スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Drum Machine"Drum Machine"(Jayco JC 001)1982

drummachine.jpg

ドラム・マシーンはプロデューサー/エンジニアの白人男性ジェイ・バーネットによる
プロジェクト。このシングル一枚だけしかリリースはありません。レーベルのジェイコも
ジェイ個人の会社のようで、この一枚のみのリリースで消滅してしまった模様。

ジェイの詳しい経歴は不明ですが、ニューヨーク大学の映画科を卒業後、'79年ごろから
エンジニアとして活動を開始。初期にはジャスティン&ザ・ヴィクトリアン・パンクスなる
シンセ・ポップ系のグループや日本の清水靖晃等も手掛けていました。ヒップホップ畑と
関わりが出てきたのは'81年にアフリカ・バンバータ&ジャズィ・ファイヴの"Jazzy Sensation"を
手掛けてから。それ以降しばらくはバムの他プラネット・パトロールフリーズ、「ビート・
ストリート」のサントラといったアーサー・ベイカー絡みの作品や、同じトミー・ボーイの
ジョンザン・クリューハシム~カッティング・レーベル周辺、ドミトリックス等、
初期エレクトロの重要作品に多数関わっています。

それらのレコーディングに参加するうちにジェイ自身にもヒップホップ的な音の感覚が
身に付き、自らもその手の曲を作ってみるに至った、というのがこのシングルなのでしょう。
特にクレジットはありませんが、演奏は全てジェイ自身がひとりで行っているものと
思われます。作曲者のクレジットにジェイと併記されているF.フィンレイ、C.ローテなる
人物に関しては詳細不明でした。

ゲイト・リヴァーヴのかかったヘヴィなドラム・ビートがイントロから鳴り響き、人を喰った
ようなトーンのナレイションが入ります。エレクトリック・ベースも加わり、ドラム以外の
各楽器にはエフェクトがかけられてチューニングが狂ったように変調しながら曲が進みます。
1分ほど経ったところでジェイ自身と思われる男性のラップがスタート。リズミックにアクセントを
つける程度でラッパーとしての腕前はほどほどといったかんじ。間奏では重低音化したドラムを
バックに「ドラム・マシーンの音を聞かせて!」等とねだる男女の会話のSEが入り、その後
ファズのかかったシンセ・ベースのソロに流れます。そこからはドラム・ブレイク~ヴォコーダー
のソロ~ジェイのラップ~リズム・ギター+集団コーラス等つぎつぎに展開していき、最後は
リズム・ギターとヴォコーダーが絡んで唐突に終了します。

変調していくヴォーカル~ドラム~シンセ類の面白さでつい最後まで聴いてしまう感じで、
そのイジリ具合がいかにもエンジニアらしい感じもします。ファンキーなリズム・ギターが
聴ける部分ではトーキング・ヘッズぽいかな?とも思ったのですが、ラフでパンキッシュな
白人ヒップホップということでイメージされるのはビースティ・ボーイズ。実際デフ・ジャムから
ビースティが再デビューする前後に、ビースティのMCAがソロで出したシングルMCA & Burzootie
(バーズーティはジェイのニックネーム)"Drum Machine"で、まるまるこの曲が引用されることに
なるのでした。

その後のジェイは、'90年代にNYからロンドンに移り、エンジニア/リミキサーとして活動。
テクノ~ハウス系からジェフ・ベックやバート・ヤンシュ(!)等ロック系の大物まで、幅広く
手掛け、現在も活躍中です。


スポンサーサイト

Spoonie Gee"The Big Beat"(CBS/Tuff City 4Z9 04191)1983

spooniegee.jpg

スプーニー・ジー(本名ガブリエル・ジャクソン)は'70年代後半から現在まで
活動を続けるオールド・スクーラー。生年は不明ですが'60年代前半ごろと
思われます。ハーレムのシングル・マザーの許で生まれますが、母親を12歳の
時に亡くし、ガブリエルは叔父のボビー・ロビンソンに育てられます。彼の
ニックネームは、子供の頃スプーンしか食器を使えなかったところから
つけられたそうです。

もともとはR&Bシンガーになりたかったようですが、歌唱力にはそれほど自信が
無かったため、DJハリウッドの番組を聴いてラッパーに転向することを決意。
友人のクール・モー・ディー、L.A.サンシャインと共にトレチャラス・スリー
を結成して活動を開始します。その頃ボビー・ロビンソンはハーレムで
レコード店を経営していたのですが、ある時、店にプロデューサーのピーター・
ブラウン
がやって来て、自分のレーベルと契約出来るラッパーを探していると
店番をしていたスプーニーの兄プーチー・コステラ(後にPCクルーを結成する人)に
告げました。そこで同じ建物の階上に居たスプーニーがすぐ呼び出され、その足で
スタジオに向かって録音が開始、数日でレコーディングは完了して翌週には
デビュー曲"Spoonin' Rap"が発売されていたそうです。

プレス枚数が少なかったため"Spoonin'~"は大したヒットにはならなかったものの、
NY周辺での評判は上々で、2枚めのシングルは叔父のボビーのレーベル、エンジョイから
発売することに。シングルのA面はトレチャラス・スリー名義の"The New Rap Language"、
B面はスプーニーのソロ名義で"Love Rap"を発表します。こちらからはパンプキンの
にチラリと紹介した"Love Rap"のほうがヒットし、女性とセックスをテーマにした
「ラヴ・ラッパー」としてのスタイルを早くもここで確立します。トレチャラス~からは
この頃脱退して完全にソロとして活動するようになり、3枚めのシングルはボビーとも
親交のあったシルヴィア・ロビンソンのシュガーヒル・レコードと契約。女性R&B系
グループのシークエンスと共演した"Monster Jam"を発表します。シュガーヒルでは
この後"Spoonie is Back"を出すのですが、徐々にレーベルとの折り合いが悪くなり、
録音はしたもののレコードはリリースされないという状況がつづいたそう。さらに
彼の書いた詞をビジー・ビーやメリー・メルが勝手にレコーディングするような
事態にも及んで、レーベルとの亀裂は決定的なものになってしまいます。

けっきょく1年ほどレコーディングから遠ざかっていた彼と'83年に契約を結んだのが、
タフ・シティ・レコードのアーロン・フュークス。スプーニーとアーロンを
引き合わせたのは、マイクロノウツのバリー・マイケル・クーパーだったとのこと。
プロデュースを手掛けたのはこちらも同レーベルと契約したばかりだったデイヴィDMXで、
さっそく制作されたのが今回の"The Big Beat"になります。

電話の呼び出し音~女性と会話するSEからはじまり、カチカチと連打される
ハンド・クラップ音と共にスプーニーのラップがスタート。ナイル・ロジャース風の
ファンキーなリズム・ギターとアップ・テンポのDMXのビート、エレクトリック・
ベースも加わって曲は進みます。抑えたトーンのトラックをバックにスプーニーの
エロ話がつづき、サビではベッドのきしむ音が繰り返し流れます。その後は観衆との
コール&レスポンスが入り、引き続き女性を喜ばせるテクニックをひたすら
スプーニーが自慢。終盤はベッド上でそうしているように、囁くように語りが
続けられて終わります。

ラッパーとしての技量がすごく高いわけではないのですが、女性ネタ・オンリーで
派手な展開も無く延々と語り続けるこの人の持ち味が良く出た一枚だと思います。

なお、下に挙げたCDは、アマゾンだとすごいお値段になっていますが、米タフ・
シティのサイト
では、普通に定価で販売しているようです。私もそちらで
買いました。




Sleeze Boyz"Robo Cop"(Sheik SRD-814)1988

sleezeboys.jpg

スリーズ・ボーイズはショーン・トーマスとセオドア・ミラーを中心とした
4人組。LAを拠点に'80年代末~'90年代初頭にかけて6枚のシングルと
1枚のアルバムを残しています。他のメンバーの経歴が全くわからないので、
今回はリーダー格のショーンについて書いてみます。

ショーン"E.マック"トーマスはロサンゼルス生まれ。少年時代にトレチャラス・
スリー
やラキムといったラッパー達に憧れるいっぽうで、スティーヴィ・ワンダーや
プリンス、マイケル・ジャクソンといったR&B系のアーティストにも強く影響を
受けたそう。またフュージョン~AOR系のマイケル・フランクスの詩作にも
インスパイアされていたそうです。その後、弟のエグゼイヴィア・トーマスと
共にラッピンスタインというDJチームを結成し、レッキン・クルーの専属DJとして
活動を開始します。レッキン~の活動を通じてショーンはセオドアと知り合う
こととなり、ラッピンスタインと並行して覆面グループのスリーズ・ボーイズを
結成します。ドラム・プログラムに師匠格のドクター・ドレが参加した
デビュー・シングルが"Robo Cop"です。

作曲はショーンとセオドアの二人。プロデュースはその二人に加えて
ラッピンスタイン(のエグゼイヴィア)とシンプリー・ロウ、とクレジット
されていますが、この4人がそのままグループの構成員だと思われます。

同名の映画のサンプリングと思しき台詞とSEからスタート。TR-808が早めの
ビートを刻み、ヴォコーダーが単音で無機的に唄いながら曲が進んでいきます。
ビートが一瞬緩んだところで"Let's-Let's-Let's Go,Come On!"とか"Who's
Robo Cop?"等とサンプリングが放り込まれたり、「ヨーロッパ特急」を
模したストリングス・シンセがチラリと登場したりしてアクセントを付けつつ、
"Robocop,Dance 'til You Drop"と能天気に唄うヴォコーダーが終始メインをとり、
バスドラが重低音化したり、西海岸モノでは定番の「ハー・ハー」声も
終盤に登場して終わります。

基本的には同時期のレッキン・クルー周辺と同じような音作りで、ラップと
スクラッチが入らない代わりにヴォコーダーが活躍する感じ。映画のヒットに
あやかった曲ではあるのでしょうが、'88年の作にしては古めかしく聴こえます。

ショーンはこの後短期間スタンダップ・コメディアンとして活動した後、
トランペッターのジョニー・ブリットと共にインプロンプ2を結成し、現在は
すっかりスムース・ジャズの人になってしまいました。セオドアは劇伴の
音楽家に転じてTVシリーズ"Fresh Prince Of Bel Air"や映画"Menace II
Society"等を手掛けています。






Emanon"Fresh Beats"(Pow Wow PW 419)1986

emanon.jpg

エマノンは'70年代から活動を続けるDJ/プロデューサーの
アフリカ・イスラムによるプロジェクト。このシングルと同じ
'86年に、7曲入りのミニ・アルバム"The Baby Beat Box"を
発表しています。トラックやスクラッチ等の演奏部分は
イスラムが一人で作り、そこにゲスト・ラッパー(アイス・Tや
メリー・メル等)やヴォーカリストが参加して完成されたようです。

イスラムは本名をチャールズ・アンドレ・グレンと言い、出身は
ブロンクス。生年は'67年とされていることが多いようですが、
そうするとわずか14歳で自身のラジオ番組を持ったことになってしまう
ので、多少のサバ読みがあると思われます。

'70年代後半にロック・ステディ・クルーのメンバーとして活動を
開始し、その後バンバータのズールー・ネイションに早い段階で加入。
この頃、音楽面で彼が師と仰ぐバンバータに因んで芸名をアフリカ・
イスラムと名乗るようになります(バムと血縁関係はありません)。
'77年にはインターナショナル・アニュアル・DJ・コンペティションなる
大会で優勝してDJとしての名声を確立。'81年にはNYのラジオ局WHBIに
自身のラジオ番組「ズールー・ビーツ」を持つに至ります。その後
短期間(マルコム・マクラレンとの関わりで知られる)シュープリーム・
ティームに加入。'83年にはNMS・DJ・チャンピオンシップなる大会でも
優勝し、同年末には来日して日本でもブレイク・ミックスの妙技を
披露してくれました。

ここまでは主に現場でのDJ業に徹していた('82年にブートの
"Fusion Beats Vol.2"は出てますが)イスラムですが、'86年ごろから
スタジオでのレコード制作にも取り組むようになります。日本でも
良く知られたアフリカ&ザ・ズールー・キングス名義で2枚のシングルを
発表し、つづいて手掛けたのがダンス/ポップス寄りのパウ・ワウ・レーベル
からリリースしたこのエマノンでした。

打ち込みのドラム(TR-808?)がスウィングするビートを刻み、JBの
サンプリング・ヴォイスがアクセントを付ける中、アフリカ本人と
思しき男性がラップをスタート。シンセ・ベースとホーン・シンセも
加わって徐々に盛り上がっていき、サビではあどけない声の女性シンガーが
ビッグ・バンド・ジャズ風のホーン・シンセとユニゾンで唄います。
その後は男性のラップ~サビでは女性シンガーの流れが繰り返され、
間奏部分ではスクラッチ~様々な台詞のサンプリング~ヒューマン・
ビート・ボックス等がありつつ終わります。

ホーン・シンセのキャッチーなリフとそのすぐ後にヒューマン・ビート・
ボックスを絡めるやり方は、ダグ・E・フレッシュの"The Show"を
明らかに意識していますが、かわいらしい女性ヴォーカルを前面に
出したポップで明るいノリはこの人独特のもの。打ち込み/シンセ中心の
音でも、いかにも「エレクトロ」な感じのアレンジからは離れている
ところに時代の流れを感じます。

この後のイスラムは、アイス・Tと共同でライム・シンジケートを設立して
'90年代前半までは西海岸で活動、さらにその後はドイツに移り、
ウェストバムとタッグを組んでMr.X & Mr.Yの名義でテクノ畑で活躍する等、
今も元気です。バムもそうだけど、この辺の人たちは何故いまは
テクノ寄りになってしまうんでしょうねえ...


おまけ:ダグ・E・フレッシュ"The Show"のホーンのフレーズって
なんか聴き覚えがあるなあと思って調べてみると、元ネタは
'80年代にアメリカで放映されていたアニメーション
"Inspector Gadget(「Go! Go! ガジェット」)"のテーマ曲でした。
そう言えばコールドカットの"Stop This Crazy Thing"のブラスも似てる!!
と思って調べてみたのですが、残念ながらそちらのサンプル元は全く関係無くて、
トラブル・ファンクの初期の曲"Supergrit"なのでした。。。



プロフィール
クロい音楽全般が好きなのですが、 ここではエレクトロとオールド・スクールの アナログ盤に絞って紹介していきます。

KDMX

Author:KDMX

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
01 | 2012/02 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 - - -
counter
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。