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Dimples D. "Sucker D.J.'s(I Will Survive)" (Partytime PT 101) 1983

dimplesd.jpg
ディンプルズ・Dは本名をクリスタル・スミスという女性ラッパー。デビュー時期の
'80年代前半にはこのシングル1枚しか出しておらず、詳しい経歴はわかりません。
プロデュースはアンドレ・ブースとマーリー・マール。アンドレは'80年代初頭から
活動するR&B畑出身のプロデューサー。デビュー当時はSAMレーベル周辺のディスコ/
ガラージ系の曲を手掛けていましたが、'80年代半ばからはマールと共にヒップホップ系
の作品に多く関わるようになっていきます。

マーリー・マールは、ヒップホップ好きなら知らぬ者はいない伝説のプロデューサー。
詳しい経歴は何れ自身の名義の曲を紹介する時に書きますが、'83年のこの作品は
彼のプロデューサーとしてのデビュー作です。この当時マールは20歳(!)前後だと
思われますが、リミキサーとしてジャスト・フォーの"Games Of life"やCDIIIの
"Get Tough"
を手掛け、ある程度経験を積んだところで初めて自身の作品に取り掛かった
ところだと思われます。

"Sucker D.J.'s"はタイトルからもわかるように、ラン-DMCのヒット曲"Sucker M.C.'s"の
アンサー・ソングとして制作されたもの。ディンプルズ・Dはもともとはバック・
ヴォーカリストとして雇われたそうですが、レコーディング時に彼女がラップも出来ることを
マールにアピールしてメインのMCに昇格。レーベルのパーティタイムはアーサー・ベイカー
ストリートワイズの傘下レーベルですが、マールは修行の時期にベイカーのレコーディングを
見学してスキルを学んだこともあるそうなので、その辺から生まれた縁なのかもしれません。

DMXがミディアム・テンポのビートを刻み、短くスクラッチが入った後、Dがラップをスタート。
ベースやキーボード類は入らず、ラップのみでグイグイビートに乗っていきます。サビでは
軽くスクラッチが入りますが、ドラム+ラップのみの展開はつづき、セカンド・ヴァースでの
変化は重低音化したスネアのオカズが入る程度。中盤のドラム・ブレイクでは、リズム・
パターンが"Sucker M.C.'s"と全く同じになる部分があり、クスッと笑わせます。その後
Dのラップに戻り、締めに重低音ドラムが一際大きくズドンと鳴らされて終了。

マールのトレード・マークである、レコードからのサンプリングによる音作りはまだ
現れない、「エレクトロ期」の作品ではありますが、ベースやキーボード類を排して
ドラムとラップのみでリズムを強調したアレンジは、ラン-DMC~デフ・ジャム周辺と
繋がるハードコアなスタイルです。








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Rock Master Scott & The Dynamic Three "Request Line" (Reality D 230) 1984

rockmasterscott.jpg
ロックマスター・スコット&ザ・ダイナミック・スリーは'80年代前半から活動する
4人組。スコットはDJで、3人のMCの名前はスリック・リック(デフ・ジャムからソロ・
デビューするあの人とは別人)、MBG、チャーリー・プリンスです。

もともとはMCの3人がブロンクスの同じ建物内で暮らし、同じジュニア・ハイスクールに
通っていた仲間同士で、3人はコネチカットのニュー・ヘイヴンというクラブの雇われMCとして
活動を開始。当時はデヴィリッシュ・スリーというグループ名だったそうです。その後
ブロンクスのユア・スポットというクラブでバトルを行った際に、対バングループの
DJだったロックマスター・スコットを引き抜いて、上記のラインナップが整ったとのこと。
グループはハーレム・ワールドやT-コネクションといった有名クラブでもパフォーマンスを
行うようになり、徐々に知名度を上げていきます。

'83年に、設立されたばかりのニュー・ジャージーのレーベル、リアリティにデビュー曲の
"It's Life"を録音。すぐに大手のプロファイル・レコードに買い取られて小ヒットを記録
します。プロファイルとの契約はこの一曲で終わってしまったものの、再びリアリティから
発表した次のシングルが大ヒットを記録します。それが今回の"Request Line"です。
プロデューサーのクラーク・ジェイはディヴァイン・サウンズも手掛けていた人。もう一人の
ジェリー・ブラッドロックは彼らのマネージャーだそうです。

後にミッシー・エリオットがサンプルして知られることになる"D.J. Please,Pick Up Your
Phone, I'm On Request Line!"というコーラスからはじまり、リン・ドラムがミディアム・
テンポのビートを刻みます。フェアライトCMIを使用したホーン・シンセが「ジャーン!」と
派手に鳴り響き、こちらもフェアライトによるシンセ・ベースがスラップ風にウネる中、
MCがスタート。ラジオDJを模した男性が電話を取り、「リクエスト・ラインに乗ってるよ」
と言うと、電話に出たリスナーがリクエストをし、それに応えてMCやDJがバフォーマンスする
かたちで曲が進んでいきます。チャーリー・PとMBGがまずラップし、各々のラップの後に冒頭の
コーラスが入り、つぎはスコットがスクラッチを披露。ドラム・ブレイクの後はスリック・
リックがソロを取り、その次のリクエストが「ダイナミック・スリー全員を聴きたい」という
ものだったので、3人のMCが同時に別の詞をしゃべりまくります。この部分には圧倒されます。
最後に「フレッシュなものが聴きたい」というリクエストに応えて、DJが"Here's Somrthin'
Fresh!"と叫ぶと同時にホーン・シンセの音がスクラッチされるようにディレイがかかって
終わります。

ホーン・シンセの強烈なリフと、ストーリー性を持った展開、終盤の3MCによる舌戦と、スパイスの
効いたこの曲は一聴しただけでも印象に残ります。B面の"The Roof Is On Fire"のほうも、
"The Roof! The Roof! The Roof Is On Fire!"の繰り返しが強力で、現在もジングル等によく
使われているようです。






The Fearless Four "Problems Of The World" (Elektra 66984) 1983

fearless4problems.jpg
"Problems Of The World"は'83年にリリースされた、フィアレス・フォー
エレクトラ移籍後2枚め、通算では4枚めになるシングル。プロデュースに
カーティス・ブロウと、M2ことミスター・マジックを迎えています。
ピクチャー・ジャケットに裏ジャケにはリリックが記されている等、
メジャー作品とはいえ力の入った作りで、彼らのシングルの中でも
"Rockin' It"に次ぐヒットになりました。

タイトル曲の"Problems~"は、当時のブロウの常套パターンであるDMXのカチカチ
言うビートにスラップ・ベースが絡むトラックに、4人のMCたちが順にソロを
取っていく曲。詞の内容は幼児虐待や貧困からくる殺人事件、OA化で職を奪われた
男...等の社会問題を扱ったもので、グランドマスター・フラッシュの"The Message"を
意識して作られたのは明らかですが、MCのスキルの高さもあってこちらも負けず劣らず
カッコ良い。サビでの"Problems,x3 Problems Of The World Today!"というコーラスが
耳に残ります。

B-1"Fearless Freestyle"は1小節だけのフレーズを繰り返すDMX/ベース/シンセをバックに、
4人がやはり順にソロを聴かせる曲で、サビ無しでえんえんとラップしていくスタイルに
彼らのMCとしてのテクニシャンぶりを堪能出来ます。

エレクトロとして評価したいのがタイトルからしてモロのA-2の"F-4000"。この曲だけ
作曲/演奏はデイヴィッド・リーブス(デイヴィDMX)が担当しています。
DMXのハンド・クラップがカチカチと鳴る中、ヴォコーダーがゆっくりと喋り出し、
重低音のスネアの上をクレイジー・エディがスクラッチし、DLBがヴォコーダーで
唄いはじめます。その後はヴォコーダーとスクラッチが競うようにソロを取って
曲が進み、終盤はヴォコーダーも抜けてドラムとスクラッチのみになり、初期の
ラン-DMCのような音になって終わります。
ヴォコーダーは終始一音のみで唄われて、メロディを奏でることが無いのですが、
これが無機質感を醸し出すのと同時に、ヒップホップ的なループ感を強調しています。









C-Jam & Kid Frost "Commando Rock" (Baja B 52) 1984

commandorock.jpg
"Commando Rock"は'84年にリリースされた、C-ジャムとキッド・フロストのコラボ・
シングル。ただ、C-ジャムというのはいったい誰のことだかよくわかりません。
裏ジャケには"Vocals by Kid Frost with the 3C's & Dr. Rock"とあるのですが、
3CズやDr.ロックというミュージシャンは他のレコードでの参加が全く確認出来ない
のでした...

プロデュースはデイヴ・ストアーズとアレン・ペラーダ。デイヴに関しては"Reckless"
書いた通りですが、今作ではアレンの方が大きな役割を果たしているようです。
作曲、プロデュース、アレンジ、ミックスは二人、キーボードとプログラミングは
デイヴで、作詞とヴォコーダー、ターンテーブルはアレンが担当。作詞まで彼らが
行っていることから考えると、今作でのフロストは殆どゲスト・ミュージシャン的な
参加だと思ったほうがいいのかもしれません。

ヴォコーダーが唄い、DMXが早めのビートを刻んでスタート。サイレン音が繰り返され、
シュワシュワと下手なスクラッチが鳴ります。シンセがポップで明るいリフを
弾き、プヨプヨしたシンセ・ベースがファンキーにうねります。短く女性の
コーラスやドラム・ソロが入って、更にシンセ・ベースとストリングス・シンセの
ソロもあった後やっとフロストのラップがスタート。BPMが早いためか、妙に
せかせかして聴こえます。その後転調があってジミヘン風のギター・ソロが長くつづき、
シンセのソロが入った後、ドラム・ソロで終了。

↑の説明を書いていてもわかるのですが、こまごまとした展開がやたらと多く、落ち着かない
印象です。ポップス系のメロディアスな曲にオマケでラップやスクラッチが入っているような
感じ。やはりこれはDJやラッパーが作った曲でなく、ふだんはポップスを演っている人が
「オレもいっちょヒップホップで当てたるか」的に作ったものなのでしょう。ジャケットは
カッコイイんですけどね...



Guru "Who You Stealin' From" (Partytime PT 109) 1984

guru.jpg
グールーはプロデューサーのアーサー・ベイカージョン・ロビーの二人による
プロジェクト名。ギャング・スターのMCのあの人とは関係ありません。この名義は
バンバータの"Looking For A Perfect Beat"のときにプロデュースのクレジットにも
記されていましたが、単独名義の作品はこれ一枚のみ。ベイカーはこの他にも
ナイロビやグーン・スクアド、ノース・エンド等シングルだけの名義をいくつも
使い分けているので、あまり自身の名前を前面に出すのは好まない人なのかも
しれません。

下に挙げた"Street Jams~"のライナーによると、'84年当時のベイカー達は、
エレクトロのアーティストだけでなく、ホール&オーツやボブ・ディラン、
ブルース・スプリングスティーン等までの大物アーティストの作品に関わる
ようになり、バム達とのエレクトロ作品ももちろん大ヒットしていたので、
彼らの音作りをパクるミュージシャン達も多くなり、そんなところから
スタジオ内ではジョークで自分たちのことを「エレクトリック・ファンク界の
グールー(導師)」と言っていたそう。むろん本気では無いと思いますが、
「(オレたちの音を)盗んでいるオマエは誰だ?」というこの曲のタイトルも、
そんなところから来ているようです。

オーケストラ・ヒットにTR-808のビート、エレピによる哀愁のメロディといった、
「プラネット・ロック」そっくりなトラックに"Jump On It!x3 If You Want It!"
という掛け声が被さり、ストリングス・シンセがメインのテーマを弾いた後、
野蛮な声の男性が、掛け合いも交えてラップしていきます。酒焼けしたような
荒れた声で、ただガナっているだけにも聞こえる下手なラップなので、この声は
もしかしてジョン・ロビー?サビではサンプリングしたヴォーカル、ビアノ、
ストリングス・シンセがソロを取り、ベイカーと思しき男性コーラスが
"Who? Who? Who You Stealin' From!"と罵るように唄います。ここまでの
展開がもう一回繰り返された後はジョン・ロビーによるソロ演奏大会になり、
「アダムス・ファミリー」のテーマとかの人を喰ったシンセ類のソロや、
コード感を無視した無茶な転調が繰り返され、「これもパクってみろよ」的に
挑発して終わります。

言ってみればこれは作者自身による「プラネット・ロック」のスピンオフ、
セルフ・パロディみたいな作品なのでしょう。別にヒットを狙ったわけでは
ないでしょうが、こういうものも作品として発表してしまうところに、当時の
彼らの勢いを感じます。







Latin Rascals "Macho Mozart" (Tin Pan Apple 885 567) 1986

latinrascals.jpg
"Macho Mozart"は'86年にリリースされた、ラテン・ラスカルズのアルバム
"Bach To The Future"からのシングル・カット。彼らの経歴に関しては、
ビッグ・アップル・プロダクションズの項を参照下さい。今作では、彼らは
エディットだけでなく、プロデュースも行っているわけですが、'86年というと
エディット仕事の量も彼らの最盛期のころで、ほぼ週に1枚ぐらいのペースで
新作が出ている時期。スタジオで寝起きしているような感じだったのでしょうか...

(ラテン・)ヒップホップ~フリースタイルど真ん中な作風で知られる彼らが
自身のアルバムでどういう作品で勝負してくるのか、リリース前から注目が
集まっていたわけですが、今作では意表をついてクラシックとヒップホップ・
ビートの融合という、大胆な取り合わせで驚かせてくれます。この曲では
タイトル通り、モーツァルトの「トルコ行進曲」がモチーフにされています。

ピアノとチェンバロが「トルコ~」のおなじみのバロック風メロディを弾き
出してアレレと思っていると、1分ほどでゲート・リヴァーヴのかかったヘヴィな
ドラムがファンキーなビートを叩き、ストリングス・シンセが哀感を帯びたメイン・
テーマを弾いて曲が進んでいきます。ヴォーカルは小節の頭に太い男性の声で
「モーツァルト!」と掛け声が入るだけで、基本的にはインストです。サビでは
エディットされた車の走行音や原曲のリフ、シンセ・ベース等も加わり、その後
シンセのリフがカリブ風の明るいメロディに変わっていきます。彼らのオハコである
エディットも随所に出てきますが、基本的にメロディアスなこの曲ではあまり
生きていないような感じもあり。

B面のダブに進むと重低音化したハンマー・ビートも飛び出し、安心して(?)カッコイイと
思えるのですが、メインの楽曲は狙いが突飛すぎてついて行けませんでした...
彼らはやはりいい作曲者がついてこそ、その職人ぶりが生きてくるということでしょうか。



Mantronix "Who Is It?" (Sleeping Bag SLX 25) 1987

whoisit.jpg
"Who Is It?"は'87年にリリースされた、マントロニクスのセカンド・アルバム
"Music Madness"からの先行シングル。彼らの経歴に関しては"Needle To The Groove"
際に書いたので、そちらを参照して下さい。ここに載っているカーティス・マントロニクの
インタビュー
によると、ファースト・アルバム録音時は、スタジオでプロの録音環境に
慣れるだけで精いっぱいだったのに対し、今作では余裕も出来てより「エレクトロニック
かつ実験的な」音を作ることが出来、現在でも満足のいく内容だったそう。そして、
中でも"Who Is It?"はお気に入りの曲だそうです。

このアメリカ盤シングルは全部で6ヴァージョンも入っているのですが、今回はアルバム・
ヴァージョンについて書いてみます。

ディレイのかかったシンセ・ベースがジジジジジ...と循環するフレーズを繰り返し、
TR-808のビートと、MCティーの"Who-Who-Who-Who Is It?"というヴォイス・サンプルが
その上に乗っかります。その後フルートとギターを各々サンプルしたと思しき2種の
シンセがメインのテーマを弾き、MCティーがラップをスタート。サビではチェップ・
ニューネスがシンセのフレーズにエディットを入れています。その後はラップに
戻ってそれまでの展開が繰り返されるかたちですが、3回あるブレイクではスクラッチ
(あんまりうまくない)とエディットされたドラム・ソロが聴けます。

この曲は、"Who-Who-Who~"というヴォイス・サンプルと、その後を追うように
ゆっくりと下降~上昇を繰り返すシンセのフレーズの不気味な異物感にやられます。
おそらくこの部分にもチェップがエディットを施していると思われますが、不連続な
ブブブブブ...というフレーズがキモチワルイけどキモチイイ、という絶妙なバッド・
テイストを生んでいると思います。

以前も書きましたが、彼らはデューク・ブーティと並んで、リアル・タイム当時から
お気に入りだった数少ないエレクトロのアーティストでした。他の人と違うことを
やっても構わない、違ったうえで出来た音が最高にカッコイイというのは、私が
音楽を聴く時のひとつの基準になってきた気がします。

ただ、'87年当時はエレクトロ的な音作りは既にアメリカの黒人音楽界では完全に
下火になってきており、ヒップホップの世界ではマーリー・マール辺りが始めた、
レコードのフレーズ・サンプリングのみで音を組み立てるやり方が主流でした。
マントロニクのこのレコードも、ヒップホップ系以外のミュージシャン~例えば
テイ・トウワ氏やプレフューズ73のスコット・ヘレン等~に強く影響を与えたようです。








Chris "The Glove" Taylor & David Storrs "Reckless" (Polydor 881 195) 1984

christheglovetaylor.jpg
"Reckless"は映画「ブレイキン'」のサントラ用に録音された、クリス"ザ・グローブ"テイラーと
デイヴィッド・ストアーズのコラボ作品。クリスに関しては"Itchiban Scratch"の際
詳しく紹介したので、今回はプロデューサーのストアーズについて書いてみます。

デイヴィッド・ストアーズは'52年にNYで生まれ、4歳の時にハリウッドへ移住。子供の
頃の音楽体験で最も大きな出来事だったのは、'68年にUCLAのホールで見たジミ・
ヘンドリクスのライヴだったそう。衝撃を受けたデイヴは、自らも大人たちのバンドに
混じってジミの曲をコピーしていたそうです。

高校では複数のバンドを掛け持ちし、大学はUCLAに入学。そこでは電子工学と
量子エレクトロニクスを学んだそうですが、音楽への興味も変わらず高く、学内の
録音スタジオの技師兼音楽の授業のスーパーバイザーとして雇われることになります。
その一方でプロのミュージシャンとしても活動をはじめ、トニー・ベイジルやディーヴォ
の作品に参加しています。書き忘れていましたが、彼は白人で、最初から黒人音楽どっぷり
というわけではなかったようです。

その後裏方としてシルヴェスターやプリンス、イヴリン・トーマス等の作品に関わる
ようになり、ダンス・ミュージックへの興味が湧いてくるようになったデイヴは、
LAのラジオ局でDJペポと出会います。ペポは地元のJDCレーベルで働いていたLA
ラップ・シーンの顔役的な存在で、デイヴは彼を通じてキッド・フロストやアイス・Tらと
知り合うことになります。同じ頃「ブレイキン'」のスタッフからの依頼で曲を
提供することになったのが今回の"Reckless"です。

デイヴのインタビューによると、制作の依頼から締切までがなんと24時間しかなく、
デイヴはクリスとスタジオに20時間籠りっきりで音を作り、ゲスト・ラッパーに
アイス・Tを入れてなんとか締切に間に合わせたとのこと。

TR-808が早めのビートを刻み、エコーのかかったハンド・クラップが連打され、
カリンバのような音色のシンセが緊張感を煽るようにシーケンスされます。アイス・Tの
ラップがディレイを伴いながら入ってきて、クリスのターンテーブル技術をほめちぎる
内容の喋りを披露。その後プヨプヨした音色のシンセ・ベースがソロを取り、そこに
クリスのスクラッチが絡んできます。このラップ/シンセ・ベース/スクラッチが
交代でソロを取って曲は進み、ブレイク部分では人の叫び声やスネア連打が入ります。
その後はシンセ・ベースのソロ中心になり、終盤にはハモンド・オルガンも加わって
きます。

B面の"Tibetan Jam"もホラー映画風のストリングスとシンセ・ベースの絡み、シャウト
しまくる男性(クリス?)の語りが面白い曲です。

デイヴの作品はキチンとスタジオ技術を学んだ人らしく、ヴォーカルや楽器類の音色/
エフェクトに気が利いていて面白い。そう言えば、彼はインタビューで、インスパイア
された曲にハシムの"Al-Naafiysh"を挙げているのですが、この曲のTR-808の音は
ハシムの曲にも似ています。







D.J.Red Alert "Hip Hop On Wax-Volume 2" (Vintertainment VTIS 003) 1984

djredalert.jpg
(クール)DJ・レッド・アラートは本名をフレッド・クルートと言い、'56年にNYの
ハーレムで生まれています。幼少の頃はカリブのアンティグア出身の祖父母の元で
育てられ、子供の頃の一番の興味はバスケットボール。赤い髪の色とコートでの
素早い反応から「レッド・アラート」のニックネームを付けられ、バスケでの
優秀な成績からカレッジでの奨学金を得たそうです。

高校での最後の年に、レッドは西ブロンクスで行われたクール・ハークと
コーク・ラ・ロックのパーティで衝撃を受け、DJに興味を持つようになります。
毎週金曜日になるとグランドマスター・フラッシュやピート・DJ・ジョーンズと
いった'70年代後半当時の人気DJのパーティに出かけるようになり、彼らが
プレイしているレコードやテクニックを学んでいきました。

その後自らもブロンクスでパーティを主催するようになり、フラッシュや
クール・DJ・AJ(カーティス・ブロウのDJ)とも面識の出来るようになったレッドは、
いとこのジャズィ・ジェイにDJプレイの基礎を教えるようになり、ジェイを通じて
アフリカ・バンバータを紹介されます。バムからは黒人音楽以外のロック~
ニュー・ウェイヴ~レゲエ等の知識を得てレッドは更に成長、ズールー・ネイション
にも加入して、「ネグリル」や「ダンステリア」といった人気クラブでDJを行う
ようになります。

その後「ロキシー」でDJを行っていた頃に、KISS-FMのディレクターだったバリー・
メイヨと出会い、同局の「Dance Mix Party」という番組のDJとして雇われることに
なります。この番組は11年間つづく人気プログラムとなり、後期はNY周辺での
ダンスホール・レゲエの人気定着にひと役買ったと言われています。同じころ
同局でDJをやっていたチャック・チルアウトを通じて、レッドはプロデューサーの
ヴィンセント・デイヴィスとも知り合い、彼のレーベル、ヴィンターテインメントから
発表したのが初のソロ名義でのシングルになる"Hip Hop On Wax Vol.2"です。
ちなみに"~Vol.1"はチャック・チルアウトの作品でした。

イントロでレッドがディレイのかかった声でゆっくりと"Dee-Jay-Red-Alert-Goes-Berserk"
と語り、DMXがビートを刻む中をレッドが様々なレコードのブレイク部分をミックス
していきます。サイレンの音が繰り返されつつ、以下のレコードがコスられています。

ジェイムズ・ブラウン"Funky President"の"Funky"と言う部分
BTエクスプレス"Do You Like It"のイントロのベース
プレジャー"Celebrate The Good Things"のイントロのギター
20th・センチュリー・スティール・バンド"Heaven and Hell Is on Earth"のイントロのアカペラ
インクレディブル・ボンゴ・バンド"Apache"のボンゴ

この後ドラム・ブレイクが入り、コスるレコードも変わって以下の2枚が繰り返されます。

フレッド・ウェズリー&ザ・JBズ"Blow Your Head"のイントロのシンセ
M"Pop Musik"の"Pop Musik"と言う部分

基本的にはチャック・チルアウトのものを踏襲した「ドラム・マシン+スクラッチ」という
つくりなのですが、割と大ざっぱで元ネタがわかりやすいチャックのプレイと比べると、
レッドのDJは緻密でシャープ。オールド・スクール期の血を受け継ぐベテランの意地を
感じます。




CD III "And You Know That/Summer Jam" (Vanity AL 690) 1984

cdiiiandyouknowthat.jpg
"And You Know~"は'84年にリリースされた、CDIIIの3枚めのシングル。メンバーの
経歴に関してはデビュー曲"Get Tough"の際に書いたのでそちらをご参照下さい。
YouTubeのコメントに、メンバー名はディスコ・ダッシュ、C-ロス・プリンス・ユニーク、
そしてハウイー・ティーと書かれているのですが、H・ティー以外に関しては真偽は
不明です。

プロデュースも引き続きアート・ポルヘムスで、彼のクオリティ高い音作りは今作
でも変わらず。レーベルのヴァニティというところは、このシングル1枚しかリリースが
確認されておらず、ナゾの会社です。住所がマンハッタンのわりとど真ん中にあるので、
ポルヘムスが所有するレーベルかもしれません。サンクス欄に名前のあるスペシャル・K
という人もトレチャラス・3のあの人なのか不明...

男性ラッパーが観客の女性陣に"Hey Ladies!"と語りかけ、女性たちが"Yeah!"と返す歓声で
スタート。ゲート・リヴァーヴのかかったDMXのドラム、シンセ・ベース、ホーン・シンセ、
リズム・ギターが一斉に入ってきて曲がはじまります。つづいて3人のラッパーが掛け合い
をはじめます。サビで3人が"And You Know That!"と言った後、メンバーがファルセットで(!)
"Hey Ladies~"等とコーラスを唄うのがエレクトロでは異色ですが、彼らは毎回こういう
唄ものと絡めた音作りをやっているのでした。その後は3人の掛け合い~サビでは唄の繰り返し
になります。2度めのサビの後に、イーミュレーターを使用したサンプル・ヴォイスの軽い遊び
が入って終わりです。

このシングルは両A面扱いなのですが、裏面の"Summer Jam"はプヨプヨしたシンセ・ベースが
気持ちいい"Get Tough"路線の曲。サビではメンバー達が唄っているのも同様です。

けっきょく彼らはセールス面では恵まれず、このシングルまでで解散。H・ティーはUTFO等
セレクト・レーベルの周辺でプロデューサーとして活動するようになりますが、甥っ子の
チャブ・ロックと組んだ作品が数年後に大ヒットを飛ばし、再びスポットが当たることに
なります。



Hashim "We're Rocking The Planet" (Cutting CR 203) 1984

hashimwererockin.jpg
"We're Rocking The Planet"は'84年にリリースされた、ハシムのセカンド・シングル。
大ヒットした"Al-Naafiysh"の後、インペリアル・ブラザーズハイ・フィデリティ・
スリー
もプロデュースして、勢いに乗っている頃の作品です。

TR-808が早めのビートを刻み、エレピが曲のテーマを4小節弾いた後、ピッチを変えた
低音の男声が"We're Rocking~"と曲名を連呼します。その後ストリングス・シンセも
加わり、鐘のようなキラキラしたシンセのSEやエコーのかかったハンド・クラップが
オカズを入れ、いったんドラム・ビートのみに抜けます。その後は冒頭のエレピや
イーミュレイターを使用したヴォイス・サンプル、重低音に加工されたスネア連打...
等々が順にソロを取っていく感じです。

"Al-Naafiysh"に準じた構成のインスト中心の内容ですが、ビートがストレートになり、
キーボードのリフもやや黒っぽくなった感じ。まあ微妙な差異なんですが、ワン・コードの
繰り返しのみで貫いてしまうところにどこか自信を感じます。






Afrika Bambaataa & Soulsonic Force "Looking For The Perfect Beat" (Tommy Boy TB 831) 1983

lookingfortheperfectb.jpg
"Looking For The Perfect Beat"は「プラネット・ロック」の8か月後にリリース
された、ソウルソニック・フォース名義では2枚めになるシングル。プロデュースは
引き続きアーサー・ベイカージョン・ロビーで、彼ら二人による「The Guru's」なる
名義もクレジットされています。作曲者に名がある「Aasim」というのはバンバータの
別名です。

「プラネット・ロック」の大ヒットをうけて、今回もエレクトロ路線を更に進めた
内容になっているわけですが、クラフトワーク他の過去のレコードからの引用が
はっきり聴き取れた「プラネット~」に対して、今作はベイカー~ロビー~バムの
オリジナルな音が炸裂しています。

クルクル回るようなシンセのイントロにつづいて、シンセがメインのリフを繰り返し、
TR-808がリズムを刻みます。バムがヴォコーダーとユニゾンで曲のタイトルを唄い、
スネアが連打されてスクラッチが繰り返されます。その後集団MCがスタートし、
「完璧なビート」を求めるストーリーをSFちっくなトラックに乗せてアツくラップ。
徐々にシンセ・ベースやホーン・シンセも加わって音が厚くなっていきます。
ところどころでヴォーカルにディレイがかかったり、ジョン・ロビーの得意ワザの
スネア連打を挟んだりしつつ、"Beat This!"の掛け声と共にブレイクへ。ゲート・
リヴァーヴのかかったスネアが荒々しく打ち鳴らされ、MCと観衆が"We Like To Body
Rock The Party"のコール・アンド・レスポンスを繰り返します。終盤はトラックが
TR-808のみになり、"Keep Looking For The Perfect Beat"と繰り返すMCで終わります。

エレクトロ史的に重要なのは「プラネット~」のほうですが、音楽的に完成度が高い
のはこちらのほうで、個人的にはベイカー/バムの最高傑作はこの曲だと思っています。
ドラム・マシンやシンセ類の音色も練られてエレクトロ感がアップしているし、
MCたちも本領を発揮、そしてつぎつぎと見せ場が現れる曲の構成も見事です。この
レビュー用に聴き直してもやはり盛り上がってしまう...宇宙でブレイクダンスを踊る
バムたちの姿が思い浮かびます。






Ultimate III "Ultimate III Live!" (N.V. NV 102) 1986

ultimateiii.jpg
アルティメイト・IIIは'80年代半ばに活動していた3人組。デビュー当時は
アルティメイト・3・MCズと名乗っていました。メンバーは作曲者にクレジットの
あるショーン・ウィリアムソン、スティーヴン・ワークマン、P.ブレイズの
3名と思われますが、詳しい経歴は不明です。

レーベルのN.V.はカッティング・レコード傘下のヒップホップ系レーベル。
当時は本体のカッティングがフリースタイル/ハウス系の専門になりつつ
あったので、差別化を図る意図があったために設立されたものと思われます。
プロデュースのエイドリアン"タンク"マクレーはこの後ウィッスルの作品を
手掛けたりしている人。もう一人のアイザック・ライトはアップタウン・
エクスプレスというグループのメンバーで、この後はハウス系の作品に
関わることが多くなっています。

歓声とサンプリングしたグループ名の連呼につづき、MCが「No.1グループ、
アルティメイト・III!」等と呼び込み、TR-808がビートを刻みます。
スクラッチがグシャグシャと鳴らされ、ダミ声のMCがラップをスタート。
つづいてシンセ・ベースが加わって別のMCがラップをはじめます。
ストリングス・シンセも入ってきて徐々に音が厚くなっていくと同時に、
ラップも3人の掛け合いに変わっていきます。サビの後TR-808のみのブレイク
が入り、"Let Me Hear Say『Ultimate!』"等と観客をMCが煽ったかと
思うとスクラッチが入り、シンセのソロへ。その後はMCたちのパートに
戻り、終盤にはヒューマン・ビート・ボックスがソロを取ります。

ライヴ仕立ての作り、TR-808のビートを前面に出しているところなど、
前回紹介したマスタードン・コミッティーの"Funkbox Party"を意識して
いる曲で、そこにスクラッチやヒューマン・ビート・ボックスを加えた
ような感じ。真似と言えばそれまでなのですが、ライヴの熱さが伝わって
くる音はカッコイイです。


The Masterdon Committee "Funkbox Party" (Enjoy EN 1166) 1982

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マスタードン・コミッティーは'80年代前半に5枚のシングルを残したグループ。
リーダーのマスター・ドンことドネル・マーティンはボルチモア生まれでNY育ち、
子供の頃から音楽に並々ならぬ興味を示していたそうですが、十代半ばの頃から
DJをはじめ、優れたスキルで頭角を現していきます。'80年ごろには専属のMCを
率いて活動するようになり、これが発展してマスタードン~が結成。メンバーは
ギャングスター・ジー、ブー・スキー(Boo Ski)、キース・K.C.、ジョニー・ディー、
そしてドネルの姉で、先にソロでも活動していたペブリー・プー(Pebblee Poo)
でした。

ライヴの際にリズム・ボックスをDJプレイと併用することでも話題を集め、それが
ボビー・ロビンソンの目に留まって(ドンが使用していた特殊な?TR-808を本気で
欲しがっていたらしい)エンジョイ・レーベルと契約。デビュー・シングル
"Gonna' Get You Hot"は生演奏中心の旧来の「ディスコ・ラップ」スタイルでしたが、
彼らのライヴをTR-808込みで再現したのがセカンド・シングルの"Funkbox Party"
でした。ファンクボックスとはむろんTR-808のことです。

"Listen,Listen,Listen For The Beatbox"の掛け声と共にTR-808がビートを刻み、
派手なガヤと共にMCが観客を煽ります。その後、味のある声の男性が唄いはじめ
ます。サビでの「ウーン、ナナナナー」の連呼が男臭くてカッコイイ。連られて
観客も「ウーン~」と繰り返します。ひと通り唄い終えた後は各MCのソロ・パートが
あり、一人が終わる度に先のコーラスがまた入ります。姉御肌のペブリー・プーが
良いです。

トラックはリズム・ボックスのみですが、一度聴いたら忘れられないヴォーカル、
アツいMC陣、そして激しい観客の反応と、ライヴの盛り上がりをうまく再現し、
オールド・スクール期のパーティの模様を今に伝える名曲です。







The Treacherous Three "The Body Rock" (Enjoy ER 6007) 1980

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ザ・トレチャラス・スリーは全員マンハッタン出身のクール・モー・ディー、
L.A.サンシャイン、スプーニー・ジー、DJイージー・リーの4人によって
'78年に結成されたグループ。もともとはLAとスプーニー・ジーの二人から
始まり、その後スプーニー~はソロに転向したため脱退し、代わって
モー・ディーとスペシャル・Kが加入します。その後モー・ディーの級友
だったイージー・リーも加わってグループとしての活動をスタート。

もともと彼らはDJハリウッドとその弟子のラブバッグ・スタースキーの
影響を受けてライムを始めたそうですが、その後メリー・メル等とのバトル
も経て「ファスト・ラップ・スタイル」と呼ばれる早口のラップを完成して
人気を上げ、ひと足先にレコード・デビューしていたスプーニーの口ききで
エンジョイ・レーベルと契約し、スプーニーのシングル"The New Rap Language"に
ゲスト参加するかたちでレコード・デビュー('80年)。同年に初めて単独名義で
発表したのが"The Body Rock"です。

プロデュースはエンジョイのオーナーだったボビー・ロビンソンとクレジット
されていますが、実質的に音を作っていたのはドラマーのパンプキン。ジェフリー
とクレジットされている人物はギターを弾いているそうです。

パンプキンのファンキーなドラムをバックにモー・ディーが"We Got Somethin' New~"と
しゃべり出し、3人が掛け合いラップをスタートすると太いシンセ・ベースが
絡んできます。ちょっとロックぽいギターも加わった上を押しの強い3つの声が
掛け合いをしたり、時にハモったりしつつ曲はすすみ、サビではユニゾンで
"Rock The Body,Body"x8とラップ。その後は自己紹介等の3人のソロ・パートや
ギター・ソロもありつつ、集団ラップの迫力に圧倒されながら7分あまりが過ぎ
ていきます。

「プラネット・ロック」の2年前で、これはエレクトロではなくオールド・スクールに
入る曲。呪文のように繰り返される「バリバリ・ロック」のワルそ~なコーラスと、
ファズのかかったぶっといシンセ・ベースが耳に残ります。





Ose "Computer Funk" (Bound Sound 1003) 1983

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Ose(オセイ?)はフロリダ/マイアミ周辺で'80年代半ばから活動するプリティ・
ボーイことマーヴィン・フロイドによるプロジェクト。この曲がデビュー作の
ようですが、これ以降はZeleeやPamel'la、ナイス・アンド・ワイルドと言った
マイアミ産エレクトロ/フリースタイル系のレコードのプロデュースや作曲を
多数手掛けています。

共作者として名を連ねているのがジェイムズ・マコーリー。マゴトロンの際に
紹介した白人プロデューサーですが、この曲が彼の初レコーディングになる
ようです。レーベルのバウンド・サウンドはエレクトロからサザン・ソウル系の
チャック・ロバーソン、スムース・ジャズものまで、フロリダ産の音楽を幅広く
取り扱っていたところ。

ピコピコのシンセ音をバックにヴォコーダーが"This Is Our Computer...Makes
You Dance!"等と宣言し、DMXがミディアム・テンポのファンク・ビートを刻む中、
ヴォコーダーが唄って、琴のような音色のシンセがそれに合いの手のフレーズを
入れる形で曲が進んでいきます。電子音を強調したシンセが短いソロをいくつか
入れ、後半にはエレクトロのレコードでは珍しい転調があり、ジェット噴射のような
シンセのソロで終わります。

ミッドナイト・スターの"Freak-A-Zoid"に影響を受けたと思しきヴォコーダー・
ファンクで、音はかなりスカスカ。ただ、打ち込み/シンセ楽器類だけを使って
キカイっぽいファンクを初めて演奏しようとするならこんな音になるよなあ、
と向こう側の笑顔が見えてくるような仕上がりで、エレクトロ好きならたまらない
音だと思います。個人的には、類型化しすぎるマイアミ・ベース系より、この頃の
音のほうが好きかも。






Jimmy Lewis And The L.A. Street Band "Street Freeks I" (Write On WO-12" 013) 1984

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ジミー・ルイスは'39年ナッシュヴィル生まれのディープ・ソウル系シンガー/
作曲家。幼少時にLAに移住し、その後は西海岸を拠点に活動しています。
レコード・デビューは'66年にニューオーリンズのミニット・レーベルから
リリースされたシングル"The Girl From Texas"から。サム・クックの影響が強い
ディープなヴォーカルには定評があり、'74年のアルバム"Totally Involved"は
ソウル・ファンから高い評価を受けています。

実力がありながら自身の歌手としてのレコードはセールスに恵まれず、'70年
前後からは主に作曲家として音楽業界に関わっていくことになります。親交の
深かったレイ・チャールズへの提供を中心に、'04年に没するまで数十曲が
レコーディングされました。

ここまでの経歴からわかるように彼はサザン・ソウルに根差した音楽性を
持っていたのですが、LAに住んでいたおかげか若手のミュージシャンとも
繋がりがあり、'80年代半ばに関わりを持つようになったのが同じ南部出身の
リッチ・ケイソン。二人は共同でライト・オン・レーベルを設立し、最初に
リリースしたのがこれも唄ものエレクトロの名作として知られるレオン・
キットレル&フォーミュラ・Vの"Killer Groove"。"Street Freeks"はオーナーの
ジミー自身が久々に唄っているレーベル第二弾です。LAストリート・バンド
というのは、おそらくリッチ・ケイソン一人のことです(笑)。

ヴォコーダーが"This Groove Is Dedicated To All The Street Freeks,You Knpow"と
宣言し、「プラネット・ロック」を意識したDMXのビートとストリングス・シンセが
スタートします。その後シンセ・ベース/ストリングス・シンセと、水中で唄って
いるようなエフェクトのかかったジミーのヴォーカルが交互にソロを取っていきます。
小節の終わりに"Street! Freeks!"の掛け声がかかったり、アラビア風のシンセ・ソロも
入り、間奏部分では男女の語りやヴォコーダーのソロ、へぼいスクラッチ等が挟まれて
再びシンセ・ソロ中心に戻ってフェイド・アウトします。

当たり前なのですが、シンセ類の音色はリッチ・ケイソンのソロ作品のそれに似ていて、
ややチープ。それでも唄ものでこういうアレンジの曲は珍しいので、大音量で流すと
けっこうカッコイイです。「プラネット・ロック」の影響がこんなサザン・ソウル畑の
人にまで及んでいた、ということがエレクトロ好きとしてはなんだか嬉しいのでした。


K-Rob "I'm A Homeboy" (Profile PRO 7115) 1986

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K-ロブは本名をマリック・ジョンソンと言い、'80年代半ばからNY周辺で活動している
ラッパー。ここに載っているサム・シーヴァーのインタビューによると、マリックは
マンハッタンのロウワー・イーストサイドの出身で、ジュニア・ハイスクール時代に
クラスメートだったサムと共にライムを書きはじめ、その後DJリックという
プエルトリカンも仲間に加わって、リックの家の地下室で連日パーティの真似事を
していたそうです。

高校を卒業する頃に友人のラメルジーの誘いであの"Beat Bop"を録音し、業界内では
伝説的な存在になっていたようですが、その後は不遇の時期がつづき、初のソロ名義の
シングル"The Day K-Rob Came Back"を発表したのは2年後のことでした。この曲を
聴いてみると、ファンキーなエレクトロ・ビートに絡むハード・ロック系のギターが
印象的な音で、ラン-DMC辺りの影響もあるのでしょうが、"Beat Bop"同様にちょっと
とんがった志向を持っているんだな、ということがわかります。

そんな変わり者のマリックが翌年のこのシングルで組んだのはデューク・ブーティ。
前年にワード・オブ・マウスの"King Kut"がプロファイルから再発された関係で、
この繋がりが出来たのではないかと思われます。スクラッチでブーティのお仲間
DJチーズが、エディットでラテン・ラスカルズが参加して、マリックの作品では
いちばんメジャー感のある音になっています。

ブーティ作品ではおなじみの「ズドーン」というハンマー・ビートが鳴り響き、
バキッとしたシンセ・ベース、「ジャーン」というギターのサンプリング音が
繰り返されます。イントロの曲名連呼に早くもエディットがされているなと
思うとつづいてK-ロブのラップ・パートがスタート。LLクールJに似た声質で、
ファンキーな語りを聴かせます。その間もところどころでDJチーズがスクラッチ
したり、メタリックな音色のスネア/パーカッションがオカズを入れていきます。
数回あるブレイク部分ではラテン・ラスカルズのエディットが炸裂して、痙攣
するようなビートがタンノウ出来ます。

A-2の"Psycho Lorraine"は、同じ曲のトラックからギターやベースのサンプリング音
だけ抜いて、K-ロブがイカれたロレインのことを語る曲です。

毎度のことですが、ブーティのプロデュース作はノイジーなサンプリング音の嵐を
好きか嫌いかで評価が決まってくる内容です。疲れている時にはぜったい
聴きたくない(笑)押しの強い音。今作はL・ラスカルズのエディットも加わって、
やり過ぎに感じられなくもない暑苦しさ。私は好きですが...



Debbie Deb "When I Hear Music" (Jam Packed JPI 101) 1983

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デビー・デブは'80年代前半からマイアミを拠点に活動するフリースタイル系の
女性シンガー。NYのブルックリンで生まれ、マイアミの北部で育った彼女は、
子供の頃は特に音楽の専門的な教育を受けたわけではなかったものの、自分で
ティーナ・マリーやデニース・ウィリアムス等の曲を唄ったテープを録音して
いたそう。非常にシャイだったため、人前で唄ったことすらなかったそうですが、
学校のカウンセラーには音楽への情熱を告白し、その為の奨学金を得るために
実社会での研修プログラムを受けることになったそうです。そうして働き始めた
デビーは、地元のピーチスというレコード店に仕事のためのレコードを注文しに
来たところ、偶然その店に来ていたプリティ・トニーと話す機会を得ます。
トニーは彼女の「話し方」が気に入り、自分のレコードで唄えるか、と訊かれて
デビーはその場で承諾し、新たにプロの歌手が誕生したのでした。

その翌日にデビーが下見のためトニーのスタジオを訪れたところ、ドアを開けた
途端に聴こえてきたのがこの"When I Hear Music"のトラック。インスパイアされた
彼女は「音楽が聴こえてきた瞬間」をテーマにした歌詞をトニーと共に書き上げ、
数時間後にはヴォーカルのトラック・ダウンまで完了させます。これまでは
自宅のカセットにしか吹き込んだことのなかった彼女は、スタジオのプロ用環境
にも興奮冷めやらなかったとのこと。数か月後、シングルがリリースされ、マイアミ
周辺だけでなくNYやLAも含めた全米規模の大ヒットとなって、彼女は16歳にして
人気シンガーとなったのでした。また、プリティ・トニーもこの曲のヒットの
おかげでレーベル運営が順調になっていったそうです。

"When I Hear~"は'83年にリリースされたジャム・パックト・レーベルの第一弾
のシングル。ジャム~はプリティ・トニーのミュージック・スペシャリスツの
傘下レーベルで、ヒップホップ系が基本のミュージック~に対して、こちらは
デビーやこの後デビューするトリニアー等の唄もの~フリースタイル系を発表
するために設立されたレーベルのようです。

TR-808がビートを刻み、鐘のような音色のシンセのメロディとユニゾンで
"When I Hear Music, It Makes Me Dance, You Got The Music, Heres My Chance "
とデビーが繰り返し、シンコペイトしたシンセ・ベースがピョコピョコと跳ねて
いきます。デビーのヴォーカルに応えるようにヴォコーダーも"When I Hear~"と
唄い、その間にシン・ドラムやシンセの落下音/爆発音、パーカッション等も仕掛け的に
オカズを入れて曲が進みます。後半はシンセ類が唄メロを弾くソロ・パートや
デビーのヴォーカル・エディット等も入ってアクセントが付けられています。

プリティ・トニーのソロと比べると、音が厚く派手な仕掛けも用意されていて、
ポップスとして売れることを狙って作られたのは明らか。でも、転調もなく、
スタート時のコーラスの繰り返しとそれに準じたソロだけで最後まで引っ張る
ところに、ヒップホップ以降のループ感を感じます。






Sugar Kay & The Mighty Three "Rock On" (Specific SR 343) 1984

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シュガー・ケイ&マイティ・スリーはこのシングル一枚のみで消えた謎のグループ。
メンバー名は作曲者のクレジットにある"A.Brown,A.Wood,J.Simmons,K.Hodde"の
4名だと思われますが、詳しい経歴等は全くわかりません。曲中の自己紹介から、
MC名はトニー・トーン、TNT、ビー・エイ(?)の3人で、それにDJ兼MCのシュガー・
ケイが加わったグループだというのはわかったのですが...

プロデュースのクラーク・ジェイ(本名クラークストン・ジェローム・スミス)は
ディヴァイン・サウンズやロックマスター・スコットの大ヒット"The Roof Is
On Fire"等を手掛けているNYのプロデューサー。主にこのスペシフィック・レコード
を拠点に活動していたようです。

音のほうは、ビシバシと打ちつけられるリン・ドラムにフェアライトCMIの分厚い
ストリングス・シンセ、ブイブイうねるシンセ・ベースのけっこうノリノリな
トラックに、集団MCが被さります。呪文のように繰り返される"Party People,
Rock On And On!"のユニゾン・ラップをキモにして、4名のソロ・パートも各々
あるパーティ・ラップ。軽くドラム・ブレイクや終盤にはシュガー・ケイのスクラッチ
も入りますが、基本は集団ラップの押しの強さでグイグイのせていくスタイルです。

一人でちんまりと聴くより、クラブで一緒に拳突き上げて盛り上がりたい感じ。
クラーク・ジェイの作品は、トラック作りもけっこうしっかりしていますが、
ヴォーカル・ミュージックとしてのラップの面白さを前に出したものが多いです。



Magnificent Three & Fearless Master "Crash" (C.C.L. CCL 102) 1984

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マグニフィセント・スリー&フィアレス・マスターはこのシングル一枚しか残して
いない謎のグループ。メンバー名はメロウ・D、キャジー・L(Cazzy L)、
プレシャス・イヴ+フィアレス・マスターの4名と思われますが、詳しい経歴等は
全くわかりません。レーベルのCCLはファンタジー・スリーのメンバーが設立した
NYのレーベル。コ・プロデュースのハシムはカッティング/CCL関連では常連でした。

ヴォコーダーがボソボソと呟いた後、TR-808が早めのビートを刻み、スクラッチが
シュワシュワと軽めに入ります。シンセ・ベースと共に3人がラップをスタート。
ラテン・リズムのシンセがリフを弾く中、テンション高い掛け合いのラップが
繰り広げられます。女性ラッパー一人を含むメンバーが入れ替わり登場し、時に
ハモったり、軽くコーラスを唄ったりするスタイルはファンキー・4プラス1に
近い感じ。間奏部分で軽くスクラッチやオルガン風のシンセがソロを取り、後半は
女性MCのソロ・パートもあります。終盤は各種シンセがソロを取ってフェイド・
アウト。

ハイ・フィデリティ・スリーの"B Boys~"にも似たタイプの音ですが、ハシムの
完成されたエレクトロ・サウンドと集団ラップの組み合わせはやはりカッコイイ。
カッティング関連の12インチはオマケのヴァージョンも楽しみなのですが、今作では
ドラム・ビートのみのA-2"Crush Bonus"、シンセのSE音だけが聴けるB-2"Sound
Effect"等、サンプリングのネタ盤としても使えそうなトラックが入っています。



Lil' Jazzy Jay & Cool Supreme "B Boys Style" (Easy Street EZS 7520) 1985

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"B Boys Style"はアフリカ・バンバータの周辺で活動してきたジャズィ・ジェイと
レイ・セラーノによるプロジェクト。ジャズィ・ジェイの頭に「リル~」と付いて
いるのは、当時のジェイはデフ・ジャムとの契約があったためと思われます。
彼の経歴に関しては"Def Jam"の時に書いたので今回はクール・シュープリームこと
レイ・セラーノ(Rae Serrano)について書いてみます。

レイはNYで生まれ育ったヒスパニック系アメリカ人。最も初期に関わった作品として
はプレリュードから出ていたガラージュ系のグループ、ヴィジュアルのシングル
"Somehow,Someway('83年)"に作曲者として名を連ねています。その後バンバータと
繋がりを持つようになって"Frantic Situation"では作曲とキーボードを担当、
バムがベイカーと別れた'86年の"Bambaataa's Theme"ではプロデューサーに昇格
しています。彼はヒスパニック繋がりからかコールドクラッシュ・ブラザースの
チャーリー・チェイスとも仲が良く、彼らの"Heartbreakers"でもアレンジと
ドラム・プログラムを担当していました。

"B Boys~"は"Heartbreakers"と同年のリリース。プロデュースのクレジットは
ジェイとレイの連名になっていますが、実際にトラックを作ったのは殆どレイで、
ジェイは主にスクラッチを担当しているとのこと。バック・ヴォーカルで参加して
いるサイレ(Cyre)は、この後ソロでアルバムも出しているフリースタイル系の
女性シンガーです。

YouTubeのこの曲のビデオのひとつに、レイ本人がコメントを入れているものが
あり、それによると、使用した機材はローランドのジュノ70とローランドの
ヴォコーダー、それにオーヴァーハイムのドラム・マシン(DMX)だけ、
レコーディングは30分ほどで終わったそう。

アカペラの女性コーラスから入り、ゲート・リヴァーヴの効いたドラムとカチカチの
ハンド・クラップが鳴り響く中、シンセがピコピコと循環するフレーズを繰り返し、
ヴォコーダーが"B Boys,B-Boys"と煽り、その後ジャズィ・ジェイを呼び込むと、
ジェイがジュースの"Catch A Groove"をグシャグシャとスクラッチしまくり、
その上を男性(レイ?)がラップしていきます。詞の内容はタイトル通りB-ボーイの
流儀について語ったもの。サビではヴォコーダーとサイレのコーラスが唄われ、
その後はここまでの繰り返しになりますが、ジェイのコスリねたはフリーダ・ペインの
"Unhooked Generation"やタイヤの軋む音に変わります。

ヴォコーダーの"B-Boys,B-Boys"の連呼、詞のテーマ、ジェイのワイルドなスクラッチ等
が胸を熱くさせる、「漢」を感じる名曲です。'85年当時というと、NY周辺ではもう
ドラム・マシン+スクラッチのみのハードコアな音が主流になっている頃ですが、この
曲はエレクトロな要素もうまく残して仕上げていると思います。







Starr's Computer Band "Computer Rock Control" (Survivor SUD 133) 1983

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スターズ・コンピューター・バンドはモーリス・スターの別プロジェクト。
詳しい経歴はモーリス名義の"Electric Funky Drummer"の項に書いたので
そちらを参照してほしいのですが、このシングルは"Electric~"とほぼ
同時期の'83年にリリースされたものです。おそらく、前年に
ドウェイン・オマーの"This Party's Jam Packed"のプロデュースで
サヴァイヴァー・レコードと縁の出来たモーリスが、レーベル側からの
オファーで作った曲を出した、程度の位置付けだと思われます。

"Computer~"はこの名義による唯一のシングルで、作曲/アレンジ/
プロデュース/演奏すべてモーリス一人によるもの。ミックス担当の
アル・ステッグマイヤーのクレジットからして、録音はマイアミで
行われたのではないかと思われます。

サイレンのようなシンセのSEから入り、ピコピコしたシンセのオカズが
繰り返されて、ハンド・クラップがビートを刻む中、ヴォコーダーが
曲名を告げると、「プラネット・ロック」そっくりなストリングス・シンセの
テーマが流れ、その後シンセ・ベース/ホーン・シンセがソロを取って
曲が進んでいきます。弟のグループ、ジョンゾン・クリューの"Pack Jam"
似ていますが、シンセ類が手弾きでトラックとリズムがズレたり、音色が
ちょっと生っぽかったりで、どこかほのぼの感が漂います。間奏で軽く
ドラム・ブレイクやシンセのソロが入り、その後はヴォコーダーが再び
"Rock And Don't Stop,Computer Rock Control"等と唄ってフェイド・アウト。

順番としてはこちらのほうが後なのですが、音が微妙に古い感じからして
ジョンゾン・クリューらと作っておいた過去の録音に、ちょっと手を加えて
出してしまったものかもしれません。


The Megatrons "Rock The Planet" (On SUN 439) 1986

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ザ・メガトロンズは'80年代半ばからマイアミを拠点に活動するエイモス・ラーキンスIIの
変名プロジェクト。MCフレックス&FBIクルーの際にいちど紹介していますが、改めて
経歴を調べたのでもう一回書いてみます。

エイモスは生まれも育ちもマイアミ。父親は地元ではよく知られた音楽関連のマネジメントを
行う人物で、その影響でエイモスも幼少のころから業界に触れ、自らもベースを弾くように
なって、12歳の時にはもうステージに立っていたそう。大学ではジャズを専攻し、学内では
ジャコ・パストリアスと一緒に学んだこともあったそうです。

卒業後はセッション・ミュージシャンとして活動し、'84年にはMCフレックスのシングルで
プロデュース業に進出。この曲に目を付けた地元のサニービュー・レコードからの打診で、
エイモスはサニービュー傘下にプライム・チョイス、ダブル・デュース、オン、パーティ・
ロック等のレーベルを設立し、つぎつぎとプロデュース作品をリリースしていくことに
なります。いちばんのヒット曲はフリースタイル系の女性シンガー、コニーの
"Funky Little Beat('85年)"でした。

具体的にどの曲がそれなのか不明なのですが、ある曲のレコーディングを行っていた
エイモスは、ローランドTR-808のプログラミングを行う際に、誤ってバスドラのツマミを
入れっ放しにして録音し、間違いに気付かないまま完成させてしまったそう。少々マユツバ
ではありますが、そのシングルを地元のレコード・ショップに直接セールスしに行き、
店頭でかけてもらったところ、その場で客たちにウケまくり、すぐに3人がお買い上げに
なったそうです。予想外の反応に驚いたエイモスはそれ以来バスドラを強調した低音重視の
音作りにのめり込むようになり、そこからあの特徴的な「マイアミ・ベース」の音が
生まれた、ということでした。

"Rock The Planet"は'86年にリリースされた、メガトロンズ名義では唯一のシングル。
エイモスはそれまでにも多数のプロデュース作を発表していますが、作曲/演奏/プロデュースを
全て自分で行っている完全なソロ・プロジェクトとしてはM.C.B.名義の"It's Your Scratch
('85年)"以来2枚めになります。

溶岩噴火のようなシンセのSEから入り、曲中で何度も繰り返される"Sucker MC's!"の
サンプリング・ヴォイスが鳴って、TR-808が早めのビートを刻み、シンセ・ベースが
ファンキーに唸ります。テーマを奏でるストリングス・シンセと、"Let's Rock The
Planet"とハモる男性ラッパーが交互に登場して盛り上げていきます。中盤で"Get Funky"
とか"Shake It"等の短い掛け声を連呼する部分がありますが、この辺は2ライヴ・クルー等の
典型的なマイアミの音に繋がっている感じです。曲は終盤にヴォコーダー・ヴォイスが
"Rock The Planet~"と唄って終わります。

タイトル、アレンジからしてモロなのですが、この曲はエイモスによる「プラネット・
ロック」
へのオマージュでしょう。バスドラの音は一般的なエレクトロより気持ち強調
されているかな、という程度。MCフレックスの時にも書きましたが、ちゃんと楽理を
学んでいるおかげか、この人の作る音はいい意味で安定しており、完成されている
感じがします。






Bobby Jimmy & The Critters "Knuckle Draggers" (Rapsur RP 10003) 1984

bobbyjimmy.jpg
ボビー・ジミー&ザ・クリッターズはLAを拠点に活動していたコメディアンの
ラス・パー(Russ Parr)が結成したグループ。ラスは、もともとLAのKDAYという
ラジオ局のホストとして活動していたのですが、その番組内の架空のキャラクター
としてボビー・ジミーを登場させたところ大好評となり、エジプシャン・ラヴァー
進言でレコーディングも行うことになります。エジプシャン~がプロデュースした
デビュー・シングル"We Like Ugly Women"は、ラスが設立したラプサー・レコードの
第一弾としてリリースされ、5万枚を売る大ヒットに。その曲の最初の印税の額を
見て、ラスはパーマネントなグループとして活動することを決めたそうです。

"Knuckle Draggers"は'84年にリリースされたセカンド・シングル。
プロデュースはクリッターズのメンバーであり、ラプサーからソロ・デビューも
していたアラビアン・プリンスです。彼らの曲は、大ヒット曲の替え歌パロディの
ことが多いのですが、この曲は完全なオリジナルのようです。

"Knuckle Draggers(粗野なバカ者、のことだそう)なんか大嫌い!"という女性の
語りからはじまり、DMXがミディアム・テンポのビートを刻んでスタート。
シンセ・ベースが入り、男女が会話のように交互にラップしていきます。
詞の内容は、男女がお互いのヒドいところをけなし合う、レベルの低いケンカ
という感じ。サビでは女性コーラスが曲名を唄います。ドラム・ブレイクの
後、ヴォイス・サンプルのフレーズ弾きやハード・ロッキンなギター・ソロが
あり、その後は男女ラッパーのソロ・パート~女性コーラスの流れで終了と
なります。

あくまでコメディ・ラップとしては、なのですが、音楽的には意外にもしっかりと
作られていて、エジプシャン・ラヴァーのソロ辺りよりクオリティ高く聴こえます。
この後売れっ子になるエンジニアのスティーヴ・サイクスのおかげでしょうか。ボビーは
'90年ごろまで音楽活動をつづけた後、本職のコメディアンに戻り、ワシントンDCで
冠ラジオ番組をはじめて大成功し、全米規模で愛好される人気者になっているそうです。

Rhythm Makers Ltd. "Unicycle Searching Rap" (Star Vision International SVI 1202) 1985

rhythmmakers.jpg
リズム・メイカーズ・リミテッドは'80年代半ばに2枚のシングルを残した
グループ。メンバー構成や各々の名前は全くわかりません。
レーベルのスター・ヴィジョンはジミー・ドケットの所有するレーベル。
ジミーは'70年代前半から活動するソウル・シンガーで、スモーキー・
ロビンソンに通ずる甘いファルセットがウリの、ポピュラー寄りの
アーティストでした。スター・ヴィジョンの作品は殆ど彼がプロデュースも
行っています。

"Unicycle~"はグループの2枚めのシングルなのですが、デビュー曲共々
アレンジとバック・トラックの演奏を行っているのはフレッド・マクファーレン。
彼は'80年代前半から現在まで、NYを拠点に活動をつづけるキーボード奏者/
プロデューサー/リミキサー。この頃はまだ駆け出しですが、アレン・ジョージと
組んで活動するようになってからはジョセリン・ブラウンの"Somebody
Else's Guy"やロビン・Sの"Show Me Love"等の大ヒットを生んでいます。
唄ものR&B寄りのディスコ~ハウスを得意としている人です。

重々しいストリングス・シンセの中、低音の男性ナレーターがグループを
紹介した後、DMXがビートを刻み始め、スペイシーなシンセやシン・ドラムが
アクセントをつけていく中、メンバーのラップがスタート。ブヨブヨのシンセ・ベースが
ファンキーにうねり、一人のリード・ラッパーに複数のバックがガヤを返す形で
掛け合いを聴かせます。メリー・メル&フューリアス・ファイヴの影響を窺わせる
オーソドックスなスタイルはなかなか勢いがあってカッコ良いです。詞の内容も
フューリアス~の"The Message"タイプの暗い世相を唄ったものですが、サビでは
希望を見出そうとするかのように"Searching For The Rainbow,Searching For The
Heart Of Gold"と男女コーラスが唄います。中盤で軽くドラム・ブレイクがあり、
ハンド・クラップとシンセ・ベースが交互にソロを取った後、再びコーラスが
登場してコーダとなります。

全体としてはやや唄もの寄りな、メロディアスなエレクトロという感じですが、
もうひとつ食い足りない、何かアクが欲しいところです。

ここまで書いたところでデビュー・シングルの"Party Rap"も聴き直してみたの
ですが、こちらの方がトレチャラス・スリーみたいなドラム・マシン&スクラッチ
&集団ラップでカッコ良かった...まぁ良かったらそちらも探してみて下さい。



T.C. & Dangerous Three "You Can Do It" (Tra-San TS 1000) 1984

tcanddangerouscrew.jpg
T.C.&デンジェラス・スリーはNY郊外のスプリング・ヴァレー出身の3人組。メンバー名は
アル-スキー(Al-ski)、 T.C.、ダニー"ダッパー・ダン"ディッカーソンですが、それ以上の
詳しい経歴は全くわかりません。レーベルのトレイ-サンはジョージ・カーの関連作品を
'84年前後に数枚出しただけのニュー・ジャージーの会社。他のシングルはR&B/ディスコ系の
曲ばかりです。

プロデュースはジョージ・カーとレジー・グリフィン。ジョージに関してはハッサン&7-11
項を、レジーは自身のシングル"Mirda Rock"のページを各々参照してほしいのですが、二人とも
本来は唄ものR&B畑の人です。

音色を殆ど加工していないDMXのドラムがビチビチと鳴り、手弾きのエレクトリック・ベースと、
ちょっとタメの効いたホーン・シンセが合いの手のように入り、3人の男性が掛け合いラップを
展開。サビでは3人がユニゾンでラップしています。トレチャラス・スリー辺りに似たタイプで、
メンバーの声質はワルそうなのですが(笑)、詞の内容はキング牧師や神の教えに従って行動すれば
正しい行動が出来るんだ、という健全なメッセージもの。終盤にちょこっと歓声のSEが入って
あっという間に曲は終わってしまいます。

まったくの推測ですが、どこかのライヴで彼らを見かけたジョージ・カーが、メリー・メルみたいな
ポジティヴなメッセージものを演らせたらイイかも、と彼らをスカウトし、子分格のレジー・
グリフィンに3日ぐらいでトラックを作らせて録音した、という感じ。メンバーたちのラッパーと
しての技量はけっして悪くないのですが、今いちショボい音と真面目すぎる詞の内容がネックで
殆ど話題にならないまま終わってしまった、というところでしょうか。



The Buggers "The Bugger Groove" (Manhole A 92) 1984

buggers.jpg
ザ・バガーズはスペシャル・リクエストの項で取り上げたカルロス・デ・ヘスースと
ホセ"アニマル"ディアスによるプロジェクト。二人の経歴に関してはスペシャル~の
ところを参照してほしいのですが、スペシャル~では出来なくなった実験的な音を
演るために、専用のレーベルを興して作ったグループという感じがあります。
バガーズ名義では、'80年代後半になってホセのみが参加したシングルを2枚出して
いるので、ホセが主導権を取って制作しているのかもしれません。

レーベルのマンホールは、これ以外にはX-Ray Visionという、こちらもホセが
中心となったプロジェクトのシングルを出しているのみ。こちらもなかなか
面白いエレクトロになっているのでいずれは紹介の予定です。

"The Bugger Groove"は'84年にリリースされた彼らのデビュー・シングル。
基本的にはメインの二人で音を作っていると思われますが、ゲストとしてカルロスの
師匠であるサルサ系のキーボード奏者、リカルド・マレーロ(!)がオルガン・ソロで
参加しています。

キラキラしたシンセが薄く鳴り、シンセ・ベースが二音だけ鳴ったと思うと、映画から
サンプルしたと思しき男性の声で'Picture This, Recording Studio Somewhere Far,
Far Away'と語りが入り、ピッチを変えたチップマンクス風の声がガヤを入れます。
TR-808がビートを刻みはじめ、セクシーな声の女性がバガーズの紹介をナレイション。
シンセ・ベースとパーカッションがラテン・リズムを弾く中、男女様々な声の語りが
つぎつぎと現れては消えていきます。唄っているとかラップしているのではなく
あくまで「語り」で、"Let Your Body Move, To The Bugger Groove"とか"Thank You
Sexy Bugger"等と語り、その間バックの演奏はサビもなくラテンのリズムが繰り返されて
だんだんと妖しいトランス状態に陥ってきます。中盤のドラム・ブレイクではターザンや
動物の鳴き声が入り、その後はジャングルの更に奥に入っていくように、複数のシンセが
ラテン・リズムを強調して絡み合い、終盤にはマレーロのオルガン・ソロも入って
きます。

スペシャル・リクエストのときに「このヘンタイ・エレクトロ路線をもっと聴きたかった」
等と書きましたが、それをまさにやってくれたのがこの曲で、この妖しさにはやられました。
B面には、オマケとしてナレイション部分だけをアカペラで聴かせる"SFX"というトラックが
入っているのですが、コールドカットがエリック・B.&ラキムのリミックスで使用していた
"Bye George, Even London Grooves"が確認出来たのは嬉しかったな。



Divine Sounds "Changes (We Go Through)" (Specific D 229) 1984

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デイヴァイン・サウンズは'80年代半ばに活動していた3人組。彼らはブルックリンの
Bedford-Stuyvesantなる地域から登場したのですが、このシングルのB面曲
"Do Or Die Bed Sty"とはそちらについて唄ったものです。メンバーの名前は
DJマイク・ミュージックことマイケル・ダウリング、ディスコ・リッチーこと
リチャード・ダウリング、そしてシェルトン・Dことシェルトン・マッコイです。

もともとは、高校生だったマイクが'75~'76年ごろにDJをはじめ、弟のリッチーを
MCに立てて活動していたようですが、ラッパーの相方を探していた二人は地元で
行われていたラップ・コンテストに出場し、そこで別のグループのメンバーとして
出場していたシェルトンを見初めます。二人が自作の詩を渡してシェルトンに
ラップさせたみたところ、イイ感じに曲が聴こえるようになり、そこから3人での
活動がはじまったそうです。因みに、マイクやリッチーのいとこに、後にセレクトから
ソロ・マイカーとしてデビューするトゥルー・マセマティクスがいて、グループ名の
ディヴァイン・サウンズとは彼の提案で決まったとのこと。

ゴスペル・タッチの集団コーラスから、DMXとリン・ドラムを併用した打ち込みの
ビートが刻まれ、オーケストラ・ヒットやスクラッチも鳴る中を、二人の男性が
ガヤを入れる様子からスタート、その後すぐにDX7のシンセ・ベースやギター、
男女混成のコーラス隊がサビを唄って派手に盛り上げます。そこまでは哀感を
帯びたメロディがスウィート・Gの"Games People Play"みたいだな、と思っていると、
コーラス隊が抜けてメロディアスさが無くなり、二人の男性による掛け合いラップが
はじまります。ギターやホーン・シンセのリズミックな入れ方、ラッパーの語尾の
伸ばし方や掛け合いのタイミング等、この部分はラン-DMCの"Hard Times"そっくり。
この後はその二つのパートが交互に表れ、ブレイク部分ではシンセやベースのソロが
少し入って終わる感じです。

当時はラン-DMCがとにかく人気だったので、彼らの音にブルックリン流儀のファンク/
R&B風味を加えてみたという感じでしょうか。"Do Or Die~"のほうは、ドラム・ビートと
スクラッチのみをバックに二人が掛け合いラップを聴かせるハードコアな音で、同時期の
ダギー・フレッシュやファット・ボーイズに通ずるカッコ良さです。



Butch Cassidy's Funk Bunch "On A DJ's Birthday" (TNT TN 1227) 1984

butchcassidys.jpg
ブッチ・キャシディズ・ファンク・バンチはNYのロング・アイランドを拠点に
活動していたMCのアーロン・アレンによるプロジェクト。アーロンは高校生だった
'70年代半ばごろ、弟のCA・ザ・DJと共に活動をはじめ、その後ルーズベルト・
ユース・センターの中にあった「スペクトラム」というラジオ局でハンク・
ショックリーと知り合います。

ハンクはそこから名を取ったスペクトラム・サウンド・シティというクルーで
活動していたのですが、ある日アーロンが地元のアデルフィ大学を訪れた際に、
ちょうどスペクトラム~がイベントを行っていて、ステージ上に居たチャック・Dから
「ブッチ・キャシディの登場だ」と紹介され、アーロンはパフォーマンスを
披露。翌日から学内は彼の話題でもちきりになり、アーロンは(「明日に向かって
撃て!」のキャラクターである)ブッチ・キャシディの名で活動していくことに。

ブッチはスペクトラム~の一員としてアデルフィ大でのパーティや同大内のラジオ局、
WBAUに出演するようになり、チャック・Dの相方的なポジションのMCとして活動する
ようになります。彼らはその後名称をスペクトラム・シティと改め、ヴァンガード・
レーベルと契約して'84年にシングル"Lies"でレコード・デビューしたものの、
セールス的にはパッとせず、ブッチはグループとは一定の距離を置いて活動するように
なります。スペクトラム~はこの後メンバーにフレイヴァー・フラヴやターミネイター・Xを
加えてパブリック・エナミーに発展し、デフ・ジャム入りしてセンセーションを
巻き起こすわけですが、ブッチも最初の数年間ほどは彼らのライヴに参加していた
ようです。

スペクトラム・シティの一方で、ブッチは独自のグループも持っていました。
P-ファンクが大好きで、ブーツィ・コリンズがアイドルだったというブッチは、
ラジオ番組内ではコリー・ジャンセンなる人物と組んでファンクを流しながら
MCを行っており、そこからブッチ・キャシディズ・ファンク・バンチが生まれる
ことになります。ブッチがスペクトラム~と距離を置いていた時期に、チャールズ・
カセウスからの誘いでレコーディングしたのが今回の"On A DJ's Birthday"に
なります。チャールズはキー・マティックの項で紹介したプロデューサー。
もともとはロング・アイランドの同じスタジオでチャールズとエリック・サドラーが
作業していたことからこの繋がりが出来たそうで、このシングルにもエリックと
チャック・Dは作曲者にクレジットされています。

バースデイ・ソングのメロディをシンセが弾いた後、DMXがミディアム・テンポの
ファンク・ビートを刻み、ヴォコーダーが曲名を連呼します。その後シンセ・ベースと
ホーン・シンセが加わり、女性コーラスが唄った後、ブッチのラップがスタート。
ちょっとカーティス・ブロウに似た声質で、スキルは普通です。サビで再び女性
コーラスが登場し、ブレイク部分ではスクラッチやシンセがソロを取ります。
後半はファンキーなリズム・ギターやパーカッション、男性コーラスも加わって、
かなりR&B寄りな曲調に変わっていって終わります。

改めて聴くと、キー・マティックの曲とやはり雰囲気がかなり似ていて、ちょっと
ジャズ的なハーモニーも取り入れたポップなエレクトロという印象です。ブッチより
チャールズ・カセウスの色が濃く出てしまったということでしょうか。

この後のブッチは、ファイヴ・オー(5ive-O)というグループで短期間活動した後、
高校時代の級友だったエディ・マーフィの縁からコメディアンに転向して'90年代
後半まで活動し、現在はNYで忍術(?)を教える道場を経営しているそうです。

今回の経歴は、こちらのインタビューを参考にしました。
butchcassidysfunkbunch01.jpg
プロフィール
クロい音楽全般が好きなのですが、 ここではエレクトロとオールド・スクールの アナログ盤に絞って紹介していきます。

KDMX

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