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Marley Marl "Marley Marl Scratch" (NIA NI 1248) 1985

marleymarl.jpg
マーリー・マール(本名マーロン・ウィリアムズ)は'62年クイーンズ生まれのDJ/
プロデューサー。十代前半の頃に、ハイ・フィデリティというグループで活動していた
兄のラリー・ラーが所有していたオーディオ・セットを、兄の留守を見計らっていじって
いるうちに音楽に目覚めます。高校に入る頃には自作のミックス・テープを作るように
なり、それが発展して'77年にはシュアショット・クルーという自らのグループを結成。
クイーンズをレペゼンすべく活動を始めます。単独でも地元のレクリエーション・センター
等でDJを行い、十代後半にして地元ではその名を知られた存在になっていきました。

二十歳の時にはNYのユニーク・レコーディング・スタジオに研修生として入り、当時
そのスタジオでよく録音を行っていたアーサー・ベイカーからレコーディングの技術を
学びます。ベイカーと繋がりの出来たマールは、ベイカーの所有するパーティタイム・
レーベルと契約して、初のプロデュース作になるディンプルズ・Dの"Sucker D.J.'s"
制作。この曲で得た6,000ドルの利益を使ってTR-808等の機材を購入します。この後も
何かしら収入を得るとマールはそのお金で新たに機材を購入し、自宅の地下室に造った
スタジオで日夜その使い方を研究して、録音技術に習熟していくのでした。

リミキサー/プロデューサーとして少しずつ仕事も増えていった'84年に、マールは
当時のWBLS局の人気ホストだったミスター・マジックの番組にDJとして雇われます。
マジックの番組は当時絶大な人気があり、ライバルのKISS-FMのレッド・アラート
番組と競うようにヒット曲をかけ合っていたのですが、マジックがしきりに推していた
カーティス・ブロウの曲のポップなサウンドがマールには不満で、心の中では
「オレの技術でメインストリームのトレンドを変えてやる」と思っていたそうです。

その後はフィラデルフィアのポップ・アート・レーベルを拠点にプロデュース作を
つぎつぎとリリース。さらにコールド・チリンに移籍してからはジュース・クルーを
名乗るようになり、MCシャンの"The Bridge"をはじめとした名曲たちがサンプリング・
ベースにヒップホップの音作りを変えてしまうわけですが、この頃の話は当ブログの
管轄外になってしまうので別の機会にします。

"Marley Marl Scratch"は'85年にリリースされた、自身の名義では初になるシングル。
NIAはアリーム兄弟が所有するレーベルですが、マールはここの作品だとキャプテン・
ロック
やアリームのシングルのリミックスを先に手掛けています。プロデュース/
アレンジ/ミックスはマール自身。ゲストとしてMCシャン(レーベル上のクレジットは
McSHANになってますが)が参加しています。

ファンキーなドラム・ビートが鳴り響き、シャンがドラムのみをバックにラップを
始めます。詞の内容はマールのDJプレイを誉めたたえ、彼のビートとシャンによる
ライムがフォースを作り出す、といったもの。サビではマールが"Sucker D.J.'s"を
コスりまくります。その後はマーリーの名前の「MARLEY」のアルファベット一文字ずつを
テーマに喋ったり、トランプのエースやキングに例えて自画自賛したりとセルフ・
ボーストし、サビでは"Sucker~"がスクラッチされるというパターンがつづき、
最後のスクラッチのみコスリねたがファブ・ファイヴ・フレディ"Change The Beat"
変わります。

ドラム+ラップにオカズとしてスクラッチが入るというスタイルはT・ラ・ロック&
ジャズィ・ジェイの"It's Yours"
あたりを連想させます。ドラムはおそらくDMXを
使用しているのだと思いますが、まるで'70年代のファンクのレコードをサンプルした
ようなロウな音色に加工されていて、この辺がエレクトロ系のレコードとの感覚の
違いを感じさせるのと同時に、翌年の"The Bridge"の登場も予感させます(ドラムの
リズム・パターンも似ています)。






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Just-Ice "Cold Gettin' Dumb" (Fresh FRE 9) 1987

justice.jpg
ジャスト・アイス(本名ジョゼフ・ウィリアムス)は'62年ブルックリン生まれ、ブロンクス
育ちのラッパー。音楽に目覚めたきっかけは、友人がかけていたベーブ・ルースの
"The Mexican(ジェリービーンがカヴァーしていた曲)"のレコードで、その他にもトム・
スコットやベイビー・ヒューイ、「ワッツタックス」等のレコードをチェックするように
なり、そこからそれらの曲を現場でプレイしていたクール・ハーク、バンバータ、ディスコ・
キング・マリオ等のブロンクスのDJたちに興味が移っていったそう。

その後友人たちと共にサウンド・マスターズなるグループを結成し、当初アイスはDJとMCを兼任
していましたが、徐々にライミングへの興味が高まっていき、MCに専念するようになります。
グループはブロンクスのキャッスル・ヒル地区では高い人気を得て、グランドマスター・
フラッシュやコールドクラッシュ・ブラザーズ等ともライヴを行うようになっていったそう。
この頃、芸名もジャスト・アイスと名乗るようになります。

'80年代半ば、アフリカ・イスラムがDJをしているパーティにアイスが出演した際に、アイスは
プロデューサーのカーティス・マントロニクから声をかけられ、レコーディングのオファーを
受けます。アイスは快諾して数日後には相棒のDMX(ヒューマン・ビートボクサー)と共に
ブルックリンのスタジオに赴き、"Put The Record Back On"を録音。その後下ネタ全開の
ナスティな"Latoya"も録音し、この2曲がデビュー・シングルとして'86年にスリーピング・
バッグ傘下のフレッシュ・レコーズからリリースされることとなります。

"Cold Gettin' Dumb"は'87年にリリースされたセカンド・シングル。プロデュースは
「エンペラー・オブ・ザ・ビート」のクレジットもあるマントロニク。この曲では
エディットも重要な役割を担っているのですが、担当したのは「バッデスト・ラテン・
イン・マンハッタン」チェップ・ニューネスです。

ピッチを変えた低音の男声が"Cold Gettin' Dumb"と曲名を告げ、ダイナミック・コルベッツの
"Funky Music Is The Thing"がループされる中、アイスがダミ声でラップを始めます。
オーケストラ・ヒットも繰り返されて高揚感が高まったところでループが抜け、今度は
メタリックなドラム・マシン(TR-707?)と執拗に繰り返されるオケ・ヒットの中、アイスが
よどみなくラップを続けていきます。アクセントとしてピアノのようなサンプル音が
ギャギャンと鳴らされたり、スクラッチのアタック音も繰り返された後、ブレイクでは
ドラムやラップにエディットが入り、その後はふたたびドラム・マシンとアイスのラップ
中心に戻って終わります。

典型的なエレクトロのレコードと比べると時代も下っており、キーボード類はサンプラーを
中心に使った音に変わっています。まだサンプリング可能な時間が短いものしか使えて
いないようですが、マントロニクがプログラムしたイレギュラーなリズムの感覚、チェップの
エディットと、押しの強いアイスのダミ声ラップが絡みあって、異様にデコボコした暴力的な
音に仕上がっています。お金はかけなくても、センスとアイデア次第で面白い音楽は作れる
という良い見本だと思います。

'96年には、レッドマンが"It's Like that"でこの曲のトラック部分をまるまる使用して、
完成度の高さを証明してくれました。





Crash Crew "On The Radio" (Bay City BC 125) 1983

crashcrew.jpg
クラッシュ・クルーは'77年にハーレムで結成された6人組。メンバーはリーダー格の
レジー・レグ、バリー・ビストロ、G-マン、MC・ラ・シュビー、EK・マイク・Cの
5人のMCと、DJ・ラリー・Cでした。6人は同じ高校に通っていた友人同士で、ハーレム
周辺の小さなクラブで活動を開始し、ほどなくしてパーティのプロモーションを
行っていたDJコンビのマイク&デイヴと知り合います。彼らはパーティを主催する
一方で小さなレーベルも運営しており、グループにもさっそくレコーディングの
話を持ちかけます。曲はフリーダムの"Get Up And Dance"を引用したトラックをバックに
メンバーがラップする形で録音され、ディスコ・デイヴ&ザ・フォース・オブ・5MC'ズの
名義でシングルは完成('80年)。当初は流通経路が無かったため、車のトランクにレコードを
積んで、ライヴ終了後にメンバーがその場で手売りして販売していたそうです。

口コミでグループの噂は広まり、ハーレム周辺では既に絶大な人気を得ていたという
彼らは'81年にシュガーヒル・レコードとの契約を獲得。グループ名も本来の
クラッシュ・クルーに戻して(再)デビュー・シングルの"We Want To Rock"をリリース
します。その後は年に1枚...という地味なペースながらシングルを発表し続け、
デビュー・アルバムの先行シングルとして発表されたのが今回の"On The Radio"です。

このシングルのみ、何故かシュガーヒルの傍系レーベルであるベイ・シティ・レコード
からリリースされていますが、あまり具合が良くなかったのかアルバムやこれ以降の
シングルは再びシュガーヒルからのリリースに戻っています。

曲のテーマに沿って、ラジオ局のジングルを模したようなメンバーのコーラスから
はじまり、つづいてDMXのビート、スラップするエレクトリック・ベースをバックに
(ファンタジー・3の"It's Your Rock"のパクリとも言われる)オルゴールのような
音色のシンセが2小節のリフを繰り返します。もう一度コーラスが入った後、ガヤの
中5人がカッコ良く掛け合いラップをスタート。サビでは再びコーラスが唄われ、その後は
MCがソロでマイク・リレーしていきます。キメの部分ではハモったり、ラジオ番組の
場面転換のようなシンセのSEが入ったりしつつMC達が盛り上げていき、終盤に短い
ドラム・ブレイクとシンセのソロが入って、その後はコーラスとガヤのままフェイド・
アウトします。

DMXやシンセ類を使ってはいますが、それ以前の「ディスコ・ラップ」の音をそのまま
打ち込み系に置き換えたような感じ。集団MCの勢いもあってオールド・スクール色
バリバリの曲です。彼らの場合はむしろその方がグループの個性を出せている気が
します。






Trouble Funk "Trouble Funk Express" (D.E.T.T. L 1011) 1984

troublefunk.jpg
トラブル・ファンクは'78年にワシントン・DCで結成された、9人組の大型ファンク・バンド。
ゴーゴー・ミュージックと言われるDC独特の生音ファンクの代表的なグループです。'80年
前後からJamtuやD.E.T.T.と言ったローカルなインディ・レーベルからシングルをつぎつぎ
リリースして地元での人気を高め、'85年にはゴーゴーをプロモートしていた大手のアイランド・
レーベルと契約して世界的にもブレイクしました。日本でもファンク好きの方々からは当時も
今も人気が高く、初来日公演の時は私も見に行きました。

ゴーゴー・ミュージックは生のドラム/ベース/パーカッションによる演奏が基本の音楽なの
ですが、ちょうど時代的にもエレクトロと並走していた'80年代前半ごろの彼らは、エレクトロも
意識したシングルをリリースしています。'83年にはアーケイド・ファンクという別名義で
"Tilt"というパックマンのSE類を模したシンセ類をフィーチャーした曲を発表し、翌年には
モロにクラフトワークの「ヨーロッパ特急」をアレンジしたこのシングルを出しています。

彼らは作曲/演奏/プロデュースも全て自分たちで行うグループで、今作のプロデュースも
グループ名義になっているのですが、シンセが中心になっているこの曲は、グループの
キーボード奏者のロバート・リードが中心になって作られたのではないかと推測します。

ロート・タムというゴーゴー独特のパーカッションとドラムがロールするイントロにつづいて、
スラップ・ベースと、ピュンピュンとアクセントを入れるシンセが唸ります。ここまでは
典型的なゴーゴーの展開なのですが、シンコペイトするリズムをバックにヴォコーダーが
"Trouble Funk Express"と曲名を連呼し始め、「ヨーロッパ特急」と同じ、せり上がって
いくようなストリングス・シンセが入ります。その後はヴォコーダー、リズム・ギター、
「ヨーロッパ~」のそれをマイナー調に変換したストリングス・シンセ、列車の駆動音を
模したリズム・ボックス等が順にソロを取って曲が進んでいきます。

何度も書いているようにゴーゴーは生の演奏によるパワフルでエネルギッシュな音が身上の
音楽なのですが、シンセとヴォコーダーが主役のクールなこの曲はかなり異質。来日時の
演奏でもかなり浮いていた印象があります。当時はDC周辺でもNY同様にクラフトワーク~
「プラネット・ロック」の人気が高かったということなんでしょう。




Original Concept "Can You Feel It?/Knowledge Me" (Def Jam 44 05342) 1986

originalconcept.jpg
オリジナル・コンセプトは'80~'90年ごろに活動していたロング・アイランド出身の
4人組。メンバーはリーダー格のドクター・ドレ(西海岸のあの人とは別人です)、
T-マネー、ラッパー・Gの3人のMCに、DJのイーズィ・G・ロックウェルでした。
もともとは'80年代前半に、ロング・アイランドのアデルフィ大学内にあるラジオ局
WBAUで「The Operating Room」なる番組をやっていた4人がコンセプト・クルーという
名前で活動を開始。アデルフィ大はブッチ・キャシディズ・ファンク・バンチの項
も登場したスペクトラム・シティ~パブリック・エネミーが結成された場所で、
コンセプト・クルーの4人もほぼ同時期に活動し、デフ・ジャムとの契約はこちらの
ほうが先だったようです。

'86年に契約し、グループ名をオリジナル・コンセプトと改めた彼らが発表した
デビュー・シングルが今回の"Can You Feel It?"。いちおう"Can You~"のほうを
A面としましたが、もともとは裏の"Knowledge Me"と共に両A面扱いで出たものの
ようです。プロデュースにはリック・ルービンの名もクレジットされていますが、
実際の音作りはグループのメンバーのみが行ったものと思われます。

"Can You Feel It?"は全面インスト。ジャクソンズのライヴ・アルバムからサンプル
した歓声と"Can You Feel It?"のかけ声からスタートし、ディレイのかかったTR-808が
ビートを刻む中、セローンの"Rocket In The Pocket"のドラム・ビート、ジャクソン5の
"It's Great To Be Here"のイントロのギター、ジェイムズ・ブラウンの
"Get Up, Get Into It, Get Involved"のシャウト、モホークスの"The Champ"のオルガン等が
つぎつぎにスクラッチされていきます。

"Knowledge Me"のほうは、TR-808のビートとつぶれた音色のシンセ・ベースがブブブ...と
鳴る中を、ダミ声の男性二人がしゃべり口調のまま掛け合いを繰り返し、サビでは
"Knowledge Me Homie"とハモる、というだけの曲。レゲエに通ずるダルな雰囲気、
遅いビートとシンセ・ベースがなんともドープで、大好きな曲です。

NY周辺ではもうエレクトロの時期はとっくに過ぎており、この2曲も電子感を強調する
というよりある種の効果音的なノリでTR-808等を使っているのだとは思いますが、
"Knowledge~"のふてぶてしさには今もヤられてしまいます。







Orange Krush "Action" (Mercury MDS 4018) 1982

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オレンジ・クラッシュはギタリストのデイヴィ・DMX、ベーシストのラリー・スミス、
ドラマーのトレヴァー・ゲイルから成る3人組。自己名義の作品はこのシングル1枚のみ
ですが、他のミュージシャンのレコードでの演奏を多数手掛けています。ラン-DMCの
最初の2枚のアルバムのほか、ラブバッグ・スタースキージミー・スパイサー等々...
デフ・ジャム設立以前のラッセル・シモンズ仕切りのレコーディングは毎回彼ら、と
思えばいいでしょうか。デイヴィ・Dに関してはソロ作の時に書いたので、今回は
ラリー・スミスの経歴を紹介します。

ラリーは'51年クイーンズ生まれ。ジェイムズ・ブラウン等のレコードを聴きつつ独学で
ベースをマスターし、高校を卒業後に地元のクラブやバーで雇われミュージシャンとして
キャリアをスタートします。当時はソウル/ファンク系に限らずパンク、ジャズ、ブルース等
請われればなんでも演奏して、吸収していったとのこと。'72年にはシカゴ出身の
ヴォーカル・グループ、ブライター・サイド・オブ・ダークネスのバック・バンドに
加入して、ヒット曲"Love Jones"のレコーディングに参加。また、ミュージカルの舞台の
音楽ディレクター等もやっていたそうです。

'79年に、旧友のロバート・フォード・Jr.がプロデュースするカーティス・ブロウ
デビュー曲"Christmas Rappin'"のレコーディングに参加し、演奏だけでなく作曲にも
関わるようになります。アルバムでも重要な曲を共作したラリーの手腕を買った
ラッセル・シモンズは、彼が関わった曲のプロデュースをラリーと共同で手掛けるように
なり、これが発展してオレンジ・クラッシュが結成されることになります。

'82年ごろにはラリーはドラムを生演奏でなく、自身がプログラムした打ち込みの
トラックを使用することが多くなっていたそうで、ラン-DMCのアルバムではそこから
あのヘヴィなドラム・ビートが生まれたわけですが、グループ名義のこのシングルでは
まだトレヴァー・ゲイルがドラムを叩き、ゲスト・ヴォーカリストとして後にデフ・ジャム
からソロ・デビューする女性シンガーのアリソン・ウィリアムズが参加しています。
もともとは小さなインディのプレップ・ストリート・レーベルからリリースされたのですが、
すぐにメジャーのマーキュリーに買い取られて再発されたのが今回の写真です。

ラン-DMCの"Sucker M.C.'s"を思わせるスネアのロールからスタートし、ドラム、ベース、
ギターがファンキーにウネり、エレピも薄く鳴る中をアリソンがリズミックに唄って
曲が進んでいきます。サビでは多重録音されたアリソンのコーラスが入り、その後
本格的にメロディを唄いこんでいきます。中盤ではピッチを変えたチップマンクス風の
ヴォーカルがアクセントを付けています。

生演奏なのですが、ループ感を強調した演奏は既にヒップホップ的で、シュガーヒル等の
レコードよりも後の世代を感じさせます。ラリーはこの後プロデュース業のほうが多忙と
なり、グループも自然消滅してしまうのですが、R&Bからヒップホップへの時代の流れに
沿った、発展的解散とでも言えるのではないでしょうか。





Kurtis Blow "It's Gettin' Hot/Do The Do" (Mercury MK 177) 1981

kurtisblowdothedo.jpg
カーティス・ブロウ(本名カーティス・ウォーカー)は'59年にハーレムで生まれたオールド・
スクーラー。メジャー・レーベルと契約した最初のラッパーとしても知られています。
子供の頃から音楽に興味を持ち、13歳の頃には年齢を偽ってクラブに出入りしてピート・
DJ・ジョーンズ等のパフォーマンスを体験していたとのこと。翌年には友人たちと小さな
パーティを始めたそうです。

当時のブロウはWWRL局のゲイリー・バードのラジオ番組がお気に入りで、彼のような
ラジオDJになることを決意し、高校は音楽の専門校に入学します。学校では常に
「A」クラスに入るような優秀な生徒だったそうですが、その一方でナンバー賭博を
行ったり、葉っぱを売り捌いてカネを稼ぐハスラー生活にも浸っていたそう。大学に
入る頃には商売先をマンハッタンからブルックリンまで広げるようになり、その過程で
ラッセル・シモンズと知り合います。ブロウはシモンズと「フォース・カレッジ・ディスコ」
なるパーティを始め、芸名をクール・DJ・カート・ウォーカーと名乗って活動する
ようになります。

その後名前をカーティス・ブロウに改め、'77年ごろにはグランドマスター・フラッシュ
出会います。ブロウはフラッシュや彼のお抱えMCたちとパフォーマンスを行うようになり、
'79年ごろまではラブバッグ・スタースキーの項に登場したクラブ、フィーヴァーで派手に
盛り上がっていたそう。その頃、ブロウはビルボード誌のライターだった
ロバート・フォード・Jr.から取材の依頼を受け、さらに有望な新人をレコード契約に
紹介してくれとまで言われ、当時はブロウのマネージャーに収まっていたラッセル・シモンズは
当然のようにブロウを推薦したそう。こうしてブロウはマーキュリー・レコードと
契約することとなり、ロバートとJ.B.ムーアのプロデュースでデビュー曲"Christmas Rappin'"
を制作。この曲は40万枚を売り、つづくシングルの"The Breaks"はミリオン・セラーを
達成するなど順調にセールスを上げていきます。「ラッパーズ・ディライト」の時は
一発屋的に見ていたレコード会社も、この頃から考えを改めてヒップホップ~ラップを
ビジネスと捉えるようになり、本格的に新人ラッパーたちの発掘に乗り出すようになっていった
とのこと。

今回取り上げたシングルは、'81年にリリースされたセカンド・アルバム、"Deuce"からの
カット。時期的に当然と言えば当然なのですが、バックの演奏は生演奏による
ドラム/ベース/ギターをフィーチャーした「ディスコ・ラップ」スタイルで、ブロウの
場合はさらに女性ヴォーカル等も加わった非常にポップな曲調が多いのですが、この
シングルのB面(A面の"It's Getting Hot"は"The Breaks"タイプのキャッチーな曲)は
少々違います。

ジミー・ブラロワーが叩くファンキーなドラムがイントロから繰り返され、ドラムのみを
バックにブロウがラップを始めます。サビではエレクトリック・ベースとパーカッションが
ソロを取り、ふたたびドラムのみに戻ってブロウが観客とコール・アンド・レスポンスを
行いながら盛り上げていきます。もう一度ベース・ソロが入った後、ドラムがビートを
繰り返しながらフェイド・アウト。ドラムとラップのみに絞ったリズム重視の音作りが
印象に残ります。

3分余りの短い曲ですが、レコードのブレイク部分を2枚使いしているようなファンキーな
ドラムと、ライブ風味の観客とのやり取りが楽しい。フィーヴァーでパフォーマンスして
いた頃はこんな感じだったのではないか...と思わせる曲です。イントロのブレイク部分は
スタインスキが"Lesson 2"でも使用していました。






Jimmy Spicer "The Bubble Bunch" (Mercury MDS 4017) 1982

jimmyspicer.jpg
ジミー・スパイサーは'70年代後半から'80年代前半にかけて活動していた
オールド・スクーラー。詳しい経歴は不明ですが、'80年のデビュー・シングル
"Adventure Of Super Rhyme"は、ディスコ・ファンク的なトラックをバックに、
複数の声色を使い分け、ファニーな話を13分にもわたって繰り広げるオールド
スクールの名曲。ストーリーテラー的なスタンスからスリック・リックや
ダナ・デイン辺りの芸風の元祖とされています。

彼はカーティス・ブロウと並んでラッセル・シモンズがマネジメントを手掛けた
初期のアーティストとしても知られており、今作はそのシモンズと、オレンジ・
クラッシュのメンバーだったラリー・スミスがプロデュースを手掛けた曲。
リミックスはジェリービーンで、今作は彼がヒップホップ系の曲で初めて
リミックスを手掛けた曲にあたるとのこと。

旧式のリズム・ボックスがピコピコとリズムを刻み始めたかと思うと、すぐに
生のドラム、ベースと男性のコーラスが加わり、ファンキーなビートを叩きだします。
さらにリズム・ギターとエレピが加わると同時にジミーがラップをはじめ、
太ったカップルの食事やダンスについての話を面白おかしく語っていきます。
サビでは男性陣が"The Bubble Bunch x3, Rockin To The Beat"とリズミックに
唄い、ふたたびジミーのソロへ。中盤のブレイク部分ではティンバレスやドラム、
ムーグ・シンセのソロが入り、その後は曲名連呼のコーラスが繰り返されて終わります。

リズム・ボックスを使ってはいますが、基本的にはトラックは生演奏中心で
エレクトロというより「ディスコ・ラップ」と言いたい音です。レーベルも同じだし、
カーティス・ブロウ辺りの作りを踏襲したものなのでしょう。ジェリービーンの
ミックスの個性もまだ出ていないかな。





Extra T's "E. T. Boogie" (Sunnyview SUN 404) 1982

extrats.jpg
エクストラ・Tズはマイアミのソウル・シーンで古くから活躍する
フレディ・ストーンウォールとヘンリー・ストーンによるプロジェクト。
フレディは'78年のキング・スポーティ(=ノエル・ウィリアムス)のシングルの
エンジニアとしてキャリアをスタート、その後ティミー・トーマス、クラレンス・
リード(と彼の変名のブロウフライ)、リトル・ビーバー等マイアミを代表する
シンガーの作品で多数プロデュースを手掛けています。

ヘンリーは、マイアミ・ソウル界のドンと言っても過言ではない大ベテラン。
'40年代の後半からジャズ・トランペッターとしてキャリアをスタートし、
'50年代にはフロリダに自身のスタジオとレーベルを設立、ブルースやゴスペルの
レコード制作をはじめます。その後いくつものレーベルを立ち上げて様々な
ヒット曲を飛ばし、ベティ・ライト、ティミー・トーマス、ラティモア等を
スターにし、'80年ごろにはジェイムズ・ブラウンとも契約するに至ります。
さらに、'70年代後半に契約したKC&ザ・サンシャイン・バンドが折からの
ディスコ・ブームにのって大ヒットし、R&B以外のサークルでも成功を収めて、
その後もピーター・ブラウンやボビー・コールドウェル等を輩出したのでした。

ヘンリーは、'70~'80年代はT.K.というレーベルを中心にプロデューサー兼オーナーと
して活動していたのですが、'80年代アタマにTKが大手のルーレット・レコードに
買収されたのを機に、新たにサニービュー・レコードを設立します。私はNY出身の
ニュークリアスの曲でこのレーベルを知ったのですが、彼ら以外の所属アーティストは
やはりヘンリーの息がかかったマイアミ出身のアーティストが中心でした。時代の
移り変わりに敏感な彼らしく、レーベル初期のリリースはエレクトロやフリースタイル
の曲が中心。このエクストラ・Tズは、作曲/プロデュースはフレディ&ヘンリーの
クレジットになっていますが、実際の演奏を行っているのは彼らの子飼いのスタジオ・
ミュージシャン達だと思われます。

宇宙船の交信音のようなSEからはじまり、ピッチを変えた宇宙人風(?)の声が
"E.T. Phone Home..."とあの映画の有名な台詞を真似てしゃべります。TR-808が
ビートを刻みはじめ、ディレイのかかったシンセ・ベース、そのベースの後を追うように
フレーズを弾くシンセ、エレクトリック・ベース等が絡み合ってウネリを作っていきます。
ワン・コードのリフがえんえん繰り返される中に、時折SE的なシンセが入ったり、
"E.T."というコーラスやハンド・クラップ等のアクセントを加えるだけで聴かせて
いき、終盤に軽くリズム・ギターが加わった後、"E.T."のコーラスのコーダで終了。

ほとんど展開なしで、インスト中心の内容なのですが、楽器の絡みからくるウネリと
音色の面白さから聴き入ってしまいます。年代的にも早く、これを地方のマイアミで
作ってしまったというのはやはりヘンリーの長いキャリアの賜物と言っていいでしょう。





The Source "The Ghetto" (Enjoy 6034) 1984

thesource.jpg
ザ・ソースはファンキー・4・プラス・1のメンバーだったジャジー・ジェフによる
プロジェクト。彼はMCで、後にフレッシュ・プリンス(ウィル・スミス)と組んで
ヒットを飛ばすDJジャジー・ジェフとは別人です。ファンキー・4に関しては詳しい
経歴は省略しますが、オールドスクール好きなら知らない者はいない名曲"That's
The Joint"をはじめ、女性MC1人を含む5人のメンバーの掛け合いがキマった曲を
多数残しているグループ。映画「ワイルド・スタイル」にメンバーのうちの二人が
ダブル・トラブル名義で出演した頃から個々での活動が目立つようになり、'83年に
自然消滅してしまいます。ズールー・ネイションの一員でもあったジャジー・ジェフ
ことジェフリー・マイリー(Jeffrey Miree)もソロで活動をするようになり、この
曲は実質的なソロ・デビュー曲になります。

プロデュースはエンジョイのオーナー、ボビー・ロビンソンとクレジットされていますが、
作曲/演奏/プロデュース全てジェフがひとりで行っているものと思われます。

"People Move In, People Move Out"と軽く語りが入った後、ボブ・ジェームスの
"Nautilus"から引用したフレーズをシンセ・ベースが繰り返し、ミディアム・テンポの
ビートを刻むDMXのドラムをバックに、ジェフがゲットーでのタフな生活ぶりを語って
いきます。ラップはジェフが一人で多重録音しているようですが、合いの手のように
"The Ghetto!"とか"In The~"、"What! What!"と掛け声を入れたり、左右にフレーズを
振って掛け合いのように聞かせる辺りはグループ時代の名残を感じさせます。
トラックはグランドマスター・フラッシュの"The Message"を意識しているようにも
聞こえますが、ドラム・マシン&シンセ・ベースのみのシンプルな音作りで、詞のテーマ
とラッパーのスキルのみで勝負している、非常にオーソドックスな曲です。

エレクトロな楽器を使ってはいるけれど心は今もオールド・スクール、良くも悪くも
正統派といったところでしょうか。ちょこっとスクラッチでも入っていれば、それだけで
だいぶ印象が違いそうな気もします。





West Coast Crew "We Are The Crew" (KMA KMA 12 001) 1985

westcoastcrew.jpg
ウェスト・コースト・クルーは'83年にLAで結成されたグループ。中心メンバーは
アルバムのジャケ写に写っているレモン・ライム、D-ロック、Mr.Jの3名ですが、
バックの演奏を担当するカサノヴァ・マローンとJ-ボーンも準メンバーとして
クレジットされることが多いようです。リーダー格のレモン・ライムは'63年の
生まれ。10歳で詞を書きはじめ、タレント・ショウやクラブへの出演等を経て、
16歳で自身のダンス・プロダクションを設立します。'83年にはソロ名義の
シングル"The Hollyweird Game"でデビュー。セールス的には不発に終わりますが、
リリース元のジャム・パワー・レコードを通じてレモンはD-ロックやMr.Jと
知り合い、そこから発展してグループが結成されることになりました。

さっそく彼らはアルバム用の曲を録音し、ジャム・パワー側に提供するのですが、
そのアルバム"Jealous People"はプロモ盤が作られたところでレーベルが倒産し、
オフィシャルにリリースされることなく終わります。改めて彼らはマコラ傘下の
新興レーベルKMAと契約し、心機一転して発表したのが今回の"We Are The Crew"
でした。

彼らは基本的には演奏/プロデュースも自分たちでやってしまうセルフ・コンテインド・
グループなのですが、今作のB面の"Jealous People"はもともとジャム・パワー時代に
録音した曲のためか、ゲストを迎えています。シンセ担当のマイケル・ロシェルは
ブギー関連のコレクターからはよく知られたギフト・オブ・ドリームスのメンバー。
ミックスで関わっているスキップ・ドリンクウォーターはノーマン・コナーズや
ルネイ&アンジェラ等、西海岸のメジャーなジャズ~R&B系のアーティストの作品を
プロデュースしている人です。

ヴォコーダーがグループ名を告げ、DMXがアップ・テンポのビートを刻んで、DX-7の
シンセ・ベースが低くうねります。男性がラップをはじめ、それに応えるように
ホーン・シンセと男性コーラスが合いの手を入れて曲が進み、サビではヴォコーダーが
唄います。間奏部分ではシン・ドラムがポポポ...とオモチャのような音色でソロを
入れ、後半は3人がユニゾンで"Jam On Your Radio"等と繰り返します。その後は
ヴォコーダーが中心になり、シンセ・ベースやプニュプニュのシンセ類、歓声のSE等が
つぎつぎと現れて終わります。

ループ感にあまりこだわらず、メロディアスに曲を展開していく感じはR&Bとヒップホップの
中間のような感じでしょうか。ヴォコーダーの使い方にはザップ~ロジャーの影響も感じます。
彼らはほかのグループとの交流があまり無く、西海岸らしいギャングぽさやエロ話とも無縁で、
どこかアマチュアぽいほのぼのしたノリがあります。


BOSE "Subway" (Rockwell HAL 1268) 1988

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ボーズ(B.O.S.E.)は'80年代後半からマイアミを拠点に活動する謎のグループ。
'86年にシングル"Bass Overdrive"でデビューし、翌年の"Rock The World"が
ヒットして話題になるのですが、この曲はバンバータの「プラネット・ロック」
インスト版でまるまるカヴァーしたようなバクリ曲です。5年前のヒット曲を
何のヒネリもなくカヴァーするのもナゾですが、その曲を収録した同題のアルバムの
ジャケットは、トワイライト22の'84年のアルバムのデザインを安っぽくパクった
もの。さらに、彼らは時期によって参加しているメンバーが全く違い、正式な
メンバーが誰なのか全くわかりません。これらから判断して、このグループは
HOTレーベル(今回のロックウェル・レーベルの親会社)のスタッフがエレクトロ~
ベース・ミュージック系の曲を作る時に名乗った架空のグループだと思われます。

"Subway"は'88年にリリースされた、通算5枚めのシングル。エンジニアのチェド・
バーウィックはハウスやディスコ系のレコード等でも活動している人。それ以外の
クレジットはBOSEのグループ名しか載っていないのでやはり誰が誰やらわかりません...

地下鉄が発車する際のSEが流れ、TR-808とハンマーの打撃のようなアタック音が
ビートを刻み、ヴォコーダーが"The Subway"と曲名を告げた後、ブニョブニョの
シンセ・ベースが鳴って曲が進んでいきます。サビで突然ストリングス・シンセが
加わり、ヴォコーダーもここでだけメロディアスに唄ってパッと明るくなります。
その後はここまでの展開が何度か繰り返される感じ。中盤のブレイクもオケ・ヒットが
連打される程度でした。

'88年という時期のおかげで、電子楽器の音もこなれて良くまとまっているクール&
メロウなヴォコーダー・ファンクです。5年早く出ていたらクラシックですね(笑)。


Began Began "Computer Wars" (One Way OW 005) 1982

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ビギャン・ビギャンは'70年代終わりから'80年代いっぱいぐらいまで活動していた
プロデューサーのビギャン・セキックによるプロジェクト。彼の詳しい経歴は不明
ですが、ユーゴスラビアの出身で、'79年に自身のレーベル、BCを設立して活動を
開始します。BCの主要アーティストであるブルックリン・エクスプレスやコモン・
センスといったアーティストはセキック仕切りの覆面グループのようなもので、
しかも楽曲はMFSBやポリス、ジミー・ボホーン、クイーン等の曲をカヴァーした
ものが中心。要はその当時のヒット曲をディスコ・アレンジしてクラブ向けに
作り直したものでした。それでも同レーベルの作品はガラージ・サウンドの祖の
ひとりとして知られるティー・スコットが大半をミックスしていたため、コレクター
達からは蒐集の対象になっています。

ワン・ウェイはBCの傘下のレーベルとして'80年ごろに設立されたもの。"Computer
Wars"は彼の関連作には珍しい(?)オリジナルの楽曲です。ビギャン・ビギャンの
名義では同じ'82年にBCから"Stay In Touch"というシングルも出ているのですが、
どちらが先に発表されたのかは不明。"Stay In~"のほうはパーカッショニストの
バシリ・ジョンソンがプロデュースし、ラッパーとしてダイナミック・ブレイカーズが
参加しているのですが、"Computer Wars"のほうは全く参加メンツが異なり、作曲と
プロデュースは元BTエクスプレスのビリー・ニコルズが中心に行っています。
共作者のジェイムズ・マイナーはカウント・クールアウトというグループで活動
していた人。コ・プロデュースのレナ・フィーニーはファクトリー・ビートという
レーベルのオーナー兼プロデューサーですが、この辺の人脈はマイナーすぎて私にも
正直チンプンカンプンでした...

エコーのかかった男性のナレーターが、コンピューターに管理された未来社会風の
ストーリーを語り、その後DMXがビートを刻みはじめ、シン・ドラムがアクセントを
付けていきます。その後二人の男性が交互に話のつづきを語り、ジジジ...という
シンセがソロを取ったり、様々なシンセのSEやコンピューター・ゲームのピコビコ音が
挿入されて曲が進んでいきます。後半に入って突如ストリングスや女性コーラスが
加わって壮大なメロディが一分ほど聞けるのですが、すぐにまたドラム・マシン&
シンセのSEによるミニマルな展開に戻って終わります。

正体不明なところがいかにも覆面グループらしいですが、様々な電子音がピュンピュン
飛び交う感じはエレクトロ好きならけっこう気持ちよく聴けるはず。いっそのこと
中盤のストリングス展開部も無くして欲しいぐらいです。



Something/Anything "The Monster Rock" (Memo 17) 1985

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サムシング・エニシングは'80年代初頭からNYを拠点に活動する白人プロデューサー/
ミュージシャンのボビー・オーランドによるプロジェクト。サムシング~の名義での
作品はこれ一枚のみですが、彼は本名のボビー・Oのほか、ビート・ボックス・ボーイズ、
ボイド・ブラザーズ、チャ・チャ・ガルシア、イアン・ダービー...その他40以上もの
別名義で活動し、さらにザ・フラーツ、怪人ディヴァイン、ペット・ショップ・ボーイズ
等のプロデュースも行う等、作品数は膨大な量に上ります。主にディスコ~ハイ-NRG系の
白っぽいダンス・ミュージックを得意としていますが、名義によっては今作のように
エレクトロ~ヒップホップ~ヴォコーダー・ファンクにアプローチしたものもあり、
エレクトロ好きからも侮れない存在です。ゲイであることも公言していて、10代の頃は
ボクシングとグラム・ロックに夢中だったという経歴は、マン・パリッシュのそれを
連想させます。

今作のリリース元であるメモ・レコーズは、彼が所有していたレーベルのひとつ。
彼は変名同様にレーベルも多数持っていて、メインの「O」・レコーズのほか、ボブキャット、
テレフォン、ビート・ボックス他10以上のレーベルを使い分けていました。レーベルに
よって音の特色が特にあるわけでも無いところが謎ですが、多作型の天才タイプの彼には
どうでもいいことだったのかもしれません。

'80年前後からリン・トッドやロニ・グリフィスといったディスコ系シンガーの曲で
プロデュースを開始し、すぐに自身のO・レコーズを設立、'82年ごろには自己名義の曲や
フラーツ、ディヴァイン等の作品がディスコを中心に大ヒットします。打ち込みやシンセ類を
多用した音作りから「ハイ-NRG」の始祖とも言われるようになり、アメリカ全土よりも
NY周辺とヨーロッパのクラブ・マーケットで絶大な人気を得るようになっていきました。
ペット・ショップ・ボーイズのデビュー曲"West End Girls"を手掛けた'84年ごろからは
黒っぽい作風も増えていくようになり、"Monster Rock"はその2年後の作品になります。
彼は自身の作品は基本的に全ての演奏をひとりで行っており、ヴォーカリストのクレジットが
無い今作も同じように制作されたものと思われます。

ゲイト・リヴァーヴのかかったドラムがダダダと鳴らされ、エコーのかかった男性の低音が
"The Mo-Mo-Monster Rock,Mo-Mo-Monster Rock"と曲名を連呼し、シンフォニックな
ストリングス・シンセがテーマを奏で、オーケストラ・ヒットがアクセントを入れます。
終盤まではこの展開がひたすら繰り返され、ときどき「トゥフォー(?)」という謎の
シャウトが入るのみです。終盤にわずかにドラム・ブレイク~ハンド・クラップの連打が
ありますが、すぐに元の展開に戻って終わります。

下に挙げたフレディ・フレッシュのミックスCDでもまさにそうなのですが、ブレイク・ミックスを
行う時に曲名連呼部分をジングル代わりに使われる感じ。ヒップホップ畑の人の作品とも
やはり微妙に違う印象があります。このシングルは33回転なのですが、ブレイク・タンサー達が
BGMに使用する時は45回転でかけられることも多かったようです。




45回転版





E.S.P. "Extrol" (Red Rooster RRD 2213) 1983

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E.S.P.は'70年代終わりからマイアミ周辺で活動するクリス・スミスによるプロジェクト。
グループ名はExtra Special Peopleの略です。全部で3枚のシングルをリリースしていて、
"Extrol"は3枚目。今回写真を挙げたものはレッド・ルースター・レーベルから再発された
盤ですが、もともとはグループ名と同じE.S.P.というレーベルから発表されたものでした。
クリス自身の経歴に関しては全くわからず、これ以前のシングルがどういう音だったのかも
不明です。

ビチビチとしたシンセ音につづいてTR-808が歯切れよくビートを刻みはじめ、バスドラに
ファンキーなシンセ・ベースが絡みます。一瞬うめき声のようなヴォーカルが入ったかと
思うと、ムーグ・シンセがプヨプヨとソロを取って曲が進んでいきます。ブレイク部分では
ホイッスルが唐突に鳴り、ハンド・クラップが連打されたりしますが、すぐにムーグ中心の
展開に戻ります。後半に一回だけ、"Let's Go All Now!"の掛け声と共にジェット噴射のような
SE音が入り、その後はムーグが何度も効果音的なフレーズを入れて終わりです。

ひたすら「プニュ~ン」と鳴るムーグの音が印象的。'60年代のディック・ハイマンのレコードが
'80年代に突然蘇ったような感じとでも言えばいいでしょうか。エレクトロの本流とは全く離れた
音ですが、意味不明に軽く、ノリノリな展開が楽しいです。流行とは全く関係ないマイアミならでは
の曲だとも言えるかも。



Vanity 6 "Nasty Girl" (Warner Bros. PRO A 1061) 1982

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ヴァニティ・6はプリンスが結成させた女性3人組。もともとは'81年ごろ、The Hookersという
名義で下着姿の女性にエロティックな詞の曲を唄わせるという殿下のコンセプトの下、彼の
友人だったスーザン・ムーンシー、ブレンダ・ベネットの二人と、プリンスのアシスタントを
やっていたジェイミー・シュープの3名をメンバーとして集めたとのこと。彼はバーブラ・
ストライサンド主演の映画「スター誕生」を見て以来、女性シンガー主体のグループを
作りたがっていたそうです。

グループがデモを数曲作った頃に、プリンスはカナダ出身のモデルだったデニス・マシューズと
出会います。彼女のカリズマを感じ取ったプリンスはフッカーズのフロントにデニスを抜擢し、
ジェイミーはグループを離れることに。当初デニスの芸名は"Vagina"とされていたのですが、
露骨すぎる名前を彼女が拒否し、自らヴァニティと名乗ることにします。グループ名もそこから
ヴァニティ6と改められ、下着姿にハイ・ヒール、挑発的な詞というコンセプトも固まって、
プリンスのプロデュース、バックの演奏はザ・タイムの面々が担当してアルバムが録音されたの
でした。

デビュー・シングルの"He's So Dull"は不発に終わりましたが、一転してR&B/ダンス・チャートで
ヒットしたのがセカンドの"Nasty Girl"。"He's~"がシクスティーズ・ポップ風の明るい曲調だった
のに対し、こちらはグループのコンセプトにピッタリのストレートにエロい曲でした。

DMXとパーカッションがミディアム・テンポのファンク・ビートを刻み、マリンバ風のシンセが
ベース・ラインを繰り返します。つづいてオルガン風のキーボードがメインのリフを繰り返し
弾いた後、ヴァニティのヴォーカルがスタート。テク云々よりも、舌なめずりしながら
溜息で唄っているような、男ならソソられる感じの唄い方です。サビでは2人の女性がコーラスに
加わり、間奏ではヴァニティの喘ぎ声も入って妖しさ満点。後半はウネる身体の動きを音に
例えたようなシンセのソロやヴァニティのモノローグが入り、ヴォーカル隊とシンセがアドリブで
掛け合って終わります。

この曲をエレクトロと認定するのは少々無理がある気がしますが、打ち込みリズムとシンセ主体の
プリンス一派の音作りはエレクトロのミュージシャン達にも大きく影響を与えている気がして、
つい挙げてしまいました。特にザ・タイム絡みの曲のほうが、プリンス本人よりもストレートに
クロさが出ていて、個人的には気に入っています。






Lisa Lisa & Cult Jam with Full Force "I Wonder If I Take You Home" (CBS TA 6057) 1983

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リサ・リサ&カルト・ジャムは女性シンガーのリサ・リサことリサ・ヴェレスと、
ギター/ベースのアレックス"スパナドール"モーズリー、ドラム/キーボードの
マイク・ヒューズから成る3人組。デビューから一貫してフル・フォースの面々が
プロデュース/演奏でバックアップしています。

リサ・リサは'67年にNYのプエルトリコ系一家で10人兄弟の末っ子として生まれ、
子供の頃から歌手になることを夢見ていたそう。10代半ばの頃、昼はベネトンの工場で
働きながら夜はクラブに通っていたのですが、それはマドンナがファンハウスで
ジェリービーンに発掘されたという話を聞いて、自分も似た形でスカウトされないかと
期待してのものだったそうです。クラブ通いするうちにリサはパーカッショニストのマイクと
知り合います。彼はフル・フォースのバックアップ・メンバー兼ローディもやっていて、
リサにグループの結成を持ちかけます。ギターにマイクの友人だったスバナドールも
加わり、3人組になった彼らはフル・フォースのオーディションを受けて見事合格します。
合格の決め手はリサのヴォーカルの普通っぽさ、一緒に唄うのにぴったりの素人ぽさが
良かったからだそうです。

フル・フォースの全面バックアップで制作されたデビュー・シングル"I Wonder If~"は
いったんパーソナル・レコーズという小さなNYのレーベルから発売された後、すぐに
大手のCBSに買い取られ、先にイギリスで"Break Dancing"というコンピレイションの
中の一曲として発売されます。この曲はアメリカでも話題となり、アメリカのDJたちは
イギリスからの輸入盤をプレイしていたのですが、評判を聞いたアメリカのCBSがUSでも
発売するや大ヒットとなったのでした。

ラテンぽくシンコペイトするシンセ・ベースにムチのようにしなるシモンズ・ドラムが
絡み、TR-808が細かくリズムを刻んで、ヴォイス・サンプルがストリングス代わりに
鳴らされる上をリサが唄っていきます。上にも書いたとおりリサのヴォーカルは素人ぽく、
アドリブやシャウトも殆どなく音符のまま唄っている感じですが、それが却って可愛らしく
聴こえます。コーラスはフル・フォースの面々が取っており、彼らのオトコ声とリサの
ヴォーカルが会話のようにコール&レスポンスしたり、ハモったりして曲が展開していきます。

実際にはベースやシンセも入っているのですが、聴き終えて印象に残るのはビンビン鳴って
いるドラムとヴォーカルのみで、そんなリズム重視の作りがヒップホップ以降の唄もの
R&Bを感じさせます。また、リサのあっさり味のヴォーカルとラテン・リズムのアレンジは
シャノンの"Let The Music Play"辺りと並んでラテン・フリースタイル系の音楽のお手本に
なっていきました。







The Dominatrix "The Dominatrix Sleeps Tonight" (WEA X9572T) 1984

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ザ・ドミナトリックスはNYのアングラ・シーンで'70年代終わりから活動する
スチュワート・アーガブライトによるプロジェクト。このシングル一枚しか
リリースしていません。スチュワートは、アイク・ヤードやデス・コメット・クルー等
さまざまなグループで作品を残しているのですが、ここ(今回は日本語です)に詳しい
インタビュー
が載っているので、経歴はそちらをご参照ください。基本的には
ブラック・ミュージックというよりノー・ウェイヴ~ノイズ方面に多く関わって
きた人です。

"~Sleeps Tonight"は'84年の発表。今回ジャケ写を挙げたのはイギリス盤ですが、
アメリカではアーサー・ベイカーのストリートワイズからリリースされ、録音が
行われたのは元タンジェリン・ドリームのペーター・バウマンのスタジオ。作曲と
プロデュースに関わっているケネス・ロッキーはカウボーイズ・インターナショナル
というグループで活動していた知る人ぞ知るシンセ・ポップ系のミュージシャン。
もう一人のプロデューサーのアイヴァン・アイヴァンもブック・オブ・ラヴや
ディーヴォ等のニュー・ウェイヴ系のグループと関わりが深い人です。エンジニアの
ジェイ・バーネットがこの時期のアーサー・ベイカーとよく仕事をしていたので、
その縁でストリートワイズからのリリースになったのかもしれません。いずれに
してもNYのコスモポリタン的な性格が良く出た面子だとは思います。

かわいらしいヴォイス・サンプルが"Do-Dominatrix"と繰り返し、すぐにTR-808と
DMXを併用したドラム、シンセ・ベース、パーカッションが加わってビートを
刻みます。その後シンセが明るくメイン・テーマを4小節繰り返します。マイナー調の
ブリッジが入り、女性のナレイションでワイルドなSM風のパーティの模様を語り、
その後妙にエモーショナルな男性ヴォーカリストがサビを唄いあげます。その後は
シンセのリフと転調のブリッジが交互に展開していく感じです。

ドラム・マシンを使用してはいますが、シンセ類やヴォーカルの使い方は黒人音楽系の
エレクトロというより、デペッシュ・モード辺りのシンセ・ポップからの影響が大きく、
やはり白人スタッフによる音だよなあと思ってしまいます。スチュアートのこの後の
プロジェクトであるデス・コメット・クルーではよりヒップホップに接近した音を
聴かせてくれるのですが、個人的には苦手なタイプなのでシングルは持っていない
のでした...






Tom Browne "Rockin' Radio" (Arista AD 1 9089) 1983

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トム・ブラウンは、'54年にNYのクイーンズで生まれたジャズ・トランペッター。11歳の時にクラシック・
ピアノを習いはじめたのですがすぐトランペットに転向し、高校はNYの音楽学校に入学。その頃にジャズ
に開眼します。19歳の時にキーボード奏者のウェルダン・アーヴィンのギグでプロのミュージシャンとして
デビューし、その後ソニー・フォーチュンやロニー・スミスの作品でレコーディングを経験することに
なります。

'70年代終わりにはアール・クルーの紹介で、設立されたばかりのデイヴ・グルーシンとラリー・ローゼンの
GRPレーベルと契約し、'79年にアルバム"Browne Sugar"でソロ・デビュー。翌年のアルバム"Love Approach"
からは、女性シンガーをフィーチャーしたディスコ・ファンクな"Funkin' For Jamaica"がR&Bチャートで
4週連続1位を獲得する大ヒットになり、それ以降しばらくのアルバムにはR&B市場を意識した唄もの
ダンス・ナンバーが収録されることになります。

"Rockin' Radio"は、前回紹介したボビー・ブルームもギターで参加している'83年の同名アルバムからの
シングル・カット。ボビーの曲のプロデューサーだったデイヴィッド・スプラッドリー&テッド・キャリアも
別の曲に参加しているのですが、"Rockin' Radio"では、モーリス・スターとマイケル・ジョンザンの
兄弟にプロデュースを委ねて、かなり直球のエレクトロに挑戦しています。

ジョンザン・クリュー"Pack Jam"そのまんまなDMXとシン・ドラムがイントロから鳴り響き、トムの
トランペットがハイ・ノートをヒットします。つづいてブヨブヨのシンセ・ベースをバックに
ヴォコーダーが曲名を連呼し、ストリングス・シンセがメインのメロディを弾きます。ここまでの
展開もトランペットを除けば"Pack Jam"と殆ど同じ。その後低音の男性がシンセ・ベースのリズムに
合わせて"Rock!""Space!"等と掛け声を入れます。それ以降はトランペット/シンセ/ヴォコーダー/男性Vo.が
順列組合せでソロを取っていくような感じです。

売れている時だけに、ちょこっとメロディ・ラインやソロを作って、トラックは自分たちのオハコで
済ましてしまったような感じでしょうか。それでもこの曲はヒットしてしまうのだから勢いというのは
恐ろしいです。こういう、「どう聴いても使い回しだよな」と思える他の例としては、バンバータの
"Looking For The Perfect Beat"
→チャカ・カーンの"My Love Is Alive"も聴き比べてみると
面白いです。





Bobby Broom "Beat Freak" (Arista ADP 9260) 1984

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ボビー・ブルームは'61年にNYのハーレムで生まれたジャズ・ギタリスト。12歳の頃からギターを
始め、その翌年からはプロのギタリストに師事して本格的に演奏を学ぶようになります。高校は
音楽の専門校に入学してジャズ・アンサンブルでの演奏を行い、彼のインプロビゼイションは
コンクールで入賞したとのこと。

在学中からアル・ヘイグやウォルター・ビショップ・Jr.のグループのメンバーとして活動を
始め、'77年にはカーネギー・ホールで行われたソニー・ロリンズのコンサートにドナルド・
バードらと共に出演。その後2年間はバークレー音楽院に入学してより深くジャズを学ぶことに
なります。

その後フュージョン系のトランペッターだったトム・ブラウンのグループに加入し、トムの
'80年のアルバム"Love Approach"で初のレコーディングを経験。高校の級友だったマーカス・
ミラーやオマー・ハキム、バーナード・ライトらも参加したこのアルバムから、GRPレーベル
との繋がりを深め、翌年には同レーベルから初のリーダー・アルバム"Clean Sweep"を発表。
この頃はウェス・モンゴメリー~ジョージ・ベンソンの流れを汲む、フュージョン・タッチの
ソウル・ジャズを演奏していました。

師匠のトム・ブラウンに歩調を合わせるように、ボビーも自身の作品にR&B/ファンク的な音を
取り入れるようになり、'84年のセカンド・アルバム"Livin' For The Beat"ではアルバムの
半数の曲がヴォーカル入り。特にアルバム冒頭の2曲では、ブギー・ボーイズプロジェクト・
フューチャー
の項に登場したテッド・キャリア&デイヴィッド・スプラッドリーのコンビを
プロデュースに迎えて、大胆にエレクトロにアプローチしています。今回の"Beat Freak"は
そのうちの一曲です。

穏やかなストリングスとギターの導入部が一転して、ズドーンというハンマー・ビートと
マッチョな"Beat Freak!"という男性コーラスが鳴り響きます。その後フェアライトCMIを
使用したヴォーカル・サンプリングがベース代わりに跳ね、オーケストラ・ヒットが派手に
アクセントをつけていきます。その後はアート・オブ・ノイズを意識したと思しきサンプリングと
スクラッチ風のエフェクトがひたすら鳴らされ、ボビーのギターは終盤にジミヘン風の
ソロをちょろっと入れるのみ。聴き終えて耳に残るのはハンマー・ビートとベースの
えぐい音色でした。

テッド・キャリア達の音は、手掛けたアーティストの音楽性を生かすよりも自分たちの音に
完全に染めてしまうタイプですが、それにしてもこの曲はやり過ぎの感が無きにしもあらずで
今聴くと強烈に時代を感じます。アナログ系の電子楽器の音が、時代をふた廻りして却って
新鮮に聞こえるのと違い、こういう、いかにもサンプリングを使い倒しましたという音は
まだ寝かし足りないんでしょう。主役のボビーもどこにいるのかわからない感じなんですが、
当時は「この新しい音でR&Bチャートに食い込むぞ!」とか思っていたんだろうなあ。







NYC Peech Boys "Come On,Come On(Don't Say Maybe)" (Garage ITG 202) 1984

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NYC・ピーチ・ボーイズはDJのラリー・レヴァンとキーボード奏者のマイケル・デ・ベネディクタスを
中心に'80年代初頭に結成されたグループ。他のメンバーはバーナード・ファウラー(ギター/ヴォーカル)、
ロバート・キャスパー(ギター)、ダリル・ショート(ベース)、スティーヴン・ブラウン(パーカッション)
で、これにマイケルを加えた5人がメンバーで、ラリーはプロデューサーとして関わっていました。

ラリーの名前は当ブログでも何度か出てきましたが、'70年代後半からNYのクラブで活動してきた伝説の
DJです。'77年から専属のDJとして活動したパラダイス・ガラージというクラブでの選局/DJプレイは、
デヴィッド・マンキューソの「The Loft」やニッキー・シアーノの「The Gallery」といったパーティと
並んで、ポスト・ディスコ期のダンス・ミュージック-ハウス/ガラージの礎を築いたものとして高く
評価されています。

ラリーはDJとして活動する一方で、ディスコ用の12インチ・シングルのリミキサーとしても多数の
作品を手掛けたのですが、その1枚が'81年にリリースされたトゥワイス(2wice)というグループの
"You Set Me On Fire"というシングル。この曲はフュージョン・タッチのディスコという印象ですが、
ラリーはここでプロデュースを手掛けていたロバート・キャスパーやベネディクタスと知り合うことに
なります。リミキサーとしてだけでなく、自らプロデュースも行う野望を抱いていたラリーは、
ベネディクタスにバンドの結成を持ちかけ、そこからピーチ・ボーイズが誕生します。

グループはウェスト・エンド・レーベルからデビュー曲"Don't Make Me Wait"を発表した後、大手の
アイランドに移籍してアルバム"Life Is Something Special"をリリース。既に神格化されていた
ラリーがプロデュースするグループのアルバムで、キース・ヘリングがデザインを手掛けたジャケットも
手伝っておおいに話題になったものの、セールス的には全くふるわない結果に終わりました。今聴いても、
ダンス・ミュージックに中途半端にロックの要素を盛り込んだ音は正直ダサく、"Don't Make~"の
路線でやれば良かったのに...と思ってしまいます。

そんな失敗をチャラにするために(?)、ラリーがアイランド傘下に新たに設立したその名も「ガラージ・
レコーズ」から、パドロックにつづいてリリースされたのが"Come On,Come On"でした。この曲は、アルバム
の内容とは路線修正を図ったヴォコーダー・ファンクを聴かせてくれます。

ブヨブヨのシンセ・ベースにリン・ドラムとギターのリズム隊が絡み、エレピが鳴る上をヴォコーダーと
ヴォイス・サンプルのフレーズ弾きがソロを取って曲が進んでいきます。メタリックな音色のドラムは
システムのデイヴィッド・フランク風。"Don't Say Maybe"のヴォイス・サンプルが遊びのように繰り返されたり、
マリンバ風のシンセ・ソロがあったり、ドラムが中盤以降重低音化したり...等々、今イチ音が整理されないまま
スタジオ・ジャム風に曲は盛り上がって終わります。

けっきょくこの曲もヒットにはつながらず、グループはもう1枚シングルを出して消滅してしまうのですが、
アレンジ面に加えて、曲の出来もあまり良くなかったことが失敗の原因でしょう。グウェン・ガスリーを
フィーチャーしたパドロックのように、マニアの間では高い評価を得た、みたいなことも殆ど無く("Don't
Make Me Wait"だけはクラシックとされてますが)、ガラージ・サウンドの徒花として記憶の片隅に残って
いるような状態です。この曲は、キース・ヘリングがアニメーションを手掛けたビデオ・クリップがある
はずなのですが、ネット上を探しても見つからないのも残念です。







R.J.'s Latest Arrival "Swing Low" (Atlantic DMD 847) 1985

rjslatestarrival.jpg
R.J.ズ・レイテスト・アライヴァルは'70年代終わりにデトロイトで結成されたR&B系グループ。
中心メンバーはプロデューサー/ヴォーカリスト/キーボード奏者のR.J.ライスで、彼と女性
シンガーのディー・ディー・レイッタ(たしかRJの妹)の二人のヴォーカリストを中心に、ギターの
ポール・マンロー、クレイグ・レイン&ディーン・ディピエロの二人のキーボード奏者、そして
ドラムのパリス・リースの6人組でした。

バイオグラフィが見つからないのでレコードのリリース歴から判断すると、デビュー当時は
ザップ~ミッドナイト・スター辺りの影響を受けたディスコ・ファンクを演っていたのですが、
'82年のセカンド・アルバムから打ち込みのリズムを取り入れはじめ、サード・アルバムからは
ヴォコーダー+エレクトロ・ファンクのシングル"Shackles"が大ヒット、そのおかげでメジャーの
アトランティックと契約し、4枚めのアルバムの先行シングルとして発表されたのが今回の
"Swing Low"です。

彼らはデビューから一貫してRJによるセルフ・プロデュース(The WizはRJの変名)で作品を
発表していますが、地元デトロイトの才能を発掘することにも熱心で、今作でミックスを
手掛けているデュアン・ブラッドレーは、前回のサイボトロンの項に登場した
エレクトリファイン・モジョ一派のDJ。そしてスクラッチを担当していたのは若き日の
ジェフ・ミルズ(!)でした。

"Jam-Jam-Jam-Jam On!"の掛け声につづいてDMXが派手にビートを刻み、さらにリン・ドラム、
リズム・ギター、ストリングス・シンセが加わります。ビコビコと跳ねるシンセ・ベースを
バックにRJが軽薄なトーンでラップして曲が進み、サビではストリングス・シンセがソロを
取ります。つづいてはディーディーがラップをはじめ、サビでは彼女が唄います。その後は
RJのラップ/ディーディーのヴォーカル/コール&レスポンス等が順列を入れ替えて唄われる
感じ。ブレイク部分に入るジェフ・ミルズのスクラッチもシャープにキマっています。

聴けばすぐわかるのですが、この曲は"Shackles"の改作みたいなもので、基本的なメロディや
アレンジは殆ど同じです。メジャーに移籍したおかげで使用機材が高価になり、ミックスにも
手間が掛けられてアップデートされたような感じ。それでもこの曲をつい挙げてしまったのは、
私が初めて彼らの曲を聴いたのがこれで、刷り込みでこっちがオリジナルのように思えてしまうから。
それとDMXのバンバン言ってる音が私好みだからなのでした...彼らはエレクトロというより、
R&B系のグループが打ち込みやラップを取り入れた、というタイプですが、当時はけっこう
お気に入りでした。



Cybotron "Clear" (Fantasy D 216) 1983

cybotron.jpg
サイボトロンはデトロイト出身のホアン・アトキンスとリチャード・デイヴィスによって'80年に
結成された、デトロイト・テクノの重要グループ。'85年にアトキンスが音楽的な方向性の違いから
脱退するまでの作品は、今日「テクノ」と呼ばれる音楽の基礎を作ったものとして高く評価されて
います。

アトキンスは'62年にコンサート・プロモーターの息子としてデトロイトに生まれ、十代の頃に
ベースを、つづいてキーボードを学びます。'70年代末当時のアトキンスは地元デトロイトの
ケン・コリアーとエレクトリファイン・モジョという二人のラジオDJがお気に入りだったそうですが、
当初は彼らがプレイするP-ファンク系の音楽に惹かれていたのが、彼らを通じてその他のシンセ系の
グループ-クラフトワーク、テレックス、ゲイリー・ニューマン、プリンス、B-52ズなど-にも
興味を持つようになっていきます。

ジュニア・ハイスクールに入学したアトキンスは、初めて自分のシンセとしてコルグのMS10と
ミキサーを購入し、カセット・デッキに自身の作品を録音するようになります。高校を卒業して
電子音楽についてより学ぶためカレッジに入学した頃、アトキンスは十歳年上のリチャード・
デイヴィスと知り合います。二人はエレクトリファイン・モジョの熱心なリスナー同士という
ことで意気投合し、リチャードのシンセに関する知識の深さにも敬意を抱くようになったアトキンスは
行動を共にするようになります。

二人は'80年にサイボトロンを結成してレコーディングを開始。自身のレーベル、
ディープ・スペース・レコードを設立してデビュー・シングル"Alleys of Your Mind"を'81年に
発表します。この曲はエレクトリファイン~の番組でもたびたびプレイされ、デトロイト周辺で
ローカル・ヒットを記録します。リスナーの殆どはこの曲がアメリカの、しかもデトロイトで
録音されたものとは思っていなかったそうですが、つづくシングル"Cosmic Cars"も好評で、
グループはファンタジー・レーベルとの契約を獲得、デビュー・アルバムの"Enter"を同レーベルから
発表することになります。

"Clear"は'83年に発表された、アルバムからのファースト・シングル。どういった繋がりなのかは
不明ですが、リミックスにはスペシャル・リクエストザ・バガーズの項に登場したホセ"アニマル"
ディアスが起用されています。作曲者の3070というのはリチャードの変名です。

男声のカウントにつづいてTR-808のビートとストリングス・シンセがスタートし、タメの効いたシンセ・
ベースがビコビコと鳴ります。光線銃を思わせる音色のシンセが循環するフレーズを繰り返し、
ディレイのかかったストリングス・シンセが風のような2小節のリフを入れていきます。その後
高低2種のヴォコーダー・ヴォイスが"Clear,Clear,Clear All This Space"等と抑揚の無いトーンで
唄いはじめます。その後はヴォコーダーとシンセ類が交互にソロを取って進んでいきます。
1か所クラフトワークの「ヨーロッパ特急」を模したようなシンセのフレーズがあり、ここは前年の
ヒット「プラネット・ロック」を意識したのかと思います。

使用している楽器はヒップホップ畑の人のエレクトロとあまり違わないのですが、ディスコとロックの
中間のような独特のタテのりなビート、抽象的/観念的な詞、抑揚の無いヴォーカル、そして全体から
漂うダークな感覚が、圧倒的に「異質な音楽」を感じさせます。私はデトロイト・テクノは正直苦手
なのですが、コレを最初に「オレの音楽だ」と自信を持って差し出したアトキンスの独自性には感服します。






Kraftwerk "Musique Non Stop" (Warner Bros. 20549) 1986

kraftwerk.jpg
クラフトワークは'70年にドイツのデュッセルドルフで結成されたテクノ界の重鎮グループ。
前回のニュー・オーダー同様日本でもよく知られた存在なので詳しい経歴は省略します。
'70年代後半~'80年代前半に発表された「ヨーロッパ特急」、「ナンバーズ」、「ツール・
ド・フランス」といった曲がアフリカ・バンバータをはじめとしたエレクトロの
アーティストに多大な影響を与えたことはご存じのとおりです。

"Musique Non Stop"は、'86年のアルバム「エレクトリック・カフェ」からの先行シングル。
彼らの作品では珍しく、ミックスに外部のスタッフを起用していて、ハウス畑のフランソワ・
ケヴォーキアンと、ロック系のアーティストを多く手がけているロン・ST.・ジャーメインが
関わっています。

曲の出だしはアルバムの一曲目"Boing Boom Tschak"と全く同じで、"Boing~"という男性の
ロボット・ヴォイスが4小節繰り返され、その終わりでダブ処理されたバスドラがアクセントを
入れます。次のヴァースではリン・ドラムがそこに加わり、ファンキーなビートを4小節刻んで、
次の4小節ではTR-808がビートに加わります。そこでそれまでの展開はいったん終わり、
人声のサンプルが息のような2小節のフレーズを繰り返し、TR-808のビートとシーケンサーを
バックに、ロボ声に加工された男女の声が曲のタイトルを連呼していきます。チリチリと鳴る
TR-808と2種類の"Musique Non Stop"の掛け声がひたすら繰り返され、ベースやストリングスの
ようなメロディアスな要素が殆ど入らないまま曲は進みます。終盤はヴォーカルも抜けて
バスドラとTR-808のハイハットとシンプルなシンセのリフのみになり、それがエンドレスで
鳴っているような印象で曲は終わります。

この曲(アルバム全体も)は、それまで彼らが影響を与えてきたエレクトロ・ヒップホップに、
今度は逆に影響を受けたような印象です。旧式化して一般的には殆ど使われなくなっていた
TR-808をリズム・トラックに絡めているところや、イントロ部分でのファンキーなビート、
メロディやコード感を排したリズム重視の作り等々...それでも執拗な4小節の繰り返し等に
みられる極端に規則的、人工的な感覚には彼ららしいこだわりも感じられます。アメリカの
黒人たちにもウケていると知っても、ここでゲスト・ラッパーを入れたりはしないところが
重鎮としての矜持みたいなところなんでしょうね。







New Order "Confusion" (Factory FAC 93) 1983

neworder.jpg
ニュー・オーダーはイギリスのマンチェスターを拠点に活動していた4人組のロック・グループ。
日本でもよく知られた存在なので詳しい経歴は省略しますが、前身のジョイ・ディヴィジョン~
'80年代初頭まではギターを中心とした生演奏による暗鬱な音楽性だったのが、徐々にシンセや
打ち込みのリズムも取り入れた音に変化していき、'83年のシングル「ブルー・マンデイ」では
クレイン&MBOやシルヴェスターの曲にヒントを得たエレクトリック・ダンス・ミュージックに
変貌します。この曲は全英チャートでトップ10入りする大ヒットとなり、その路線をさらに
進めた曲としてリリースされたのが"Confusion"です。

この曲はNYでアーサー・ベイカーのプロデュースのもとで録音され、ミックスにはジョン・
ロビー
ジェリービーンが参加しているのですが、ニュー・オーダーのメンバーは
レコーディング以前はベイカー達について何も知らなかったとのこと。ベイカーの起用を
決めたのは、ファクトリー・レーベルのUS部門を取り仕切っていた映像作家のマイケル・
シャンバーグの強い推薦からだそうです。メンバーは楽曲も全く書かずにNYに赴き、スタジオで
ベイカーと作業しながら作曲/アレンジを行い、ラフ・ヴァージョンが出来上がると
(ジェリービーンがレジデントDJをつとめていたクラブ)ファンハウスでテープのままプレイし、
ダンサー達の反応を見ながら手直しを加えていったとのこと。ほぼ同じ時期に同じスタッフで
録音されたため、ドラムやシンセ類の音色にはフリーズの"I.O.U."に通ずる感触があります。

DMXとTR-808を併用した軽快なビートが刻まれ、シンセ・ベース、ピコピコ音のシンセ、
不協和音のピアノ、ストリングス・シンセ等が一斉に入ってきます。男性の"Confusion!"と
言うコーラスが繰り返された後、冷めたトーンの男性ヴォーカルがオルゴールのような音色の
シンセとユニゾンで"You Just Can't Believe Me,When I Show You What You Mean To Me"と
メインのリフレインを唄い、その後はギターのバーナード・サムナーがソロで唄って曲が
進みます。女性コーラスも加わった2度めのサビの後、ドラム・ブレイクやダブ/エディット
処理されたパートが入り、その後はギター・ソロへ。終盤は男性コーラスがメロディ抜きで
"Why Can't You See"等とワイルドにシャウトしまくり、どこか混沌としたまま終わります。

曲の構成やアレンジにはベイカーのカラーを、ドラムの音色にはジェリービーンの個性を
感じさせるいっぽうで、冷めたヴォーカル、ダンス・ミュージックなのにどこか翳りを
帯びているところにはニュー・オーダーのグループ自体の個性も感じさせ、私も好きな曲です。
そう言えばジェリービーンの名前を最初に意識したのもこの曲でした。いかにも取って付けた
ようなギター・ソロはいただけませんが...







Art Of Noise "Beat Box" (ZTT ZTIS 108) 1984

artofnoise.jpg
アート・オブ・ノイズはイギリスの白人プロデューサー、トレヴァー・ホーンを
中心としたプロジェクト。後にゲイリー・ランガンやアン・ダドリー等をメンバー
とする実態を伴ったグループとして活動するようになりますが、デビュー当初は
ホーン一人による架空のグループだったと言って差し支えないと思います。

ホーンは'49年にイギリス北部の小さな町で生まれ、ロンドンに出てきた20代後半に
セッション・ミュージシャンとして活動を開始。ティナ・チャールズやビドゥといった
ディスコ系のミュージシャンのバックで演奏していたそうです。'78年にバンド仲間
だったジェフリー・ダウンズと共にバグルスを結成し、ティナ・チャールズの
ギタリストだったブルース・ウーリーも作曲に加わったシングル"Video Killed The
Radio Star"を'80年に発表、全英チャートで1位を記録する大ヒットとなります。
同年に二人はプログレ系のロック・バンド、イエスのメンバーに乞われてグループに
加入するも、プロデュース業に専念したいホーンは数か月で脱退し、そこから
プロデューサーとしての活動が始まります。

初仕事のダラーというポップス系グループの作品は不発に終わりましたが、その後の
ABC、当ブログでも取り上げたマルコム・マクラレン、古巣のイエスのアルバム等が
つぎつぎとヒットを飛ばします。当時の最先端のテクノロジーを駆使した新しい音を
作りつつ、ポップで洗練された曲に仕上げることの出来るホーンの手腕は注目を集め、
ミュージシャン本人よりもプロデューサーの名前のほうがクローズ・アップされる
ような時代を作り出していきました。サンプリングを使用した「ジャン!」という
「オーケストラ・ヒット」の手法は、当時のイエスのシングルでホーンが初めて使用
して一般化したものです。

さらにホーンはレーベル、ZTTを設立し、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドや
プロパガンダをデビューさせ、こちらもヒットします。とにかくホーンが関わった
レコードはすべて「最先端の音」として話題になる無双状態の頃に、新たに謎の
グループとしてデビューしたのがアート・オブ・ノイズでした。当初はシングルが
発売されませんでしたが、ミニ・アルバム"Into Battle"からシングル的な扱いで
プロモートされていたのが"Beat Box"。ビデオ・クリップはスタジオでミキシング卓
をいじるホーンの姿と、ロンドンの街頭風景がコラージュされたもので、そこからも
ホーン一人による覆面グループとの噂が広まっていきます。

この曲は、通常のレコーディングで用いられるようなドラム・マシンやシンセ類が
殆ど使われず、当時は高級機だったフェアライトCMIを使い倒して作られています。
フェアライトでさまざまな楽器や日常音、ノイズ等をデジタル・サンプリングし、
その音をキーボードで手弾きしたり、シーケンサーに自動演奏させたものをミキシング
卓でピッチや音色等を調整して作り上げたもので、通常の「楽器の音」が聴こえて
こない感覚に、初聴きの時は衝撃を受けました。

以下、「ドラム」とか「ギター」とか書いているのは全て「フェアライトでサンプルした
音の~」と頭に付いているものとして(笑)読んで下さい。

重低音化したドラムが「ズドーン」とファンキーなビートを刻み、ブギウギ風のビアノが
オーケストラ・ヒットの連打をバックにソロを取り、トワンギーなギターが鳴ります。
つづいて高音低音の2種のヴォイス・サンプルが交互に鳴らされてメインのメロディを
奏でて、その後別のヴォイス・サンプルがパーカッシヴに鳴らされます。後半は転調して
オルガンのソロが入ったり、エンジンの起動音やピアノ、オケ・ヒット等が入れ替わり
登場、終盤に2種のヴォイス・サンプルに戻り、クロス・フェードして本物のアコースティック・
ピアノが同じメロディを奏でて終わります。

この曲は、イントロから鳴らされるドラムのビートにやられました。ゲイト・リヴァーヴの
かかった重低音ドラムは既に耳慣れたものでしたが、サンプラーを通して独特の硬い質感に
聴こえるスネア音が新鮮で、それだけ聴きたくて何度も掛けた記憶があります。







Klein & M.B.O. "Dirty Talk" (Zanza ZR 0107) 1982

kleinmbo.jpg
クレイン&M.B.O.はイタリア人のマリオ・ボンカルドとNY出身のトニー・カラスコに
よるプロジェクト。マリオはシシリー島で生まれ、幼少の頃に北部のボローニャ近郊に
あるフォルリという町に転居します。すぐに音楽に興味を示すようになったマリオは
ビアノやギターを学び、'60年代後半にはDJとしての活動を開始。'70年代はじめには
DJの腕を買われてミラノへ移住します。彼のプレイは当時のヨーロッパではまだ
珍しかった、アップテンポの曲ばかりを選んでかけるもので、好評を博したそうです。

'70年代半ばには地元フォルリへ戻り、DJ専門のレコード店をオープン。その頃から
マリオの頭の中にはパーカッションを中心にしたダンス・ミュージックを制作する
構想があり、旧友のドラマーやプロデューサーを誘ってデモを制作します。曲は
いったん完成したものの、インストの内容に物足りなさを感じたマリオはヴォーカルを
入れることを決め、そこで作詞家として雇われたのがアメリカ人のDJだったトニー・
カラスコでした。

フロントに3人のヴォーカリストを雇って完成させたのがB.B.&バンドのシングル"All
Night Long"。イタリアをはじめヨーロッパ各地でヒットを記録し、自信をつけた
マリオとトニーが、新たなプロジェクトとして始めたのがクレイン&M.B.O.でした。
M.B.O.というのは「Mario Boncaldo Orchestra」の略だそうです。新たに
ヴォーカリストとして雇われたのが、NY生まれのイタリア系シンガーのロッサーナ・
カザーレと、アメリカでバック・ヴォーカリストとして活動していたネイミー・
ハケットの二人の女性。男女混成だったB.B.~と違い、こちらでは女性ヴォーカルに
焦点を絞って制作され、ミラノのザンザ・レコードから発表されたデビュー・シングルが
"Dirty Talk"です。

TR-808が4つ打ちのビートを刻み、ファンキーなリズム・ギターとわずかにタメの入った
シンセ・ベースが加わります。ちょっとロリ声っぽい女性ヴォーカリスト(ロッサーナ)が
唄いだし、エロティックな妄想の詞とジョルジオ・モロダー風のベース・シークエンスが
妖しく盛り上がっていきます。中盤からは女性コーラスを従えたスキャットのアドリブが
はじまり、更にロッサーナのモノローグや笑い声と男性の"Dirty Talk"というコーラスが
絡みあいます。後半にはドラムやシンセ類の長いソロ・パートがあり、その後ふたたび
ロッサーナのヴォーカルが戻ってきて終わります。

バックの演奏はペナペナでチープな音なのですが、TR-808を中心とした4つ打ちのリズムと
ウニウニと繰り返されるシンセ・ベース、退廃的で妖しい雰囲気が新鮮で、聴いている
うちに引き込まれていきます。アメリカではアトランティック・レーベルにライセンスされ、
NYのガラージ系のクラブやシカゴのアングラ・シーンでヒット。DJインターナショナル・
レーベルのロッキー・ジョーンズは、この曲をヒントに初期シカゴ・ハウスの音を作り出した
とも言われています。また、下に挙げた"Credit To~"のライナーによると、マンチェスターの
ハシェンダ・クラブでDJのヒューワン・クラークがこの曲をかけていると、そこにニュー・
オーダーのメンバーが現れて、次のシングルのレコーディングの参考にしたいからレコードを
貸してくれと言われ、その後完成した曲があの「ブルー・マンデイ」だったとのこと。たしかに
ドラム・マシンとベース・シークエンスの絡み方が似ています。

また、女性の笑い声の部分は、サンプリングの「声ネタ」としても人気です。








Alexander Robotnick "Problemes D'Amour" (Sire PRO 2316) 1984

alexanderrobotnick.jpg
アレクサンダー・ロボトニックはイタリアはフィレンツェを拠点に活動する
キーボード奏者/プロデューサーのマウリツィオ・ダミによるプロジェクト。
ダミは、'70年代終わりごろから昼は公務員として働きながら、夜はスタンダード
を演奏するジャズ・ミュージシャンとして活動をはじめ、ほどなくして
「ダンス・キャバレー・バンド」だというアヴィダ(Avida)というグループを
結成します。アヴィダは地元のマテリアリ・ソノーリというレーベルと契約し、
'81年にシングル"La Bustina"を発表。その頃からダミは電子音楽に興味を持つ
ようになり、もともとはギタリストだったのにギターそっちのけでキーボード
(最初に買ったのはローランドのTR-808とTB-303だったそう)に向かうように
なっていったそうです。

さらにマテリアリ~のスタッフだったジャンピエロ・ビガッツイから「ダンス・
ミュージックを演れば儲かるぞ。バスドラを4つ打ちにするだけでいいんだ」と
言われ、ダミは自身の作品にディスコ・ビートを取り入れることにします。
当時のダミはジョイ・ディヴィジョンやジョルジオ・モロダーに入れこんで
いたそうですが、クラフトワークとグレイス・ジョーンズを意識して、また
歌詞を全てフランス語にして「作ってみた」のが今回の"Problemes D'Amour"
です。名前もロボトニックとエレクトロ仕様に改めてマテリアリ~傘下の
ファズ・ダンス・レーベルから発表された"Problemes~"は、アメリカでは
前回のレイド・バックと同じサイアー・レーベルにライセンスされて、クラブ
を中心にヒットを記録します。因みに、フランス語の響きがスノッブな印象を
与えるこの曲ですが、これはダミが英語を話せないために取った苦肉の策だ
そうです。

TR-808が4つ打ちビートを刻み、シンセ・ベースがウニウニとうねります。オルガンと
シンセがユニゾンでメインのリフを弾き、エコーのかかったギターがゆるくジャーンと
鳴らされます。フランス語の女性コーラスが"Aua! C'est le cri d'un robot
souffrant d'amour, aua"と唄い、それに応えるようにシンセがリフを弾いて曲が
進み、サビではダミが少々やけっぱちなトーンでフランス語のラップを披露。
その後はシンセ/ギター/女性コーラスの流れが繰り返され、終盤ではわずかに
ドラム・ブレイクやベース・ソロ、女性コーラスへのエディット等が入ります。

このアメリカ盤12インチは、NYの「ベター・デイズ」の専属だったDJのブルース・
フォレストがエディットを施していますが、オリジナルのダミのトボケた味の
ヴォーカルを大幅にカットして、シンセ・ベースと女性コーラスの"Ah Ou Ah"の
部分を伸ばした作りになっています。ボトムとリフが強化されてシャープな印象に
なったこのヴァージョンは、デイヴィッド・マンキューソやラリー・レヴァンも
ヘヴィ・プレイしていたそうです。







Laid Back "White Horse" (CBS A 12 4324) 1983

laidback01.jpg
レイド・バックは'79年にデンマークで結成された白人男性デュオ。メンバーはギター&
ベース担当のジョン・グルドベルグと、キーボード/ドラム/ベースのティム・スタール
です。二人は'70年代半ばにスターボックス・バンドというグループのサポート・メンバー
として出会い、グループが解散した後も行動を共にしてレイド・バックを結成。
コペンハーゲンのジョンの自宅に造ったスタジオで、自作の曲を録音していきます。
二人ともリード・シンガーになる自信は無かったので、ヴォーカルの高音部をティムが、
低音はジョンが唄う分担制にしたそうです。

'81年にデビュー・アルバムとシングルの"Maybe I'm Crazy"を同時リリース。シングルは
デンマークのチャートで一位を獲得して好調なスタートを切ります。彼らの最大のヒットに
なったのが翌年にシングル・カットされた"Sunshine Reggae"。レゲエ・リズムを使用した
ソフトなポップスといった印象の曲ですが、'83年にイタリアやドイツで1位を獲得したのを
皮切りに世界中で大ヒットし、トータルで200万枚以上を売り上げたとのこと。

彼らの音楽はシンセやリズム・ボックスを多用してはいるものの、基本的にはエレクトロと
言うよりロック~ポップス系に分類されるような音で、アルバムを通して聴くとけっこう
退屈なのですが、殆ど例外的にまっ黒な音に仕上がっているのが今回の"White Horse"。
ラリー・レヴァン等ガラージ系のDJも好んでプレイし、アメリカのダンス・チャートでも
1位を獲得する大ヒットになりました。因みに、歌詞の「Horse」はヘロインの、「Pony」は
コカインの暗喩だそうで、ボンヤリ聴いていると意味不明な歌詞は、実はドラッグとセックス
に関するコペンハーゲンのナイト・ライフについて唄ったものだそうです。

ペナペナのリズム・ボックスにタメの効いたシンセ・ベースがグニグニと絡み、そこにシモンズ・
ドラムとギター・シンセが被さってきます。ギター・シンセが時おりグニャーと捻るような
フレーズを入れる以外は、それらシンセ類が2小節をひたすらループしていく上を、抑えたトーンの
低音の男性ヴォーカルがユニゾンで唄って曲が進んでいきます。詞は「乗りたいなら、ホワイト・
ホースには乗るな」とか、「金持ちになりたいなら、ビッチにならないとダメだ、リッチ!ビッチ!」
といった感じのブッ飛んだもの。中盤でエディット付きのドラム・ブレイクが入りますが、
すぐに妖しいヴォーカルが戻ってきて不気味な繰り返しのまま終わります。

もともとは"Sunshine~"のB面として発表した曲が、アメリカではこちらばかりプレイされる
ようになりA面化されたものだそうで、アメリカでは彼らのことを黒人のグループだと思い込んで
いた人も多かったとのこと。ちょっと変態っぽいマッチョなエレクトロ・ファンクで、個人的にも
大好きな一曲です。







Freeez "I.O.U.(Megamix)" (Beggars Banquet 600 902) 1982

freeez.jpg
フリーズは'70年代後半にロンドン郊外のサセックスで結成されたジャズ・ファンク・
グループ。メンバーはヴォーカルのジョン・ロッカ、ポール・モーガン(ドラム)、
ピーター・マース(ベース)、アンディ・ステネット(キーボード)の4名です。当初は
メジャー・レーベルとの契約が得られなかったため、彼らは自分たちのレーベル、
ピンク・リズムを設立してデビュー・シングルの"Keep In Touch"を発表。ギターに
インコグニートのブルーイが参加したこの曲は3万5千枚の好セールスをあげ、ここで
新興レーベルだったベガーズ・バンケットとの契約を取り付けます。ベガーズ~に
移籍して2枚めになるシングル"Southern Freeez"は、黒人女性シンガーのイングリッド・
オールマンをヴォーカルに迎えたポップなディスコ・サウンドが好評で、初の全英チャート
トップ10入りを果たし、'81年にデビュー・アルバム"Southern Freeez"を発表。当時
イギリスで流行していたブリト・ファンク~ジャズ・ファンクの典型のような音楽性で
人気を博しました。

ファースト・アルバムの成功で自信をつけたピーター・マースは、ちょうどその頃話題に
なっていた「プラネット・ロック」に興味を持ち、プロデューサーのアーサー・ベイカー
セカンド・アルバムに参加することを要請します。ベイカーの求めに応じて彼らは渡米して
NYの「ファンハウス」や「ゼンジバー」といったクラブでライヴを行い、観客の反応も
上々で、ベイカーからも参加を快諾されることとなりました。

"I.O.U."は'82年にリリースされた、セカンド・アルバム"Gonna Get You(Beggars Banquet
BEGA 48)"からのファースト・シングル。プロデュースは前述のとおりアーサー・ベイカーで、
ミックスには相方のジョン・ロビーに加えてジェリービーンも参加しています。今回
ジャケ写をあげたドイツ盤シングルには"megamix"のサブタイトルが付いていますが、特に
他の曲とミックスされているわけではなく、オリジナルより30秒ほど長くなっているだけ
のようです。

チープな音色のシンセがサイレンのようなフレーズを繰り返し、4小節の終わりでは
テープを早回ししたようなアクセントが入ります。シンセ・ベースとTR-808のビートが
加わり、アコースティック・ピアノがコードを弾く中、トライアングルをサンプルした
シンセがメインのメロディを奏で、それを追うようにヴォーカルが入ってきます。リードを
取るのは男性のジョン・ロッカですが、ファルセットで唄っているため殆ど女性のようです。
バック・ヴォーカルとユニゾンで"A! E! A-E-I-O-U, I Sometimes Cry"と繰り返すコーラスが
印象的です。中盤でシンセ・ベースのソロやスネア連打、ジェリービーンによるエディット
が入り、後半はコーラス隊にリード・ヴォーカルのアドリブが絡みます。終盤にはジョン・
ロビーのキーボード・ソロと、ヴォーカル・サンプリングのフレーズ弾きが入り、最後に
サイレンのようなシンセのみに抜けて終わります。

フリーズのもともとの音楽性とは大きく異なり(ドラムのポールはアルバムにも一切参加して
いません)、ベイカーの色に完全に染まったポップなエレクトロ・サウンドです。米英両国で
大ヒットして、ふだんヒップホップを聴かないような層にもベイカーの音を届けた功績は大。
アルバムも(この時期では珍しい)ベイカーの全面プロデュースで、イギリスのグループなのに
NYど真ん中な音が出てくるのが当時なんだか不思議でした...








プロフィール
クロい音楽全般が好きなのですが、 ここではエレクトロとオールド・スクールの アナログ盤に絞って紹介していきます。

KDMX

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