、マジック・マイク・クリューの
"Magic Mike Theme"等を聴いてブレイクダンスを踊り、手を打ち
足を鳴らして大騒ぎだった...とのこと。

それが翌年になり、ブレイク・マシーンの"Break Dance Party"を聴いた
頃から三人は違和感を感じるようになっていったそう。エレクトロ系の
音作りがポップス系の曲にも取り込まれて軟弱になり、子供向けのTVのCMでも
その手の音が聞こえてきたり、ジャズ・ダンスの教室でもエレクトロの
クラスが開かれるようになる-といった事態に及んで、三人はかなり落胆した
そうです。

そして、三人は「ヒップな音楽」だった頃の自分たちのエレクトロを取り戻すために、
自らもレコーディングを始めます。彼らは自作したシンセは持っていたものの、
ドラム・マシンが無かったため、初期の頃は既成のリズム・トラック(ウィルスデン・
ドジャース
の"Jive Rhythm Tracks"みたいなものか?)が入ったレコードをテープに
録音して編集でループ化し、それをアセテートのアナログ盤に落としたものを
プレイヤーで再生しながら同時にシンセの演奏をかぶせて録音していたそう。
そんな形で何曲か完成はしたものの、コネも財力も無かったため、当初はその
音源が世に出ることはありませんでした。

悶々とした状態が数年つづき、世間ではギャングスタ・ラップやマイアミ・ベースが
流行りはじめていた頃、ホセはオーディオ・テック(当時はモデル500のメンバーとして
活動していたホアン・アトキンスのソロ・プロジェクト)のシングル"I'm Your
Audio Tech"('87年)に衝撃を受け、自分の音楽を出すなら今だ!と決意。彼らは
JDCレコード(ナイツ・オブ・ザ・ターンテーブルスをリリースしていた会社)に
デモ・テープを送り、テープを気に入ったJDC側は傘下のダンク・ヤー・ファンクから
シングルをリリースすることを決定します。

素人同然だった彼らはその後のプロの環境でのレコーディングにも相当苦労したようですが、
なんとか今作を完成し、'88年にようやく発表にこぎつけます。プロモーションのため
幾つかのクラブでもパフォーマンスを行ったりもしたそうですが、観衆の反応は薄く、
結果としてレコードは3,800枚しか売れず、JDCに多くの返品が戻ってきたとのこと...
'88年ではたしかにもうエレクトロは古めかしい音楽としてしか聴こえないものだった、
ということかもしれません。その後エレクトロ好きたちによってこの曲が「再発見」され、
プレス枚数の少なさから余計に人気が高まっているのは皮肉な話です。

今作の作曲/アレンジ/プロデュース/演奏/ミックスはメンバー自身。エンジニアリングに
ナイツ・オブ~のチャールズ・ラモントが加わっています。

ピッチ変更した超低音の声がグループを紹介し、カウントダウンとサイレン音につづいて
アップ・テンポの打ち込みビートがスタート。短くヴォコーダーが入った後シンセ・
ベースが加わり、低くウネる中をシンセがメインのメロディを弾いて曲が進んで
いきます。ヴォコーダーやオーケストラ・ヒット、ハンド・クラップ/スネア連打等を
随所に交えながらインスト中心に曲は進み、終盤にスペイン語のナレイションが
入って終わります。

SFアクション映画のテーマ曲のような、テンション高いアップ・テンポのインスト。
ちょっとポール・ハードキャッスル「19」にも通ずる下世話さもあって、個人的には
今イチでした。ジャケに貼られたステッカーには「ハイ・テック・ラテン・ファンク・
ジャム!」と書いてあるのですが、ラテン色は殆ど感じられないのも不満です...
B面の"Look At The D.J.'s"は、シンプルなTR-808のビートをバックに、メンバーが
ラジオ/クラブDJたちに謝辞を述べる曲なのですが、9分間殆どただ人の名を読み上げて
いくだけのあまりにも淡々とした展開...なかなかブッ飛んだ感覚の方たちのようです(汗)。








レコーディングの模様を記録した貴重な映像。イントロのナレイションを録音するメンバー、
キーポードに向かうホセ、リズム・トラックにリアル・タイムでシンセをかぶせる様子、
ミキシング~2か月後のマスタリング、レコードが完成してご機嫌なメンバー...等が映っています。

The Invinceables"Kong In The City Of Doom"(Success 31026)1984

konginthe.jpg

"Kong In The City Of Doom"は'84年にリリースされた、
ジ・インヴィンシーブルス(≒マイケル・スターリング)の最初の
シングル。マイケルの経歴に関しては、以前"Bet It Up"
紹介した際に書きましたので、そちらをご参照ください。

作/プロデュース/アレンジ/演奏/ミックスは全てマイケル自身に
よるもの。エンジニアの一人にこの後リミキサーとして名を上げる
キース・コーエンが参加していますが、彼もスタートはマイケルの
アシスタント的なポジションだったのでした。マスタリングの
マイク・フラーはクライテリア・スタジオを中心に多数の作品を
手掛けている人。マイケルを中心としたマイアミ人脈で固められた
レコーディングであることがわかります。

今作は、本来唄ものソウル系のアーティストであるマイケルが
初めてエレクトロ/ヒップホップ的な音作りに挑んだ作品のためか、
習作的な色合いが強く、お手本にしたと思しき過去のレコードからの
引用やアレンジの模倣がはっきりと聴き取れるところが面白いです。

ヴォコーダーが"City Of Doom~"と唄い、ティンパニがドンガンと
派手に打ち鳴らされた後、DMXのビートがスタート。男性が軽薄な
トーンで煽り、ガヤがそれに応えるように叫びます。エレクトロ感を
強調するビコビコのシンセ・ベースが鳴り始め、モリコーネの
「夕陽のガンマン」の口笛やソル・ブルームの"The Streets Of Cairo"を
引用した中近東風メロディをシンセが奏でます。つづいて力強い
男声コーラスが"Rock'N'Roll Is Our Law,See Ya Soon in The City
Of Doom! Rock! Roll!"と宣言するように唄い、その後「プラネット・
ロック」
風のMCポッピンでラップが始まります。合間にヴォコーダーや
電話のSEを交えながらラップがつづきますが、終盤にラップが抜けて
突然転調し、ヴォコーダーとシンセがホラー映画風にソロを取りながら
フェイド・アウトします。

妙に軽いシンセのフレーズにはガーション=キングスレイの"Popcorn"の
ような'60年代のムーグ・インストの名残も感じます。それと対照的に
オトコ臭いコーラスにはロックマスター・スコットの"The Roof Is On
Fire"を連想したのですが、これは曲のテーマからして狙ったマッチョさ
なのかもしれません。ループ感が薄く、メロディが聞き取れる展開、
ラップは入っているけどヒップホップ度は低い-といったところから
個人的にはそれほど好きではないのですが、エレクトロ狂の間では
やたらと人気が高い...マイアミ産にしては音が完成されていることが
意外に思われているのかもしれません。



Goldie"Crack Kid"(Real Def RD 2000)1986

goldie.jpg

ゴールディは'86年のこのシングル一枚で消えてしまった女性ラッパー。
レーベルの住所からしてブロンクスの出身と思われますが、経歴も、
本名すらもわかりません...

ゲスト参加している「ヒューマン・ビート・ボックス・キング」、
ラモント"ケンドゥ"ジェームズ(ゴールディの甥らしい)もレコーディング履歴は
この一枚のみ。プロデュース/作曲のロバート・ジェームズは
クラウン・ハイツ・アフェア等と関わりのあったキーボード奏者、
コ・プロデュースのゼドリック・ターンバウはジャズ~ロック~R&Bと
幅広くレコーディングに参加しているヴォーカリストです。
ややR&B~ポップス寄りの人脈で作られたヒップホップという感じで
しょうか。

曲名にもなっているように、今作は当時話題になりはじめていた麻薬の
一種、クラックの問題を取り上げたもの。メリー・メルの「ホワイト・
ラインズ」等と同様に、「ドラッグには手を出しちゃダメ!」と訴える
真面目な内容です。クラックが登場したのは'84年ぐらいらしいので、
そろそろ社会問題として浸透してきたということなのでしょうか...

イントロからエコー&ディレイのかかった声でゴールディがしゃべり出し、
つづいてDMXがミディアム・テンポのビートを刻み、シンセ・ベースが
プニューと唸ります。アレンジの感じはファブ・ファイヴ・フレディ
"Change The Beat"
風。つづいてダミ声の男性が登場し、気味の悪い
トーンで煽ったところでゴールディのラップへ。ビートがラン=DMC
"Sucker M.C.'s"
調に変わって、「クラックはあなたの健康を蝕む薬、
かつては健康だったのに、今では...」というように語り出し、つづいて
ルーディ&ジュディという男女の物語へと変わっていきます。サビでは
ダギー・フレッシュ風(だけどかなり下手)なヒューマン・ビート・ボックスが
入り、その後はゴールディのラップ/ヒューマン・B.B./シンセ・ベースが
三つ巴で絡んで曲が進んでいきます。終盤はゴールディが"Leave That
Crack Alone!"と繰り返しながらフェイド・アウトしていきます。

これが'83年作だったらそれなりにカッコイイと思えそうなのに、どうも
音が借り物ぽくてパッとしない...ヒューマン・ビート・ボックスが
私にも出来そうなぐらい下手(笑)なのもガッカリ感に拍車をかけています。
けっきょく詞のネタのトピカルさだけがウリ、ということですかね。



プロフィール
クロい音楽全般が好きなのですが、 ここではエレクトロとオールド・スクールの アナログ盤に絞って紹介していきます。

KDMX

Author:KDMX

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