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Deuces Wild"Hard Is Hard"(Turngold TG 005)1986

hardishard.jpg

"Hard Is Hard"は'86年にリリースされたデューシズ・ワイルドのデビュー曲。
彼らはアストン・テイラー・Jr.、デリック・キーズ、ティト・ナベドの3人組です。
この前年にデリックとティトのMC二人がリコシェ・アンド・センティピード
(Ricochet And Centipede)の名義でシングルを出していたのが、そこにDJの
アストンが加わってデューシズ~に発展したようです。

このころの3人はまだ無名の存在ですが、このうちの二人は'90年代に入ってから
名を上げることになります。アストンはDJのファンクマスター・フレックス、
デリックはソロMCのナイン(Nineまたは9mm)として活躍することになるのでした。
ヒスパニック系と思しきティトだけは消息不明です...

フレックスは'68年ブロンクス生まれ。父親は地元では名を知られたDJで、
フレックスも幼少の頃からサウンド・システム~DJに馴染んでいたそう。16歳の
時に地元のクラブで自分もDJを始め、その後同じブロンクス出身の有名DJだった
チャック・チルアウトのレコード・ボーイをつとめることになります。同じ頃ナインとも
知り合いデューシズを結成。師匠のチャックのプロデュースでさっそく制作されたのが
今回のシングルです。チャックは既にB-ボーイズのメンバーとしての作品は
何枚も発表していましたが、外部のアーティストのプロデュースは今作が初めてです。

スタートと同時にハード・ロック調(AC/DC?)のギター・リフがスクラッチで繰り返され、
同時にドスの効いた男性のラップが入ります。DMXのドラムがアップ・テンポのビートを
刻み、エレクトリック・ベースが重く絡む中を2人の男性が激しく掛け合いでラップして
いきます。間奏で声ネタが細かくスクラッチされた後は再び掛け合いラップに戻り、
その後は声ネタのスクラッチとラップが交互に展開。終盤は曲名の"Hard"の声ネタに
様々なエフェクトをかけられて連呼されながらフェイド・アウト。

ハード・ロック系のギター使いにはLL・クール・Jの"Rock The Bells"の影響を、
ダミ声の男性の掛け合いという部分にはラン=DMCの影響を感じさせる音で、DMX等を
使いつつもエレクトロというよりはデフ・ジャム周辺のよりハードコアな音を狙って
いるのがわかります。スクラッチもフレーズをより細かく刻んでコスっていて、
聴き終えて印象に残るのはラップとスクラッチのみ。NY周辺ではほぼこの頃には
旧来の「エレクトロ」は死滅してしまった、ということなんでしょうね...

彼らはこの後2枚のシングルを発表しますが、'88年ごろ解散。各々がソロで活動
していくことになります。再デビュー後のナインはバスタ・ライムズを更にエグく
したようなガラガラのダミ声がウリになっていましたが、この頃はまだそれほど
ガレていません(?)でした。フレックスのほうは親分チャックがラジオ番組に
遅刻した時に臨時でDJをつとめたところ大ウケしてソロでも人気を獲得、
独立してWBLS-FMに自分の番組を持ち、そこから大物になっていくのでした。

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D.J.Magic Ray and the Undefeated Three"Unity Rap"(Apexton AP 114)1982

unityrap.jpg

「ユニティ・ラップ」は'82年にリリースされた、D.J.マジック・レイ&ザ・
アンディフィーテッド・スリーの唯一のシングル。中心メンバーはこの後
ソロで活動することになるファンクマスター・ウィザード・ウィズこと
エリック・ロケット(Eric Lockett)でした。

ブロンクス生まれのエリックは'76年ごろからブレイク・ダンサーとして
活動を始めましたが、その後地元のルーズヴェルト高校で行われたパーティで
プリンス・ウィッパー・ウィップ、グランドマスター・カズ、チャーリー・
チェイスらのパフォーマンスに衝撃を受けてMC転向を決意します。'79年には
友人のイーズィ・G、T・ラ・ロック、ヴィシャス・Tと共にアンディフィーテッド・4を
結成するもうまく行かず、T・ラ・ロックとヴィシャス・Tが抜けて代わりに
クール・シュープリームが加入、グループ名の4が3に変わって本格的に
活動を開始します。更にイーズィ・Gからの紹介で専属DJとしてマジック・レイが
加わります。

'82年に彼らはディスコ系のインディ・レーベルだったアペクストンと契約し、
既に完成していたトラックに合わせてエリックがリリックを書くかたちで
録音したのが今回の「ユニティ~」です。なお、名義上はマジック・レイが
メンバーとなっていますが、レーベル側の意向で今作のDJはゲスト参加扱いに
なっているDJジャズィ・アイスがつとめているとのこと。プロデューサーの
ジョナサン・フロイド、マイケル・C・デリックの二人はレーベル側のスタッフと
思われます。

旧式のリズム・ボックスによるハンド・クラップが鳴り響き、生ドラムが
ミディアム・テンポのビートを刻んで、シン・ドラムがアクセントを加えます。
エレクトリック・ベースとパーカッションが加わると同時に3人の男性が
ラップをスタート。掛け合い/ハモりを繰り返して盛り上げてゆき、サビでは
スペイシーなシンセがソロを取り、観客とのコール・アンド・レスポンスも
入ります。この辺りからバックにシンセ・ベースと薄いホーン・シンセも加わって、
サビまでの流れがもう一度繰り返された後、ドラム・ブレイクが入り、その後
3人のラッパー達のソロ・パートへ。終盤はドラム・ビートに凝ったダブ処理が
施されつつ、シンセのソロでフェイド・アウトします。

生のドラム&ベースに太いシンセ・ベースを加え、その上でオトコ臭いラッパー達が
掛け合いを繰り返す、というスタイルはトレチャラス・スリーの"Body Rock"辺りに
通ずる感じ。「団結(ユニティ)」を訴える詞ですが、社会的な意識に目覚めたもの
というより「ブロンクスの仲間たちで盛り上がろうぜ~」みたいな地元讃歌のノリに
聴こえます。





Sharpio"Dance Drome(We Can Make You Dance)"(Libra Corn LCR 002)1985

sharpio.jpg

シャーピオはアトランタを拠点に'70年代から活動するシンガー/ギタリストの
ジェイムズ・シャープによるプロジェクト。レコードとして商品化されたものは
このシングル1枚だけですが、ここを見るとかなりこまごまとレコーディングは行って
いたようです(あまりにシンプルな曲名からしてTVやCM用の録音かも)。

ジェイムズはサウス・カロライナのハーディーヴィルという小さな町の出身。
十代の頃は友人たちと結成したプリミティヴなるインスト・バンドで活動し、
地元でしか出回らなかったようですがシングルもリリースしていました。当時の
曲がこのコンピで聴けるのですが、ペキペキと刻まれるリズム・ギターと
ラテン・パーカッションをバックにサックスがソロをとるファンキーなインストで、
ローカルな作品にしてはなかなかカッコイイ曲です。プリミティヴは'77年まで
活動した後解散し、ジェイムズは隣のジョージア州アトランタに移って
ソロで活動を開始。上にも書いたようにシャーピオ名義での録音は'80年ごろ
から始められていたようです。

その後、アトランタのリブラ・コーン・レーベルと契約し、同レーベルから
先にシングルを発表していたルーベ(Roubaix)なる人物のプロデュースで発表したのが
今回のシングル。エンジニアのウィリアム・ブラウンIIIは元マッド・ラッズの
メンバー、リミックスのゲイリー・プラットはオハイオ・プレイヤーズや
デイトン等オハイオ周辺のファンク・バンドに関わってきた人物で、
ソウル/ファンクのサークルから生まれた曲であることがわかります。
そう言えば、パブリッシャーのクレジットは"Funk City Music"となってました。
特にクレジットはありませんが、作曲/アレンジ/演奏は全てジェイムズが
一人で行っているようです。

スタートと同時にDMXのドラムと乾いたハンド・クラップがファンク・ビートを刻み、
シンセ・ベースがブオンと唸ります。ストリングス・シンセが加わったところで
ヴォコーダーが軽く煽り、男性のコーラスが"Dance! Drome!"と曲名を繰り返します。
その後は粘つくようなシンセのソロと男性コーラスが交互に登場し、ヴォコーダーも
チラ見せしつつもえんえんと同じリフが繰り返される感じです。

打ち込みドラム&シンセ類も使っているのですが、どこか生っぽい音色でネトネトした
感触。曲名も似ているザップの"I Can Make You Dance"を下敷きに、バー・ケイズの
"Holy Ghost"のシンセを加えて、ヴォコーダーでちょっとSFぽくしてみた、といった
感じの曲でした。


Afrika Bambaataa & the Jazzy 5"Jazzy Sensation"(Tommy Boy TB 812)1981

jazzysensation.jpg

「ジャジー・センセーション」は'81年にリリースされた、アフリカ・バンバータの
トミー・ボーイからの最初のシングル。バムはこの前年にポール・ウィンレイから
"Zulu Nation Throwdown"を出しているので、通算では2枚目になります(「デス・
ミックス」等は人気が出てから後追いで出たようです)。

この曲はトミー・ボーイ・レコードからの最初のヒップホップのレコードでも
あります。同レーベルはこれ以前にCotton Candy Featuring Donna Trollinger
なる女性グループの"Havin' Fun"というディスコ系のシングルをリリース済
だったのですがヒットには至らず、その曲でミックスを担当していた
バンバータにチャンスが巡ってきたのでした。

トミー・ボーイ社長のトム・シルヴァーマンは当時「ダンス・ミュージック・
レポート」という業界紙の発行人でもあったのですが、同紙に評論を書いて
いたアーサー・ベイカーにプロデュースを依頼し、ベイカーの知り合いだった
シェップ・ペティボーンがミックスとアレンジを、ジェイ・バーネット
エンジニアリングを各々担当することになりました。

また、ジャジー・ファイヴというのは当時のサウス・ブロンクスの人気MCたち
から構成された臨時の「スーパー・グループ」だったそう。メンバーは
MCサンダンス、チャーリー・チュー、マスター・ビー、マスター・アイス、
そしてDJジャジー・ジェイの5人で、ステージ等では既に共演していた彼らに
バムから呼びかけてレコーディングすることになったそうです。

楽曲は同じ年にヒットしたばかりだった、マイアミ出身の女性シンガー
グウェン・マクレーの「ファンキー・センセイション」のカヴァー。ほかに
候補としてトム・トム・クラブの"Genious Of Love(悪魔のラヴ・ソング)"も
挙がっていたのですが、「悪魔の~」は既に他の複数のグループがカヴァー・
ラップを出していたのでネタかぶりを避けてこの曲になったとのこと。
作曲者のクレジットも原曲のケントン・ニックスの名だけが記されています。
また、B面の「マンハッタン・ヴァージョン」ではバム達ラッパーはフィーチュア
されておらず、ベイカーの奥方ティナ・Bがより原曲に近く唄/ラップを聴かせる
ディスコ路線の曲になっていて、どちらのパターンでも売っていけるようにとの
思惑も感じられます。バックの演奏を担当したクリプティック・クルーという
のもベイカーと繋がりのあったアンドレ・ブースなるミュージシャンを中心とした
グループだそうで、まだエレクトロではなく生のドラム/ベース/ギター等を
中心とした「ディスコ・ラップ」な音です。

生ドラムがミディアム・テンポのファンキーなビートを刻み、車のクラクションの
SEやパーカッションが軽く合いの手を入れてスタート。すぐにジャジー・5の面々が
"All The Ladies In The House!""The Ladies! The Ladies!"等と煽りはじめ、
原曲と同じスラップ・ベースが入ってきたところで本格的にメインのラップ・パートが
始まります。複数のラッパーがユニゾンでラップしたり、ガヤを入れたりして曲は
すすみ、サビでは原曲の「ファンキー」を「ジャジー」に変えて"Jazzy Sensation~"と
唄います。このあたりからバックに薄くエレピも加わり、ラッパーたちがソロで
マイク・リレーをしていったり、キメではユニゾンでラップしたりして煽ります。
ドラムとパーカッションのみになる間奏をはさんで、後半はアドリブでの長い
ラップになり、ペティボーンやミスター・マジック等の当時の人気ミキサーの名が
挙げられたり、"Ain't It Funky Now~"等とステージ同様のルーティンが繰り返されて、
イントロと同じリズム隊に抜けて終わります。

バリバリのオールド・スクールな音なわけですが、ファンキー・フォー+1あたりに
通ずる集団ラップは迫力充分で、(当時での)新しさとかを考えなければかなりカッコイイ。
この曲が3万枚を売るヒットとなってレーベルも軌道にのり、つづいて作られたのが
「プラネット・ロック」になるわけでした。

こういった流れを見てみると、「プラネット~」は最初からエレクトロ的な音の
流行を目論んで作ったというよりは、「つぎはクラフトワークのカヴァーで
いってみるか」みたいな、手探り状態でのチョイスだったのだろうと思われます。
しかし、それが予想を上回る大ヒットになり、世界中にエレクトロのブームを
巻き起こし、時は流れて私のようなエレクトロ馬鹿が生まれてしまったわけで、
偶然が引き起こした音楽のマジックを感じます。





CSL And The Boys Next Door"New York Breakdown"(Powerhouse PH-2235)1984

csl_and_theboys.jpg

CSL・アンド・ザ・ボーイズ・ネクスト・ドアは'80年代後半に3枚のシングル(
2~3枚目はCSL抜きのボーイズ・ネクスト・ドア名義)を残したグループ。
中心人物は作曲/プロデュースを行っているシドニー・スウィニーだと思われますが、
自グループ以外でのレコーディングが全く無く、詳しい経歴等は不明です。
今回は彼らの3枚のシングル全てに関わっているプロデューサーのダリル・ペインに
ついて書いてみます。

ダリル・レイモンド・ペインは'61年、イリノイ州オーロラの生まれ。17歳の時に
NYでレコードのプロモーション業を始めて業界入りし、グレイス・ジョーンズ、
ダン・ハートマン、トランプス、ロリータ・ハロウェイ等のディスコ系の
アーティストを手掛けていたのですが、3年後にはプロデューサーに転身。最初に
制作したのは女性シンガー、キャロル・ウィリアムズの"No One Can Do It"でした。
同曲はディスコ・マーケットを中心にヒットしてダリルにも注目が集まり、
プレリュードやSAM等のディスコ系レーベルのアーティストの12インチを'82~'83年に
かけてつぎつぎとプロデュース。音作りのパートナーにゲイリーズ・ギャングの
エリック・マシューを迎え、シャロン・レッド、シナモン、フランス・ジョリ、
リチャード・ジョン・スミス等の曲をヒットさせます。打ち込みを多用しながらも
黒くウネるグルーヴを作り出す彼の作品は、ポスト・ディスコ期のダンス・ミュージック
-ガラージ-の祖として今も高く評価されています。個人的にも、シナモンの
"Thanks To You"はブギー狂いのころから今も大好きな一曲です。

2年ほどの間に売れっ子プロデューサーとなり、ダリルは'84年には自身のレーベル、
ニュー・イメージ・レコーズを設立して、そちらでの活動にシフトしていくのですが、
その途中で手掛けたのがこのCSL~のデビュー・シングル(2枚目以降はニュー・イメージ
からリリース)。基本的にはディスコ~R&B系の作風のダリルにしては珍しく
ヒップホップ~エレクトロのアーティストになります。

エコーのかかったTR-808が早めのビートを刻み、ファズのかかったシンセ・ベースが
グニグニとうねり、ホーン・シンセがメインのリフを奏でた後、二人の男性が
ラップをスタート。メリー・メルの"New York,New York"辺りを意識しているようですが、
ラッパーとしての腕前は並程度。TR-808+シンセ・ベースをバックに二人が掛け合いを
つづけ、サビで短くシンセ・ソロが入った後、"Breakdown!"のシャウトと共に
激しいスクラッチが入ります。後半は女性コーラス隊も加わってガヤ~コール・アンド・
レスポンスを入れつつ、二人の男性が交代でラップする展開がつづき、終盤はバックの
演奏が抜けてアカペラで終わります。

バンバータの"Looking For The Perfect Beat"を意識したようなトラックに、フラッシュ&
ザ・フューリアス・ファイヴ調の集団ラップをのせた、というような曲で、打ち込み中心の
シンプルなトラックなのですが完成度は高いです。この辺がリミックスを手掛けたダリルの
マジックなのでしょう。

ニュー・イメージでの作品は'90年代初頭まで発表され続けるのですが、その後のダリルは
映像制作/管理会社を設立してR&B系アーティストのライヴ映像のソフト制作を行っています。
検索すると、'60年代のジュディ・ガーランドのTVショウの権利を獲得してそのソフトの
販売を開始した、という話題がやたらとヒットしてしまうのでした...

プロフィール
クロい音楽全般が好きなのですが、 ここではエレクトロとオールド・スクールの アナログ盤に絞って紹介していきます。

KDMX

Author:KDMX

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