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Fantasy Three "Biters In The City" (C.C.L. CCL 001) 1983

bitersinthecity.jpg
ファンタジー・スリーは'83~'84年の間に3枚のシングルを残した3人組。
大まかな経歴はデビュー・シングル"It's Your Rock"の時に書いたので
そちらを参照してほしいのですが、こちらにリーダー格のシルヴァー・
フォックスのインタビューを見つけたので、今回は彼について書いて
みます。

シルヴァー・フォックスことレジー・ホブディはマンハッタンの125番街
で生まれ育ったのですが、10代後半の数年間はアラスカで過ごしていた
ため、ヒップホップについて何も知らなかったとのこと。NYに戻ってきた
'80年初頭には彼は21歳になっていて、地元でDJプレイやMCをする仲間に
衝撃をうけ、自分でもマイクを握るようになっていたそうです。

それからはひたすらライムを書いてはストリートでパフォーマンスし、
レコードを聴いてスキルを磨くという日々がつづき、しばらくするうちに
アマチュアながらプロ顔負けのMCをする男として名を上げていったそう。
様々なパーティに単身乗り込んで行っては、MCバトルを繰り返していた
とのこと。それらを通じてフィアレス・フォーのメンバーとも親交が
出来、フィアレス~のマスター・OCのプロデュースで"It's Your Rock"を
発表。

"It's~"は仲間うちでは好評だったものの、プレス枚数が少なかったため
ヒットには至らず。そのうちクラッシュ・クルーが、この曲を露骨に
パクった"On The Radio"をヒットさせてレジーは激怒し、ライヴで共演
した際には殴り合い寸前のピリピリした雰囲気になったこともあったそう
です(インタビューを読むとわかるのですが、彼はかなりアツくなりやすい
性格のようです...)。これに懲りた彼らは、作品をキチンとした
ディストリビューションに乗せるために自身のレーベル、CCLを設立します。
CCLとは「Chico,Charlie,Larry」の略で、チコとはオーナーのジュリオ・
グイナ、チャーリーとラリーはファンタジー・3のメンバーのチャーリー
"ロック"ヒメネスとラリー・マックのことでした。

"Biters~"は'83年に発表されたレーベル第一弾で、グループの2枚目のシングル。
プロデュースは前作に引き続きマスター・OCと(CCLのディストリビューション
元だったカッティング・レーベルのオーナーの)アルド・マリン。トラックの
制作はパンプキンが行っています。

(おそらく)人力のドラムが早めのビートを刻み、シンセはフリーズの"I.O.U."に
似たリフを繰り返し、手弾きのエレクトリック・ベースがファンキーにうねる中、
メンバーが曲のタイトルを連呼し、その後3人が激しい掛け合いラップを聴かせます。
レジーはインタビューでこの曲を「バトル・ラップ」と言っていますが、まさに
3人が競り合うように入れ替わり、時にハモるテンション高いラップがやたらと
カッコイイ。ブレイクではスクラッチ~ハンド・クラップ~ベースの順にソロが
入り、その後掛け合いラップに戻ります。終盤はメンバーが各々勝手にガヤを
入れ、終始テンション高いまま終わります。

B面のインストは、プロデュースの2人がミックスし直したと思しきダブに
なっていて、パンプキンのドラムがビートを刻む上を、原曲には入っていなかった
ヴォコーダーや、エディット処理されたノイジーなシンセやヴォーカルが
叩きつけられます。こちらも非常にカッコイイ出来です。

レジーのデビュー前のバトルMC時代のノリが再現された名曲と言っていいのでは
ないでしょうか。



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Captain Rock "Cosmic Blast" (NIA NI 1244) 1984

captainrock.jpg
キャプテン・ロック(本名ロナルド・ウェイン・グリーン)は'80年代初頭から
半ばごろまで活動していたNYのラッパー。幼少の頃からピアノを習い、教会で
唄ってもいたという彼は、高校に入ると祖母から2台のターンテーブルと大型の
スピーカーをプレゼントされてDJをはじめ、その後、友人だった
ハーレム・ワールド・クルー(後のDr.ジキル&Mr.ハイド)のグループのDJとして
活動をはじめます。当時の芸名はDJ・ロニー・グリーンでした。

'82年に、アリーム兄弟が宇宙をテーマにしたラッパーのプロジェクトを始める
という話を聞いたハーレム~の二人は、ロニーにそのオーディションを受ける
よう勧め、見事合格。ロニーはここで「キャプテン・ロック」になったのでした。
さっそく制作されたデビュー・シングル"Cosmic Glide"はP-ファンク的な
生音ディスコ・ファンクにキャプテンのSFをテーマにしたファンキーなラップが
のった曲で、今聴くとけっこうカッコイイと思うのですが、セールス的には
惨敗。そこで彼らは当時大ヒットしていた「プラネット・ロック」を参考にして
音作りを打ち込み系に大きくシフトしたセカンド・シングル"The Return Of
Capt. Rock"を発表。こちらはUKとアメリカ南部でヒットしてようやく活動も
軌道に乗るようになります。

"Cosmic Blast"は'84年に発表された3枚めのシングル。この曲はキャプテン自ら
作詞した唯一の曲で、初めてNYでも大ヒットになったそう。プロデュースは
レーベル・オーナーのアリーム兄弟、ミックスはこの頃NIAレーベル作品に
よく関わっていたマーリー・マールです。

DJが左チャンネルで"Change The Beat"を、右チャンネルではセローンの
"Rocket In The Pocket"を繰り返しスクラッチし、ゲート・リヴァーヴのかかった
派手なドラム・ビートと、カリブ風のリフを奏でるシンセをバックにキャプテンが
軽く自己紹介のナレイションをしてスタート。つづいてシンセ・ベースとストリングス・
シンセが加わってラップがスタートします。ラップはカーティス・ブロウや
ラブバッグ・スタースキーに通ずる明るくポップなハーレム・スタイル。ブレイク
部分ではヒューマン・ビート・ボックスが入り、2度めのサビでは男声コーラスも
加わって盛り上げます。終盤にはハード・ロック風のギター・ソロも入っています。

全体としては、シャノンの"Let The Music Play"をお手本にしつつ、スクラッチや
ヒューマン・ビート・ボックスの見せ場もキチンと織り込まれた、ポップスとして
良く出来たエレクトロという印象です。







Z-3 MC's "Triple Threat" (Beauty And The Beat BAB 103) 1985

z3mcs.jpg
Z-3・MCズはボルチモア出身の3人組。メンバーはロミー、ショーン・ナイス、
マーヴィン・C(Romie,Shaun Nice,Marvin C)の3名で、このシングル1枚だけ
しかリリースしていません。この当時、メンバーは15~16歳だったそうで、
ジャケ写からもあどけなさが感じられます。ロミーはこの後、既に紹介済の
ウイ・ロック・クルーと関わりを持ったことが確認出来たのですが、それ
以外のメンバーの経歴は不明です。

レーベルのビューティ&ザ・ビートはワード・オブ・マウスの時に紹介した
デューク・ブーティのレーベル。ブーティの経歴はその時詳しく書いたので
そちらを参照してほしいのですが、ブーティはボルチモアでタレント・ショウの
オーディションを行い、その時の優勝者が彼らでレコード契約に至ったとの
こと。ヒューマン・ビート・ボックスのうまさが決め手になったそうです。

この曲もワード・オブ・マウス同様、当時のブーティのトレード・マークで
あるヘヴィなハンマー・ビートが鳴り響いているのですが、ブーティはこの音を
ジャマイカのダブ・ミキサーであるサイエンティストのアルバムからヒントを
得たとのこと。たしかに"Scientist Meets The Space Invaders('81年)"あたりの
大袈裟なドラム・サウンドは似ている気がします。もうひとつ、D-トレインの
"Keep On"や"You're The One For Me"でのデジタル・ディレイの使い方にも
影響を受けたそうです。

ヒューマン・ビート・ボックスとハンマー・ビートが絡みあうイントロの後、
3人の集団ラップがスタート。ひととおりラップが終わったところでシンセが
古いポピュラー・ソング"the Snake Charmer(ヘビ使いの唄)"のフレーズを
弾き、短いドラム・ブレイクが入ります。その後はまた集団ラップ~ヘビ使い
と同じパターンが3度繰り返され、終盤にわずかにエディットされたドラム・
ブレイクとヒューマン・ビート・ボックスが入って終わります。

ワン・パターンと言えばそうなのですが、この重低音ドラムはやはりカッコイイ。
アーサー・ベイカーやラテン・ラスカルズ辺りが、この後ブーティを模倣した
ドラム・サウンドを取り入れていくのですが、彼らのビートはどこかクロい
うねりに欠けて物足りなく感じました。






Grandmixer D.St. and The Infinity Rappers "The Grandmixer Cuts It Up" (Celluloid CEL 158) 1982

grandmixerdst01.jpg
グランドミキサー・D.ST(現在はDXT)は、本名をデレク・ショワード(Derek Showard)と
言い、ブロンクス生まれで現在もNYを拠点に活動するDJ/プロデューサー。芸名の
D.STとは、彼が仲間たちとよくツルんでいたマンハッタンのデランシー・ストリートに
由来するものだそうです。

もともとはアマチュア・バンドのドラマーだった彼は、'75年ごろクール・ハークや
アフリカ・バンバータの影響を受けてDJプレイをはじめ、高校での同級生たちと
ジ・インフィニティ・スクワッド(The Infinity Squad)というグループを結成。
当時はDJだけでなく、MCやブレンクダンスもメンバー達と行っていたそうです。
その後、彼の独創的なDJプレイに目をつけたアフリカ・バンバータに声を掛けられ、
バムのズールー・ネイションに加入。更に有名なクラブ、ロキシーのレギュラーDJと
なり、そこでプレイするうちに数々の業界関係者から声を掛けられるようになり、
そのうちの一人だったマテリアルのビル・ラズウェルの誘いで初のレコーディングを
経験することになります。

彼のスクラッチを一躍有名にするのはハービー・ハンコックの"Rockit"なのはご存じの
とおりですが、その曲やフェイズ・IIの"The Roxy"以前に録音/発表されたのが、
デビュー曲の"~Cuts It Up"です。

シンセがミニマル・ミュージック風のフレーズを繰り返し、DMXがカチカチの
ハンドクラップ音を響かせる中、ヴォコーダーが"It's Time To Leave~
Grandmixer DST!"等とグループ名を告げて、それに応えるようにインフィニティ・
ラッパーズの面々がラップで自己紹介していきます。彼らはファンキー・4・プラス1の
影響を受けているそうで、ラップのスタイルもオールド・スクール直系の、時に唄も
交えた掛け合いです。その後はホラー映画風(「エクソシスト」や「要塞警察」あたりを
お手本にしたのだと思いますが)のシンセがソロを取り、ところどころで別のシンセ類が
ノイズ的なSEを入れたりしつつ、中盤でラッパー達が集中的に喋る箇所があり、
その後は再びヴォコーダーやシンセ類が順にソロを入れて終わります。

ラッパーたちは喋りの中でDSTのスクラッチのテクニックを盛んに称えているのですが、
それに応えるスクラッチの音は何故か全く入っていません。インタビューによると、
スクラッチ入りのヴァージョンも録音したが、何故かそれは編集段階でカットされ、
レコードが出る頃、メンバーはツアーでヨーロッパに出ていて何も変えることが
出来なかったとのこと。DSTはこの曲では作曲/プロデュース/演奏も行っているので、
彼のレコードには違いないのですが、ジャケットから受ける印象からはかなり違う
音でした。SF&ホラー趣味とエレクトロが合体したちょっと不気味なアレンジは
独創的でカッコイイとは思うのですが...





Sir Mix-A-Lot "I Just Love My Beat" (Nastymix IGU 6969) 1985

sirmixalot.jpg
サー・ミクサロットは本名をアンソニー・レイと言い、'63年生まれ。ラップ辺境の地
シアトルで'80年代半ばから現在までしぶとく活動をつづけるラッパー/プロデューサー
です。詳しい経歴はわからなかったのですが、子供の頃から様々な音楽を耳にして
育ち、中でもヒップホップに入れ込むようになって、'80年代始めから自身もラッパー
として活動をスタート、'83年にはDJのナスティ・ネス(シアトルで最初のヒップホップ
専門のラジオ番組を持ったDJ)と共同でレーベル、ナスティミックスを設立します。

(レーベル設立は'83年なのですが)"I Just Love My Beat"は'85年にリリースされた、
レーベル第一弾リリースであり、彼のデビュー・シングル。作曲/アレンジ/演奏/
エンジニアリングの全ても自身で行っています。

低音の男性ラッパーが"My Beat,My Beat,I Just Love My Beat"と繰り返し、DMXが
ドシバシと大袈裟なビートを刻み、オルガン風のストリングス・シンセが薄く鳴って
スタート。サー~がメインでラップしつつ、女性ラッパーがところどころに入ったり、
ハモったりして曲が進んでいきます。ブレイク部分では雑なスクラッチやテープ逆回転の
エフェクトをかけたヴォーカルが入り、その後男性ラッパーが戻ってきて終盤には
シン・ドラムがピュンピュンとアクセントを入れて終了。エレクトロ好きの間では
エジプシャン・ラヴァーに似ていると指摘されているようですが、私はドラムや
シンセ類の音色といい、ベースレスなところといい、プリンスの"When Doves Cry"を
意識しているように思います。タテのりなビート、どこかロック的なラフさもあって、
それが後にリック・ルービンのデフ・アメリカンに入る伏線になっている気もします。

B面の"Let's G"と"Mix-A-Lot's Theme"のほうが"Radio Activity"「プラネット・
ロック」
の影響が強いヴォコーダー・ファンク~エレクトロ路線で、こちらの方が
当ブログ的にはしっくりくるのかも。ただ、ご本人の個性はあまり感じられなく
なってしまうのですが。



Big Apple Production "Genius at Work" (J&T JTT 102) 1984

bigappleprod.jpg
ビッグ・アップル・プロダクションのシリーズは'80~'90年代の間に
全部で6枚のシングルを発表したメガミックス/マスターミックスのシリーズ。
このシリーズは全てピーター・ダフ(またはサー&ダフ)という名義の人物が
プロデュースしたとクレジットされていますが、これは架空の名義で、
実際にミックスを行っている人は盤によって毎回異なります。内容が
内容だけにこのシリーズは正規の盤でなくブートレグとしてしかリリースされて
いません。当ブログはブートは取り上げないのが原則ですが、このシリーズは
メガミックスの古典として認識されていること、ラテン・ラスカルズの
代表作と言えばまずこのレコードが頭に浮かぶことから、例外として取り上げる
ことにしました。

先に書いてしまいましたが、この"~Vol.II"でミックスを担当しているのは
ラテン・ラスカルズ。彼らはNY在住のヒスパニック系アメリカ人、
アルバート・カブレラとトニー・モランのコンビです。既にファンタジー・
スリー
ハイ・フィデリティ・スリーの項で名前を挙げていますが、この頃
から'80年代終わりごろにかけて、膨大な量の(かつクオリティの高い)リミックスや
エディットを手掛けて、エディット界のキングとしてその名をとどろかせて
います。

アルバート・カブレラはNYのアッパー・イースト・サイド出身。十代の頃から
ストリートDJとして活動しつつ、地元の仲間たちに自作のミックス・テープを
手売りしていたとのこと。テープ作りのネタ探しで訪れたダウンタウン・レコーズ
というレコード店で、アルバートは同店のDJとして働いていたトニー・モランと
出会います。アルバートのミックス・テープに興味を持ったトニーは、店頭での
演奏用にマスターミックスのテープ作成を依頼し、出来上がったテープは頻繁に
流されて客たちの間でも話題になっていったそう。その客のひとりがスペシャル・
リクエスト
のメンバーだったカルロス・デ・ヘスースで、カルロスは自身が務める
ラジオ局WKTUでそのテープを使用させてくれと依頼します。当時のアルバートは
カセット・デッキしか持っていなかったので、カセット・テープの音源をオン・エア用の
オープン・リールに落とす作業をトニーが行い、その頃からアルバートとトニーの
親交が深まってラテン・ラスカルズが結成されたそうです。

WKTUでのオン・エアは、二人の人気が高まってメジャーなKiss-FMに移籍するまで
数年間つづけられます。レコードと二台のターンテーブルを使用した生のプレイに
よるDJミックスが主流だった当時のマスターミックス・ショウの中で、
テープ・エディットを駆使したアルバートのミックスは緻密かつ斬新で、業界内でも
噂が広まり、それが今回のブート盤製造につながることになります。

タイトルからもわかるようにこの曲は"Big Apple~"のシリーズの中で二番目のリリース。
繰り返し書いているようにこのシリーズは複数のレコードをブレイク・ミックスした
マスターミックス物の内容なのですが、この盤はエレクトロのレコードが多数使われて
いるのが特徴になっています。

ラジオ局の選局ツマミを回すSEからスタートし、ラジオの番組内の一曲のようにデイヴィ・
DMXの"One For The Treble"がはじまり、数十秒でカーティス・ブロウの"AJ Scratch"の
アカペラ部分に変わります。それに被さるようにシェリル・リンの"Encore"の歓声と
TR-808のイントロが繰り返され...というように目まぐるしく曲が変わっていきます。
曲を順にミックスするだけでなく、複数の曲を組み合わせたり、フレーズを短く
切り刻んだりと編集でなければ出来ない技も多く盛り込まれています。全ての曲目
の解析は大変なのでこちらこちらを参照してほしいのですが、エディットとミックスを
駆使して、曲が変わる度あっと驚かされ、その連続で8分以上が過ぎていってしまいます。
構成力の見事さにも感服で、演奏しているわけでもないのに「曲」としてすごい、
エディットはそれ自体が作曲だと思い知らされました。

エディットに興味のある方は下に挙げた本に非常に詳しく述べられているので、読んで
みて下さい。なお、私が持っているこの盤は白地に黒のインクが乗ったものですが、
赤い線が入ったものやレーベル・デザインがかなり違うものが複数あるようです。
ブートなのでどれがオリジナルなのかも正確には判らずでした...






Pretty Tony "Get Some" (Music Specialists MSI 113) 1985

prettytony.jpg
プリティ・トニーことトニー・バトラーは'80年代前半から現在までマイアミを拠点に
活動をつづけるプロデューサー。いちどフリースタイルの項で紹介していますが、
ご本人のMySpaceに詳しいバイオグラフィを見つけることが出来たので、改めて
書いてみます。

もともと自身で独自のセットを組んで「ストリートDJ」として活動をはじめ、それが
商売になるとふんだトニーは、高校のパーティやラジオ局の広告イベント等に出演して
プロとしてのキャリアをスタート、すぐにフロリダでは一番人気のパーティDJとなります。

さらにNFLのマイアミ・ドルフィンズのメンバーやバーガー・キングのオーナーに出資を
募ってスケート・リンクを造り、彼のDJ人気もあってアメリカ南東部では一番の人気リンクと
なり、そこからレコード会社から録音のオファーが舞い込むようになっていったとのこと。
'83年に自身のスタジオを設立して制作したデビー・デブのシングル"When I Hear Music"が
大ヒットして活動も軌道に乗り、トニーは自身のレーベル、ミュージック・スペシャリスツを
設立して、アーティストの発掘/マネジメントから、プロデュース/レコーディング、
レコードのディストリビューションや全国的なプロモーションまでを自分たちで独自に行う
システムを作り上げ、メジャーと関わることなくデビー・デブ、フリースタイル、トリニアー、
そしてプリティ・トニーのソロ名義での作品をリリースしヒットさせていきます。

"Get Some"はそんなプロデューサーとしての活動がピークに達していた'85年にリリースされた、
ソロ名義では4枚めのシングルです。

重低音を強調したTR-808が早めのビートを刻み、掘削機の作業音のようなサンプリングが
ループされる中、プリンスを意識したようなヌメッとしたトニーのラップがスタート。
ストリングス・シンセも加わりますが、ベースは入っていません。小節の終わりで
オーケストラ・ヒットや"Get Some!"の掛け声が入ったり、ところどころでヴォコーダーが
ラップとハモったりもしますが、曲はあまり展開せず、スタート時の不穏なテンションのまま
終了。

ベースレスでループ感を重視したアレンジは、ハードコアなヒップホップのマイアミ・ベース
版を狙った感じでしょうか。大音量で聴くと執拗な繰り返しがクセになりそうな、カッコイイ
曲です。





Links

fearless4_01.jpg
'83年、エレクトラと契約直後のフィアレス・フォーのプロモーション用写真。左上より時計回りにDLB、クレイジー・エディ、
グレート・ペソ、ディヴァステイティング・ティト、マスター・O.C.、マイティ・マイク・C。




今回は右側に載せたリンク先について書いてみます。

Electro Empire
世界中のエレクトロ好きが集まる掲示板サイト。いくつかのテーマに
分かれていますが、私が主に見ているのは"Electro:The 80s"の部分です。
大メジャーな曲から日本では殆ど知られていない曲まで様々なスレッドで
議論が行われていますが、特に参考になるのが先頭に固定されている
"10 best oldschool electro songs"のスレッド。投稿者が各々のお気に入りの
エレクトロの曲を10曲ずつ挙げていくもので、私が当ブログで、海外の人気投票
云々と書いている時はだいたいここのことをネタにしています。恥ずかしながら
最後のほうに私の投稿も載っています。

Electrofunkroots
'70年代後半からマンチェスターやロンドンで活動するUKのDJ、グレッグ・
ウィルソンのサイト。イギリスで最初にエレクトロを中心としたDJプレイを
行った人でもあるそうで、"Articles"のページにあるエレクトロやブギーに
関する記事やレコード・リストは面白く読みました。"Record Lists"に
載っているレコードはヒップホップ/R&B/ディスコが混在していますが、
アメリカでの人気とは微妙に異なるセレクトが参考になります。

The Foundation
自らもNY周辺で活動するミュージシャンであるジェイクワン氏による
オールドスクール・ヒップホップの情報サイト。プロの音楽家として
活動しているおかげか、「こんな人と接触できたの?」と驚くような
オールド・スクーラーの貴重なインタビューが多数載っています。東海岸の
アーティストのバイオを調べる時によく参考にさせていただいております。

West Coast Pioneers
こちらは西海岸のアーティストに関して詳しい情報が載っているサイト。
てっきりLA在住のアメリカ人だと思っていたら、管理人はドイツの方のようで、
その熱意と執念には頭が下がります。西海岸のエレクトロに関してまとまった
情報が読めるサイトは殆ど無いのでここは貴重です。

Discogs
レコード/CDのデータベースと、中古盤のオンライン業者が連携している
サイト。データベース部分が秀逸で、バイオグラフィがわからないミュージシャン
の経歴をレコードのリリース歴から推測して書いている時は、だいたいここの
DBを参照しています。各レコードのページの右下部分に時折出てくるリストも
面白く、これこのリストは参考になりました。

eBay Music
アメリカのネット・オークション・サイト。私がエレクトロのレコードを手に
入れるのは9割方ここです。出品点数がとにかく多いのが強みで、日本では
殆ど見かけないレコードが安価であっさり落札できたことも多々あります。
ほぼ毎晩チェックしているうちに、どういうレコードが人気があるか、相場は
いくらぐらいかが少しずつわかるようになりました...

GEMM
ヨーロッパの業者を中心とした、複数の中古盤業者合同の販売サイト。UK盤等
ヨーロッパの盤に強いですがやや値段高めです。探しているレコードが見つから
ない時はだいたいeBay→Discogs→GEMMの順で見ています。ただ、後者2組は
現物の画像が見れないのが難です。

Vintage Synth Explorer
名前通りにヴィンテージ・シンセを分類・紹介しているサイト。メーカー別
→機種別に700種類以上のシンセやドラム・マシンが紹介されており、大半は
実際の音のサンプルも聴けるようになっています。


次回からまたレコードのレビューに戻ります。

Electro Classic 10/My Personal 10

richardscher_lottigolden_arthurbaker_brendakstarr.jpg
'84年、ブレンダ・K・スターのファースト・アルバム録音時のスタジオでのスナップ。
左からリチャード・シェア、ロッティ・ゴールデン、アーサー・ベイカー、ブレンダ。



今までひたすらシングルを紹介してくるだけだったので、ちょっと総集編的な
意味あいも兼ねて二つリストを挙げてみます。前回の"~Rap Lists"を読んで
いたら書きたくなりました。

最初はエレクトロ・クラシック10曲。

1.Afrika Bambaataa & the Soul Sonic Force "Planet Rock" (Tommy Boy) 1982
2.Hashim "Al-Naafiysh(The Soul)" (Cutting) 1983
3.Malcolm McLaren & the World's Famous Supreme Team "Buffalo Gals" (Charisma) 1982
4.Herbie Hancock "Rockit" (Columbia) 1983
5.The Egyptian Lover "Egypt,Egypt" (Freak Beat) 1984
6.Newcleus "Jam On It" (Sunnyview) 1984
7.Whodini "Magic's Wand" (Jive) 1982
8.The Jonzun Crew "Pack Jam (Look Out For The OVC)" (Tommy Boy) 1982
9.Man Parrish "Hip Hop,Be Bop (Don't Stop)" (Importe/12) 1982
10.Shannon "Let The Music Play" (Emergency) 1983

私が考える基本中の基本、代表的なエレクトロの有名曲10曲はこんな感じです。
実はブログの最初に取り上げた10曲と全く同じ内容/順番です。始める時に
「まあこの辺は押さえておいた方がいいだろう」と思うものを選んでから
毎日1枚ずつ書いていました。

もうひとつは私の個人的なお気に入り10曲。

1.The Russell Brothers "The Party Scene" (Portrait) 1983
2.Super Coper & Clarence Breakers "This Is The Way You Do The Break Dance" (Clarence Music) 1984
3.The Caution Crew "Westside Storie" (Galleon) 1983
4.Arthur Baker "Breaker's Revenge" (Atlantic) 1984
5.High Fidelity Three "B Boys Breakdance" (Cutting) 1984
6.The Buggers "The Bugger Groove" (Manhole) 1984
7.Hassan & 7-11 "Cold Rock Stuff" (Easy Street) 1985
8.Captain Rapp "Bad Times(I Can't Stand It)" (Saturn) 1983
9.D.J. Born Supreme Allah "Two,Three,Break" (Vintertainment) 1985
10.Mantronix "Who Is It?" (Sleeping Bag) 1986

これも実はクラシック10曲の次に書いた10枚とかなりカブってます。
いちおうこの最初の20枚でどういうスタンスかを示したい、みたいな
心持ちがあったので。順番が違っていたり、まだ書いていないものが
入っているのは2月当時と現在で多少好みが変わったのと、書いた後に
入手出来た盤があった(スーパー・コパーとザ・バガーズ)からです。

海外のエレクトロ好きの人たちの個人的リストを見てみると、西海岸や
マイアミものがもっと多く挙げられていることが多いです。マイナー物を
集めるようになると微妙に基準が変わってくるのかな。

写真はアーサー・ベイカーが載っているものを挙げたかったのですが、
ワープ9のプロデューサー2人と一緒に写っているものがあったので
これにしてみました。



Sacha Jenkins,Elliott Wilson,Chairman Mao,Gabriel Alvarez & Brent Rollins "Ego Trip's Book Of Rap Lists" (St. Martin's Griffin) 1999

egotrip.jpg
前回のスーパー・コパーの盤をもって紹介したレコード枚数が100枚に達しました。
ブログ開始時の目標が、エレクトロのアーティストを(カブりなく)100組紹介する
ことだったので、ひとまずは達成出来ました。

さすがに毎日更新はしんどくなってきたので、これからは更新頻度は落ちると
思います。あと、既に紹介済のアーティストの2枚め、3枚めも取り上げることも
多くなります。

今回の画像の本は、雑誌「Ego Trip」のスタッフが編集した、ヒップホップに関する
様々なトリビアをユーモアたっぷりにリストの形式で紹介したもの。ためになる
ものもあれば、どうでもいいようなアホなリストもあります。具体的には、
アフリカ・バンバータが'88年に英「Blues & Soul」誌に発表した、お気に入りの
ブレイク55曲とか、レッド・アラートによるオールドスクール期のDJたち(クール・
ハーク、バンバータ、ディスコ・キング・マリオ、グランド・ウィザード・セオドア、
AJスクラッチ等々...)の回想といった、資料としても重要なリストもあれば、
「ラッセル・シモンズが結婚する前にデートしたかった女性21名(何故か全員
「P」で始まる名前で統一されていて、1位は007「ゴールドフィンガー」のヒロイン
役だったプシー・ガロア)」というような、読んだ5分後には忘れているような(笑)
リストもあります。

基本的にはゴールデン・エイジと言われる'80年代後半から、'90年代半ばごろの
曲/アーティストに関するリストが中心ですが、巻末の「各年度毎のヒップホップ史上
重要なシングル」のリストのように、エレクトロ好きにも興味深い('82~'84年ごろは
エレクトロ全盛期だったことが改めてわかります)ものも載っています。

全体としては、ヒップホップが大好きな人なら楽しんで読める、粋な副読本という
感じです。右のプロフィールに使用している画像も、この本の中の「ビズ・マーキー
人形とオレ」という、オバカな50枚あまりのスナップ写真の中で私がいちばん笑った、
ベイビー・ポール(ダ・ビートマイナーズ)の写真なのでした。



Super Coper & Clarence Breakers "This Is The Way You Do The Break Dance" (Clarence Music GP 1616) 1984

supercoper.jpg
スーパー・コパー&クラレンス・ブレイカーズはこのシングル一枚で消えてしまった
謎のグループ。中心メンバーはクラレンス・ダラス・Jr.とE.クーパーの二人ですが、
クーパーのほうはこの曲以外でのレコーディングが全く見つかりません。クラレンスも
この同名のレーベルでアレンジやミックスを担当している程度で、おそらく彼が
バックの演奏を、ラップを担当しているのがE.クーパーだと思われます。

作曲者に名を連ねているピーター・ブラウンは、ディスコ・ミュージック&
オールドスクール・ヒップホップの12インチを集めている人なら知らない者は居ない
伝説のプロデューサー。'70年代後半から'80年代半ばにかけて、Sound Of New York、
P&P(パトリック・アダムスと共同)、Golden Flamingo、Land Of Hits等々20以上の
レーベルを設立し、プレス枚数極少ながら質の高いディスコやヒップホップの12インチを
多数リリースしており、それらは現在ではマニア達が血眼で探し求める盤になっています。
レーベルが違っても、独特のロゴと共通したデザインですぐに「コレはピーター・ブラウンの
レーベルだな」とわかってしまうのがミソです。一番のヒット曲はスプーニー・Gの
"Spoonin' Rap('79年)"。なお、ブラウンはプロデューサーとしてクレジットされている
ことが多いですが、彼はあくまでレーベル・オーナーで、実際の録音現場で大きく制作に
関わることは殆ど無かったと思われます。

ディレイのかかったDMXがカチカチと規則的なビートを刻み、ファズのかかったムーグ・シンセが
ぶっといベース・ラインを繰り返す中、シンフォニックなシンセがバーニー・ウォーレルのように
煽るソロを聴かせ、その後男性ラッパーが登場します。ラン-DMCタイプのテンションの高い
トーンで「10年前NYはブロンクスのストリートで、ヒップホップの国からやって来たカン・フー・マン
がギャングスタ・リーン(ギャング独特の運転スタイル)やブレイクダンシングでオマエの口を
アングリさせる...」と言った調子。サビでは"Hip Hop Rockin' Don't Stop!"というラップに
ディレイがかかって盛り上がります。後半ではオレ流のブレイクダンスのやり方を語り、
終盤に再びシンセがソロを取って終わります。

メタリックなドラム・ビート、ドープなベース、押しの強いラップ等、これは文句なしに
カッコ良い曲。個人的には好きな曲ベスト3に入る1枚です。オリジナルは結構な値が付いている
ことが多いのですが、この曲だけは見逃せない!、の想いでポチってしまいました...






G-Force featuring Ronnie Gee & Captain Cee "Feel The Force" (SMI SM 12 4061) 1983

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G-フォースはこのシングル1枚だけしかリリースしていないスタジオ・
プロジェクト。メンバーはロニー・ジーとキャプテン・シーの二人です。
キャプテン・シーは本名をウィル・クリッテンドン(Will Crittendon)と
言い、'70年代から活動しているSMI(Satellite Music International)・
レーベルのオーナー兼プロデューサー。SMIはジェリービーンの項
登場した白人グループ、マンタスで知られるディスコ系のレーベルで、
ウィルは殆どの作品でプロデュースを担当しています。"Feel the Force"は
このレーベルが閉鎖される直前にリリースされた曲です。

ロニー・ジー(本名ロナルド・ゴードン)は'79年ごろから活動しているMC。
ソロ名義でも3枚のシングルを発表しています。カーティス・ブロウに
通ずるファンキーな語り口、渋い声質が持ち味です。

ニュース番組のオープニング・テーマのようなシンフォニックなシンセのソロ
から一転して、DMXのドラム・ビートとファズのかかったシンセ・ベースを
バックに、ヴォコーダーがSFちっくな曲のテーマを宣言し、ストリングス・
シンセが薄く鳴る中、二人のMCが掛け合いラップを聴かせます。サビでは
ヴォコーダーが"Feel The Force!"と唄うとラッパーが"Feelin'!""G-Force!"と
返して盛り上げ、その後も宇宙船の着陸音のようなシンセ・ソロが入ったり、
女性たちの歓声とのコール・アンド・レスポンスもあったりと盛りだくさんな
曲です。

少々音色がチープではありますが、「プラネット・ロック」をベースにしつつ、
ヴォコーダーにオールドスクール・スタイルのラップ、スペイシーなシンセ使い
等、「これぞエレクトロ」と言えそうなカッコイイ曲です。





We Rock Krew "Rockin Fresh" (Phoenix Records & Film Works JC 003) 1983

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ウイ・ロック・クルーは'83年にこのシングル一枚だけを残しているグループ。
メンバーは作曲者にクレジットされている4名だと思われるのですが、経歴等は
全くわかりませんでした。レーベル所在地やレコーディング場所がメリーランド州なので、
そちらを拠点にしているのだろうとは思います。

スタッフの中で経歴がわかるのはプロデュースとミックスを担当している
ジェラルド・ロビンソン。彼は'60年代半ばからクリケッツやジェイ&ジ・アメリカンズ
等のプロデュースを行っているベテランで、'80年代に入ってからはスウィート・
ソウル系のニューモニックス(Numonics)等も手掛けています。フェニックス・
レコーズというこのレーベルは、3枚出ているシングル全てジェラルドが
プロデュースしているところからして、彼がオーナーなのかもしれません。

DMXがミディアム・テンポのビートを刻み、手弾きのエレクトリック・ベースが
スラップを聴かせる中で、2人の男性がオールドスクールなファンキーな掛け合い
ラップを聴かせます。途中からリズム・ギターやスクラッチも薄く重ねられ、
ファンキー度が徐々にアップ。二人のラップは少々いなたくもありますが、
オールドスクールを意識したオーソドックスなスタイルがカッコ良い。終盤に
ちょこっとだけリズム・ギターがソロを取る部分を除いて、ほぼ全編で
二人が自分たちの男前ぶりをアピールしており、この点でも彼らはMC中心の
グループであろうと思われます。

レーベル所在地のボルチモアはNYとワシントン・DCの中間ぐらいに位置している都市で、
それ故微妙に流行が遅れてこういう音になっているのかなと思います。ドラムのみが
エレクトロな音であとはオールド・スクールそのまんま! DMXのハンド・クラップ音も
目立っているし、個人的には大好きなんですが...


H.C.Smooth "Let's Rock-Non-Stop" (Class Act CA 010) 1987

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H.C.スムースは'80年代後半にLAで活動していた、ハーブ・C・サンフォードによる
プロジェクト。このシングル一枚のみしか出しておらず、経歴も全くわかりません。
このシングルの収録曲のうち、"Let's Rock~"以外の2曲はヒップホップ度ゼロの
スウィートな唄ものなので、基本的にはR&B畑で活動していた人だと思われます。

3人クレジットされているプロデューサーのうち、マイケル・ソルスベリーは
'90年代にはポートレイトというグループのメンバーとして活動することになる
ヴォーカリスト。ジョニー・ジャクソンはこの後キャンディマンや2パック等の
作品を手掛けることになるプロデューサーとして成功します。DJスクラッチは
殆ど他に参加作が無く、詳細は不明(EPMDのDJのあの人とは同名異人)です。
3人ともこの曲が初レコーディングのようなので、おっかなびっくり作ってみた、
というところでしょうか。

DMXが早めのビートを刻み、シンセがアンビエント風のリフを繰り返す中、
ヴォコーダーが唄って曲が進んでいきます。詞は"It's Time To Rock,Let's
Rock-Non Stop!"といった煽り系で、それに応えるようにDJスクラッチが
シャカシャカとせわしなくスクラッチ。コスリのネタに「プラネット・
ロック」
"Egypt,Egypt""Release Yourself""Al-Naafiysh"と言った
エレクトロ・クラシックが使われているところに、時代が一巡した感じを
受けます。終盤は全米の都市名を順に挙げていき、それに各々ヴォコーダーが
"Let's Rock!"と返す、というコール&レスポンスで盛り上げ、ラスト数秒だけ
ドラムがTR-808に変わって唐突に終了します。

曲としてはまあまあなヴォコーダー・ファンクかな、という程度の出来ですが、
このネタ使いがエレクトロ好きの琴線に触れるようで、人気投票等でよく
挙げられています。



Robotron 4 "Cyborg 203" (Metrovynil 841201) 1984

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ロボトロン・4はシンガー/ベーシスト/プロデューサーのジョン・デイヴィスによる
プロジェクト。サウス・カロライナ生まれのジョンは、7歳でギターを始め、その後
ベース/ドラム/キーボード類もマスターし、父親を中心としたゴスペル・グループの
メンバーとしてキャリアをスタートします。その後軍に入隊し、駐留先として訪れた
西ドイツに除隊後も留まって音楽活動をつづけます。

'80年代に入ると自身のレーベル、メトロヴィニールを設立し、当初は参加アーティスト名
不明の謎のコンピ"Funk You!"というシリーズを連続でリリースしていましたが、'84年ごろ
からは1枚毎に名義を変えてエレクトロのシングルをつぎつぎと発表。CMO'S、AE 3D、X-Ref
等と続いていくこのシリーズの最初のリリースになったのがロボトロン4です。
プロデューサー名以外のクレジットが全く無いのですが、作曲/アレンジ/演奏全て
ジョンが一人で行っているので間違いないと思います。

DMXがドタバタと早めのビートを刻み、シンセ・ベースがうねる中、各種シンセ類が順に
ソロを取って曲が進んでいきます。ピッチを変えた低音の男声が"Bass!""Rock!"等の
掛け声を入れたり、ダブ処理されたシンセがリズミックに封入されたりしつつ、キーボード類の
アレンジの変化のみで一曲通して聴かせてしまいます。B面の"Electro-?"では、ロジャーを
思わせるヴォコーダーが主役になってメロディを唄い、下手なスクラッチも入ったりする
のですが、基本的な音の感触はA面と同じ。DMXのメタリックな音色が大好きな私には
たまらないタイプの音でした。

けっきょくこのエレクトロ路線はこのシングル数枚と1枚のアルバム("Destination Earth")で終わり、
ジョンはこの後はヨーロッパを中心に唄ものR&B/ディスコ系の作品を発表していくことになります。
スパンクやJD・ピューマ・ルイス名義で発表したアルバムは後年になってブギーのカルトな作品
として評価されますが、一般的によく知られているのはあのリアル・ミリ・ヴァニリの
メンバーとして。なんだか影武者一代の報われない人、という感じですが、エレクトロ好き
ならメトロヴィニールのシングル・シリーズは忘れられません。


Hardrock Soul Movement "Do It Anyway You Wanna(Jam,Jam,Jam)" (Elite DAZZ 43) 1985

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ハードロック・ソウル・ムーヴメントは'80年代後半にロンドンで活動していた
二人組。メンバーはデイヴ・V.J.とマックス・L.X.で、二人ともDJでありつつMCも
やるという変則的な組み合わせです。彼らはこの他にもマスターマインド・
サウンド・システムというDJミックス専門の名義でも活動していて、そちらでは
エレクトロ好きなら誰でも一度は目にしたことのあるコンピレイション、
「ストリートサウンズ・エレクトロ」のシリーズのマスターミックスを多数
手掛けています。また、UKのFM局KISS FMのホストとしても人気を博して
いたようです。

彼らは全部で6枚のシングルを発表(アルバムはなし)していますが、初期の
3枚は全てUKのレーベル、エリートからリリースしています。エリートは
アトモスフィアやケニ・スティーヴンス等UKソウルに強いレーベルでした。

"Do It Anyway You Wanna"は、'85年に発表された、彼らのデビュー・シングル。
楽曲はフィラデルフィアのグループ、ピープルズ・チョイスが'75年にヒット
させたディスコ・クラシックのカヴァーです。

TR-808のビートをバックにサックスがソロを取り、シンセ・ベースが原曲と
同じフレーズを繰り返す中、女性コーラスがタイトルを連呼して曲が進んで
いきます。薄く鳴っているストリングス・シンセはクラフトワークの
「ヨーロッパ特急」を意識したフレーズを繰り返し、リズム・ギターは
ファンキーなリフを繰り返しています。中盤では男声が女性コーラス隊に
代わって"We Gonna Jamx3,All Night Long"と繰り返すパートがあり、その後
また女性中心に戻る...という流れ。全体としては原曲のイメージを壊さない
程度にエレクトロ化したカヴァーという感じです。

エレクトロ好きなら、生楽器やヴォーカル類を抜いて、ドラム・ビートと
オーケストラ・ヒットの連打(マントロニクスの"Hardcore Hip Hop"を意識
したか?)の中、グシャグシャとスクラッチが繰り返されるA-2の"The Diamond
Mix"のほうがイケるかも。B面の"Hardrock throwdown"もドラムとスクラッチだけで
構成された曲で、この辺はDJが中心のグループらしい音だと感じました。







Maurice Starr "Electric Funky Drummer" (Arista 9188) 1983

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モーリス・スター(本名ラリー・ジョンソン)は'53年フロリダ生まれのシンガー/
プロデューサー。十代半ばでボストンに移住し、ジョンザン・クリューの項
書いたように、弟のマイケル・ジョンザンらと共に兄弟グループ、ザ・ジョンソンズを
結成して活動を開始します。兄弟の中でも年長だったモーリスは早くからソロでの
活動をはじめ、'79年にはRCAから"Bout Time I Funk U"でデビュー。翌年には
マイケルとの共同プロデュースでアルバム"Flaming Starr"を発表しています。
セールス的にはパッとしませんでしたが、このアルバムはサザン・ソウル的な
ディープなヴォーカルと、P-ファンクの影響大なファンキーなトラックが冴えた
好内容で、ソウル・ファンからは高く評価されています。

その後はプロデューサーとして外部のレコーディングも手掛けるようになり、パスィ・
レーベルのグローリーやリッツ(Ritz)、シュガーヒルのブラザー・トゥ・ブラザーの
シングル等に関わるいっぽう、弟マイケルのジョンザン・クリューのデビュー作にも
全面的に参加してエレクトロにも開眼、さらにニュー・エディションのデビュー・
シングル"Candy Girl"を大ヒットさせて注目を集めるようになります。

"Electric Funky Drummer"は、そんな風に勢いがのっていた時に発表されたモーリスの
セカンド・ソロ・アルバム"Spacey Lady"(Arista AL 8-8196)からのシングル・カット。
これまでの履歴からもわかるように、モーリスは基本的には唄ものR&Bの人なのですが、
この曲はエレクトロ魂がバクハツした内容になっています。

アルバムに収録された4分ほどのヴァージョンでは全編にヴォーカルが入っているのですが、
この12インチでは長さが倍以上になり、ヴォーカルも冒頭にちょこっと入るのみ。
ピッチを変えたチップマンクス風のヴォーカルが、"Good God! Hit It Man! Come On Now,
Get Funky!~Me and the Electric Drummer Going for What We Know"とジェイムズ・
ブラウンを意識した口調で宣言し、DMXがファンキーなビートを刻みます。その後は
スネアが基本的なパターンを繰り返しつつ、ドラムの音をダブ~エディット処理したり、
口琴のサンプリング音が入ったり、バスドラが重低音化したり、スネア音をピッチ変更
したり...等々、ひたすらドラム・ビートのみにこだわってその変化のみで一曲作った
しまったような曲になっています。

要は'70年代にジェイムズ・ブラウンが演っていたようなファンキーな音楽を、エレクトロ
世代のオレ達ならこんな風に作ってみせるぜ、とでも言いたげな曲。ソウル・ミュージックの
伝統を継承しつつ、テクノロジーも取り入れた新しい音楽であることも忘れないという
この人の姿勢がよく表れた曲だと思います。

この後のモーリスは、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックの大ヒットで当ててしまい、
それ以降キッズ・ソウル~ボーイズ・グループ専門の山師みたいな存在になってしまい
ました...まぁこの辺もジャクソン5の伝統を守った成果と言えなくもないのですが...

動画はアルバム・ヴァージョンしか見つかりませんでした。



The Arabian Prince "It Ain't Tough" (Rapsur RP 10005) 1985

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アラビアン・プリンスは本名をマイク・レザン(Mike Lezan)と言い、'64年に
カリフォルニアのイングルウッドでの生まれ。高校時代には、父親が務める
ラジオ局KACEのスタジオで自作のミックス・テープを制作し、それを学校で
売り捌いていたそうです。その後地元のケイヴというクラブでのDJを経て、
LAのDJが揃って参加していたアンクル・ジャムズ・アーミーのクルーに
加入します。

アンクル~での活動を通じてエジプシャン・ラヴァーやアイス・T、DJ・プーら
当時の西海岸の人気DJ/ラッパーたちと親交を深める(彼の芸名はエジプシャン~と
DJをやっていた時に、観客の女性に言われたひとことからつけられたそう)一方で、
彼は'83年ごろにラス・パー(Russ Parr)というエンターテイナーと出会います。
ラスはボビー・ジミーの名義でコミカルなラップを演ずるグループでも活動していて、
プリンスもボビーのグループ、クリッターズに加入することになります。

クリッターズでの活動を通じて、彼はスタジオでのプロダクション技術を学び、
19歳の時に初のソロ・シングル"Strange Life"をラス・パーのラプサー(Rapsur)・
レコーズよりリリース。クリッターズでのレコードと並行して、ソロでの活動も
行っていくこととなり、2枚めのソロ・シングルとして発表されたのが今回の
"It Ain't Tough"です。

プリンスがテンション高く曲名を連呼し、DMXがビチビチと早めのビートを刻んで
スタート。粘っこいシンセ・ベースと薄いエレピをバックにプリンスがラップして
曲が進んでいきます。エジプシャン・ラヴァーの声質を少し高くしたような、
ヌメヌメとしたトーンです。間奏部分では、"Oh!...Ahh!...I Wanna Luv U..."等
オトコ一人で喘いでみせ、その後は男声コーラスも加わって、詞のエロ妄想の
内容がだんだんエスカレートしていって終了となります。

兄貴分のエジプシャン~の影響が大きいですが、アレンジやドラムの音処理等、
スタジオ・ワークにはこちらの方が練られた感じがあります。この後のプリンスは
NWAに一時加入した後再度ソロに転向、ゲームのテスト・プレイヤーやアニメーションの
仕事を経て、現在は3Dのコンピューター・グラフィックス・スタジオを経営している
そうです。






Der Mer "Fall-Out" (Tashamba KON 3032) 1984

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ダー・マーは'80年代前半からマイアミで活動する白人キーボード奏者/プロデューサーの
ロウレンス・ダーマーのプロジェクト。このシングルの頃はポップなマイアミのエレクトロを
演奏していましたが、'80年代半ばごろからはラテン・ポップス系のソングライター/
プロデューサーとして成功し、グロリア・エステファンやドナ・アレン、ジェニファー・ロペス、
マドンナ等の作品を手掛けています。

今作で作曲/プロデュースを手掛けているのはノエル・ウィリアムス。彼は'43年にジャマイカの
ポート・アントニオで生まれ、'60年代のスカの時代からキング・スポーティの名義で活動してきた
レゲエ・シンガー。「レゲエ期」の作品では、ボブ・マーリーと共作した「バッファロー・ソルジャー」
が有名ですが、ソロ・アルバムも自身のレーベル、コンダコ(Konduko)から発表しています。
もともとソウルフルなヴォーカルが持ち味だった彼は、'77年ごろからティミー・トーマスの作曲/
プロデュースを手掛けてマイアミのソウル・シーンと関わりを持つようになり、'80年ごろに
マイアミに移住。コンダコの傍系レーベルのタシャンバから、様々な名義でエレクトロ色濃い
シングルを発表していきます。

"Fall Out"は'83年に発表された、ダー・マーのデビュー・シングル。演奏や録音の全てを
ロウレンスとノエルの二人だけで行っているものと思われます。

DMXのビートに重いストリングス・シンセが乗り、デジタル・シーケンスを強調したシンセ・ベース
が鳴る中、ヴォーコーダーが唄って曲が進んでいきます。ヴォコーダーはロジャーのそれを思わせる
ようなトーンですが、発音が不明瞭で何と言っているのか全くわからず...ところどころで
ドラムのスネア連打や軽いシンセのソロをはさみつつも、終始ヴォコーダーが主役のまま
曲は終わります。

ノエルの長い経歴の賜物か、マイアミ産にしては音が妙にクリアーで、カッチリとまとまって
います。曲自体はメロディアスなヴォコーダー・ファンクという感じで、可もなく不可もなし。
エリック・グリフィンがゲスト参加したB面のラップ・ヴァージョンも、ちょっと抑揚ついたかな、
という程度です。


Sugar Style "909 The Beat Is Mine" (On The Spot NRS 106) 1985

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シュガー・スタイルは'80年代後半にLAで活動していたチカーノ系ラップ・
グループ。メンバーはダニーとロッキーのパディラ兄弟と、ジョージ・
エストラーダ、ロベルト・ゴンザレスの4名です。各々の履歴に関しては、
グループ解散後はいろいろと調べればデータが出てくる(ロッキーは現在は
スウィート・ソウル系シンガーです、とか)のですが、アマチュア~グループ
活動時のことが全くわかりませんでした...

"909-The Beat Is Mine"は'85年にリリースされた、彼らの3枚目のシングル。
オン・ザ・スポットは以前スワミ・スクラッチの際に紹介したレーベルですが、
プロデュースも同レーベルのオーナーのウィリアム・ウォーカーです。
コ・プロデュースのフィデルというのはロッキーの変名で、基本的には
レーベル関係者とシュガー~のメンバーだけで制作しているものと思われます。
ラッパーがT.N.T.とクレジットされているところからして、シュガー~のメンバーは
バックの演奏だけを担当しているのか?とも思ったのですが、TNTというのも
メンバーの変名の可能性もあるので真偽は不明です。

ヴォコーダーのヴォーカルが曲名やグループ名を宣言し、オーケストラ・ヒットが
入った後、曲名にもなっているTR-909がビートを刻み、シンセ・ベースが絡んできて
スタート。エレピやシンセがハロルド・フォルターマイヤーの"Axel F"みたいな
ソロを取り、さらにその上をヴォコーダーがラップ風にリズミックに唄って曲が
進んでいきます。最初のサビの後男性ラッパーが登場し、水中で喋っているような
ヘンなエフェクトのかかった声で早口のラップを披露。その後は甘い音色のサックスが
ソロを取り、ヴォコーダーが"909...909...The Beat Is Mine"とタイトルを再び連呼して
終了します。

TR-909は、エレクトロよりもこの後ハウスやテクノのレコードで多用されたドラム・
マシンですが、この曲はエレクトロにしてはBPMが早く、ヒップホップでありつつ
ディスコ寄りの場所でのクラブ・プレイも狙って作られたのではないかと思います。
チカーノ色は殆ど感じられないのですが、終盤のサックスの甘さ(シュガー・スタイル?)
はラティーノ好みだと思いました。


Bionic Force "The Age Of The Atom" (ZYX 5555) 1986

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バイオニック・フォースはドイツで活動していたグループ。メンバーは
MCのドクター・Dと、DJのグランドミキサー・チャールスキー・Bの2名で、
'80年代後半に3枚のシングルを発表しています。

ジャケットに記されているように、この曲はモスクワ・TV(Moskwa TV)の
ヒット曲"Generator 7/8"のカヴァー。モスクワTVは'85年にデビューした
ドイツのシンセ・ポップ・グループで、"Generator 7/8"は彼らの最大の
ヒット曲です。原発の危険性を唄った曲らしいのですが、リリース後、半年
ほどしてチェルノブイリでの事故が起こり、タイムリーに時事問題を扱った
曲として後から話題にもなったそうです。オリジナルを聴いてみると、
バックの演奏はなかなかカッコ良いのですが、いかにも白人シンセ・ポップと
いう感じのノド声のヴォーカルがダメでした。トミー・ボーイからアルバムを
出していたインフォメーション・ソサエティ辺りに近い音です。バイオニック~
の曲が事故後のリリースかどうかは確認出来ませんでしたが、ジャケ裏に
記されたリリックを読むと、原曲同様に原発のことを扱った内容になっているので、
当然意識はしているのでしょう。プロデュースもモスクワTVのメンバーである
アレクサンデル・ヘニンゲルが行っているので、「もういっちょ当てたるか」的な
ノリで作ったのだろうなあと思ってしまいます。

ポール・ハードキャッスルの"Rain Forest"をお手本にしたと思しき、TR-808のビートと
単音シンセ・ベースのリズム・トラックをバックに、アンビエント風のストリングス・
シンセが軽くソロを取った後、ドクター・Dのラップがスタート。ドイツ産ということで
色眼鏡で見てしまいますが、キチンと韻を踏むオーソドックスなスタイルで悪くは
ありません。中盤ではスクラッチが両チャンネルを飛び交い、その後長めのヒューマン・
ビート・ボックスのソロが入りますが、BPMが早い上にドラム・ビートが鳴っている上で
演っているので、どこか苦しそう。その後ドクターDのラップが戻ってきて、再び核の
危機を訴えて終了となります。

レーベルのZYXはしょーもないダンス・ポップを多く出しているところですが、この曲に
関してはオーソドックスにまとめたエレクトロという感じで、海外のエレクトロ好きからも
評価されています。






Shantelle "Love Attack" (Pandisc PD 011) 1985

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シャンテルは、マイアミを拠点に'80年代半ばに活動していたラテン・
フリースタイル系の女性シンガー。全部で3枚のシングルを発表している
のですが、自身の作品以外での参加作等が全く無く、詳しい経歴等は不明です。

プロデューサーのユージーン・クーパーは、日本では全く知られていませんが、
ジミー・ボホーンやインヴィジブルスのプロデュースや、自身のグループ
ミーン・マシーン・ジーンやロック・レンジャーズ等でも作品を発表している
マイアミ・ベース系のラッパー/ミュージシャン。この曲は'85年にリリースされた
シャンテルのデビュー曲です。

叩きつけるようなTR-808のビートと単音シンセ・ベースにJBのシャウトと男性の
ナレイションが被さり、つづいて妙に力入った男性(ロック・レンジャーズ)が
掛け合いラップをスタート。サビではシンセがシンフォニックなソロを奏でます。
男声コーラスが曲名を連呼した後、ようやくシャンテル本人のヴォーカルが入って
きます。男性陣に負けず劣らずのドスの効いた声質で、マトモなソウル・シンガーと
しても評価出来そうなパワフルな唄いっぷりです。間奏ではオーケストラ・ヒットや
ヴォイス・サンプルが"La-La-La-Love Attack!"等と派手に連打され、またサビの
シンセ・ソロがあって...といった流れです。

イントロだけ聴くと、「カーティス・ブロウの"America"みたいな曲か?」と思う
のですが、その後入ってくるシンセ類のアレンジ、スクラッチ、ラップ&ヴォーカル
等が皆過剰で暑苦しさ満点(笑)です。同時期のマイアミ産フリースタイルのコニーや
トリニアー等の女性シンガーと比べても、ビートが重く、ヴォーカルは濃くて
こってり度高し。もともと暑いマイアミでも、特に熱い曲とでも言えばいいでしょうか。


Project Future "Ray-Gun-Omics" (Capitol 8555) 1983

projectfuture.jpg
プロジェクト・フューチャーはプロデューサーのラーニ・ハリスとデイヴィッド・
スプラッドリーを中心としたプロジェクト。デイヴィッドに関してはブギー・ボーイズ
際に紹介したのですが、二人とも同じころにキャピトル・レコードのR&B部門で働いて
いたので、このコラボが生まれたものと思われます。

ラーニ・ハリス(ラーニ・ソング)は、'70年代後半に自身のレーベル、エンプライス(Emprise)
を設立して活動を開始した人。当初はゴスペルをベースにした自分のグループF.L.O.を
売り出していたのですが、そのプロモーション活動の際に出会ったブーツィ・コリンズに
気に入られてP-ファンク周辺に関わるようになり、ジョージ・クリントンのファースト・
ソロ"Computer Games"にキーボードで参加。更にP-ファンクと繋がりのあったオハイオの
ファンク・バンド、イグゼイヴィア(Xavier)のプロデュースを手掛け、'83年にはブーツィと
親交のあったデイトンのメンバーに加入します。デイトンで活動中からメルバ・ムーア等の
作品でプロデュース業も行っていたラーニは、グループ解散後もキャピトルにスタッフと
して留まり、ウィリー・コリンズ等のアルバムを制作。ゴスペル・ルーツを見失わない
「クロい」音を信条としながらも、上品でポップな音を作ることが出来る彼の作品は
評論家たちからも高く評価されています。

"Ray-Gun-Omics"は'83年に発表された、プロジェクト・フューチャー名義の唯一のシングル。
作曲者のクレジットにはデイトンのサンドリッジ夫妻や、スプラッドリーの相方テッド・キャリアの
名も見えます。詞のテーマはレーガン大統領の経済政策=レーガノミックスと、「光線銃(Ray Gun)」
というようにSF志向を引っ掛けたものなのでしょう。

TR-808のビートにシンセがSE的に入り、ファズのかかったシンセ・ベースが一定のフレーズを
繰り返す中、ヴォコーダーが"RayGunOmics,Monotomics"と唄い出してスタート。
ミッドナイト・スターの"Freak-A-Zoid"をお手本にしたと思しきヴォコーダー・ファンク
ですが、ちょこちょこと挿入されるシンセ類のSEがより細やかで気が利いています。中盤には
スクラッチとストリングス・シンセのソロが入りますが、すぐにまたヴォコーダーが
戻ってきてそのまま終了となります。

ラーニが単独でプロデュースしたB面の"Arcade Lover"は、女性ヴォーカリストがリードを
取るR&B寄りの内容ですが、音の質感をキカイっぽく聞かせるようなエフェクトが凝らされて
おり、こちらもなかなか面白い仕上がりです。

全体としては、ヒップホップ畑のレコードと比べるとビートが弱いのですが、ラーニの音の特徴が
良く出た、メロディアスで気持ち良いエレクトロという感じです。






Malcolm X "No Sell Out" (Tommy Boy TB 840) 1983

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マルコム・Xは'50~'60年代に活動していた公民権運動の活動家。スパイク・リーに
よる伝記映画も作られましたし、黒人社会でのラジカルな思想家の代表のような存在
なので、音楽界でモチーフにされることも多いです。

名義はマルコムになっていますが、このレコードはマルコムの生前の('65年に暗殺)演説
の録音テープからいくつものフレーズを編集し、キース・ルブランが制作したトラックに
乗せてリズミックに再構成したもの。マルコムの肉声の使用に関しては未亡人である
Dr.シャバズの許諾を取っており、ジャケット裏には彼女のコメントも載っています。

キース・ルブランはこれまでにもワード・オブ・マウスグランドマスター・フラッシュ
項で名前が挙がっていましたが、シュガーヒル・レーベルの専属として名を知られるように
なった白人のドラマー/プロデューサーです。子供の頃から音楽が大好きで、スタックスや
アトランティック・レーベル、ジェイムズ・ブラウン等のレコードを聴いて育った
キースは、地元でJBのようなファンキー・ソウルを演奏するバンドに加入したのですが、
それに飽き足らず、オリジナル曲の演奏を模索するうちに、スキップ・マクドナルドと
ダグ・ウィンビッシュがやっていたウッド・ブラス&スティールというグループと出会い、
そこにドラマーとして加入することになります。ウッド~はハービー・ハンコックや
クルセイダーズのようなファンキーなジャズ~フュージョンを演奏するグループでしたが、
オール・プラティナム傘下のターボ・レコーズから一枚のアルバムを出しただけで解散し、
メンバーはオール・プラティナムと関係の深かったシルヴィア・ロビンソン率いる
シュガーヒル・レコードに専属ミュージシャンとして雇われることになります。

シュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」が大ヒットした直後だった
シュガーヒルでは、同グループのファースト・アルバムから録音に参加し、ファンキー・4や
シークエンス、グランドマスター・フラッシュ等同レーベルの殆どのレコードでドラムを演奏。
さらにツアー・バンドのメンバーとして数多くのライヴを経験し、リック・ジェイムズや
キャメオ、トラブル・ファンク、パーラメント等とも共演したそうです。

しかし、'82年ごろから金銭問題でシュガーヒルとの関係は悪化し、それ以前からの付き合い
だったスキップ&ダグとも一時的に仲違いしたキースは、レジー・グリフィンと二人だけで
今回のシングルを録音し、トミー・ボーイに持ち込んで発表することになります。
キースは自身がドラマーでありながらも、ドラム・マシンやシンセ類の打ち込みの音にも
以前から興味を持っていて、スタジオでその手の楽器を駆使した実験的な録音をいくつも
行っていたそうです。

DMXとEmuのドラミュレイターがドシバシと細かいビートを刻む中、マルコムのヴォイス・
サンプルが"Distinguished Guests,Brothers and Sisters,Ladies and Gentlemen,Friends
and Enemies..."とスタートします。レジー・グリフィンが弾いているギターやベース、
ムーグ等も聞こえてきますが、主役はあくまでキースによるドラム・ビートとマルコムの
演説です。ところどころでシンセ類がフュージョンぽいキメのフレーズを入れつつ、
聴き終えて耳に残るのは"Malcolm X?""No Sell Out!"の声。

この曲は、昨日の"Not This President"より3年も前に録音されているのですが、
"19"のようなセールス狙いのウサン臭さがなく、誠実に取り組んだ結果として出来たもの
であることは音からもジャケのクレジットからも伝わってきます。エレクトロとしては
異色の曲で、ヒップホップの流れよりも、(この後キースが演る)タックヘッドやファッツ・
コメットのプロトタイプのような音ですが、ジャケットの強烈なインパクトもあって、
忘れられない一曲でした。






The Willesden Dodgers "Not This President" (Jive Electro JIVE T 121) 1986

willesdendodgers.jpg
ウィルスデン・ドジャースはロンドンのバッテリー・スタジオを拠点に活動
していたプロデュース・チーム。メンバーはピート・Q・ハリスとナイジェル・
グリーンの白人男性二人で、各々の単独の名義では、ジャイヴ・レーベルの
アーティストを中心に、ロック~ポップス~ブラック/ダンス系まで幅広く
作曲やプロデュースを手掛けています。

二人がヒップホップ/R&B寄りの作品を制作する時だけはウィルスデン~の
名義を使用するようで、最初にこの名を名乗ったのは、'82年にスタートした
"Jive Rhythm Trax"のシリーズから。このシリーズは、タイトル通りエレクトロ/
ヒップホップ系のリズム・トラックのインストのみがひたすら収録されているもの。
完全なオリジナルと、ヒット曲そっくりに作られた曲が混在していて、
「プラネット・ロック」タイプのエレクトロを作る時にピッタリの"122 BPM(これが
曲名です)"はただのインストながらクラシックとされています(エジプシャン・
ラヴァーの曲に、本当にこのトラックを使用して作られたものがあるらしい...)。

"Jive~"のシリーズはいかにも企画っぽいものでしたが、フーディニの"The Haunted
House of Rock('83年)"で本格的にプロデュース業に進出し、翌年には"Gunsmoke
Breakout"で単独アーティストとしてもデビュー。"Not This President"は'86年に
リリースされた3枚めのシングルになります。

ザ・フューチャーの項でも触れましたが、この当時はポール・ハードキャッスルの"19"の
大ヒットを受けて、社会問題に言及した単発のプロジェクトがいくつものシングルを
発表していた時期。この曲も当時の米大統領であるレーガンを揶揄する内容になって
います。

ゲート・リヴァーヴの効いた派手なリン・ドラムにシンセ・ベースが絡み、デジタル・
シンセが煽るようにシンコペイトしたフレーズを繰り返す中、ニュース・フィルムから
サンプリングした男性の"Not this President"等のナレイションが、つぎつぎと現れては
消えていきます。サビでは高揚した女性シンガーがコーラスを繰り返し、中盤でダブ/
エディット処理されたドラム・ブレイクが入った後、シンセがソロを取る序盤に
戻っていきます。シンセ類のアレンジにはザ・システムのデイヴィッド・フランクの
影響が大です。

この曲はこのシングルの"All For Uncle Sam Remix"のヴァージョンにのみ、女性コーラスが
加えられているのですが、これも"19"の音を意識しているのだろうなぁと思ってしまいます。
アルバム"1st Base(Jive Electro HIP 34)"を聴くと、サンプリング/デジタル・シンセ類の
えげつない使い倒しぶりと、黒さに欠けるリズム・アレンジがだんだん鼻についてきて
しまうのですが、この曲だけならシャープな音がハマってカッコ良く聴こえました。


Mixmaster Gee and The Turntable Orchestra "Like This" (MCA 23590) 1985

mixmastergee.jpg
ミックスマスター・ジー&ターンテーブル・オーケストラはプロデューサー/
リミキサーのグレッグ"スキー"ローヤルによるプロジェクト。初仕事は
ワン・ウェイの'84年のシングル"Smile"のリミックスで、当初はMCAレーベルの
関連作に関わることが多かったようです。

詳しい経歴はわからないのですが、クラブDJやMCとして活動した後に
レコーディングも行うようになったわけではなく、もともとはエンジニアとして
裏方仕事を行っていた人がリミックスも行うようになり、さらには自分の
レコードも出してしまった、という履歴のよう。上記"Smile"のつぎには
もうこの"Like This"を出したことになっているので、クレジットされない
ような部分で既に多くの経験を積んでいるのかもしれません。

ミックスマスター~の名義では3枚のシングルを出しているのですが、この
曲は'85年にリリースのデビュー曲です。

DMXのドラムがカチカチと鳴る上に女性同士の会話が被さり、話の内容が
「スクラッチって何?」となったところでグシャグシャとスクラッチが
入ってきます。その後"Mixmaster Gee!"のかけ声につづいて男性ラッパー(
グレッグ本人?)が喋りはじめ、いかにカッコ良い音をつくるか、スクラッチは
どうやるかを語って、小節の終わりで女声が「こんな風に(Like This!)」と
言うとそれに応えるようにスクラッチが鳴る...というパターンが繰り返され
ます。

ドラムやちょこっと入るシンセ、ヴォーカル等にかけられたエフェクトがプロっぽく、
この辺はエンジニア上がり/この後リミキサーとして成功する人らしいなあと
思ってしまいます。スクラッチや声ネタとしてコスられるレコードが、
実際に何を使っているのか聴いた限りでは全くわからないのですが、これは
もしかしたらこの曲のために新たに録音した素材を、レコードに落として
使っているのかもしれません。

以前紹介したB-ボーイズのシングル等と比べても、曲の構成がしっかりしていて
面白い。スクラッチ自慢のDJが、クラブ・プレイする際に一番最初にかける
レコードって感じです。







Beastie Boys "Rock Hard/Beastie Groove" (Def Jam DJ 002) 1985

beastieboys.jpg
ビースティ・ボーイズは今さらここで書くまでもない白人3人組の人気グループ。
詳しい経歴は割愛しますが、初期の部分を簡単に書いておくと、'79年の結成当時は
ハードコア・パンクを演奏していたのが、徐々に音楽性をヒップホップ寄りに
変化させていきます。ライヴの際にDJが必要だということで雇われたのが、
当時NY大の学生だったリック・ルービン。その後彼はデフ・ジャム・レーベルを
スタートさせ、同レーベルからジャズィ・"ジェイの"Def Jam"につづく4番目の
リリースになったのが今回のシングルです。

"Rock Hard"がA面なのですが、AC/DCの「バック・イン・ブラック」のギター・
リフをモロ使いしたこの曲よりも、B面の"Beastie Groove"がエレクトロ好きからは
愛好されているので、こちらについて書いてみます。

ゲイト・リヴァーヴを効かせた重低音のドラムがびしばしと叩きつけられる中、
いかにもワルそうな3人が激しいかけ合いラップを聴かせます。ベースやシンセ
類は全く入っておらず、ドラム・マシンの音以外で聴こえてくるのはジャッキー・
ロビンソンの"Pussy Footer"等のほんの一瞬のフレーズがスクラッチで「ジャン!」と
鳴る程度。3人のラップがひとしきり終わった終盤に、スクラッチとブレイク・
ビーツが少し入りますが、すぐにまたドラム音とラップのみに戻って終了します。

ジャズィ・ジェイの時にも書きましたが、この頃すでにドラム・マシンとスクラッチ
のみでトラックを構成して、メロディやコードの要素を排除したリックの音作りは
非常に斬新に感じました。ラン-DMCが少し前からこの手の音で活動していましたが
(マネジメントは同じラッセル・シモンズ)、ビースティーズはやはりパンクス出身を
感じさせるとんがった声質、3人によるハモり/掛け合いを生かしたラップのスタイルが
突出していて、初聴きの時から「すげえ...」と思ったのを覚えています。

この曲はこのシングル以降、オフィシャルなベストや編集盤に一度も収録されていない
のが少々残念です。


Spyder-D "Smerphies Dance" (Telestar Cassettes TCT 2300) 1982

spyderd.jpg
スパイダー-Dは本名をデュアン・ヒューズ(Duane Hughes)と言い、'70年代後半から
活動しているクイーンズ出身のオールド・スクーラー。'76年ごろから、クイーンズの
ジャマイカ地区の公園で、ソロ・サウンズ(デイヴィDMXが居たグループ)やディスコ・ツインズ
らといった地元のグループたちとツルんでいたそうです。

バスケの名手だったことから芸名を「スパイダー・D」としたデュアンは、自身で
設立したレーベル、ニュートロイト(Newtroit)からデビュー・シングル
"Big Apple Rappin'"を'80年にリリース。プレス枚数の少なさからヒットには
至らなかったものの、このシングルはオールド・スクール・ファンのコレクターズ・
アイテムになっています。同年には、ヴォーン・メイソンのディスコ・ヒット
"Bounce,Rock,Skate,Roll"をベースにした"Rollerskaterrap"をデルマー・
レコードより発表。こちらもセールス面では寂しい結果でしたが、業界内での
知名度は上がり、もともとのMCとしての仕事に加えて、ミックスDJやプロデューサー
/アレンジャー等に活動範囲を広げていくようになっていったとのこと。

"Smerphies Dance"は、'82年にリリースされた3枚めのシングル。エレクトロの
曲で何故かモチーフに使われることが多い、ベルギー生まれのマンガの
キャラクター、スマーフをテーマにしたものです。プロデュースは"Rollerskaterap"で
アレンジを担当していたヴォーン・メイソンと、彼の相棒ブッチ・デイヨ。

プリセットそのままの音色のTR-808とシンセをバックに"Head,Shoulder,Knees & Toes,
Smurf That Body Across The Floor!"という集団のかけ声が入り、ファンキーな
リズム・ギターやパーカッションがテーマを4小節奏でた後、スパイダーDのラップが
登場。鼻声のフニャッとした声質ですが、オールドスクール直系のアクセントを
強くつけるラップがカッコイイです。間奏ではエレクトリック・ベースやピアノが
軽くソロを取り、また冒頭の掛け声に戻って...という展開です。全体的には、楽器の
音色がチープなのが玉にキズですが、ラップがドライヴして曲を引っ張っている印象でした。

時期的には「プラネット・ロック」前夜の頃で、それ以前の「ディスコ・ラップ」の
曲を、アレンジだけTR-808を中心とした打ち込み系の楽器に置き換えたような音です。
「エレクトロ」と呼ぶには何か足りない感じ。ご本人の持ち味が、レイド・バックした
軽いノリに良さを見出すようなタイプだから余計そう思えるのかもしれませんが...





Key-Matic "Breakin' In Space" (Radar RDR 12014) 1984

keymatic.jpg
キー・マティックはプロデューサーのチャールズ・カセウス(Charles Casseus)を
中心としたプロジェクト。ネットで調べた限りでは、'59年生まれで、どうやら
フランス系らしい(?)のですが、正確なところはわかりませんでした。
キー・マティックの2枚のシングルのほか、ガラージ系のストーン(Stone)や、
近く紹介予定のブッチ・キャシディズ・ファンク・バンチ(Butch Cassidy's
Funk Bunch)等もプロデュースしています。レーベルのレーダーはダイナミック・
フォースの項
で登場したエリック・マシューが設立したレーベルです。

"Breakin' In Space"は'84年にリリースされた、キー・マティックのデビュー・
シングル。エレクトロのレコードでは珍しく生のサックス奏者が参加していますが、
その人は後にスムース・ジャズで人気を博すナジー。また、スクラッチ担当の
ウィザード・K-ジーとは、後にパブリック・エナミーのプロデュースで名を上げる
キース・ショックリーのことです。

DMXのドラムと浮遊感あるエレピ、ブヨブヨのシンセ・ベースをバックにサックスが
ソロを取ってスタート。つづいて白人ぽい男性シンガーが唄いだし、小節の終わりで
ヴォーカルに合いの手を入れるようにスクラッチとヴォコーダーが鳴ります。サビでは
ヴォコーダーが"Breakin' In Space~"とコーラスを唄って、再び導入部のサックス・
ソロへ。中盤で短い男性のラップが入った後、ドラムのみのトラックをバックにスクラッチ
やパーカッションのSEが入ります。この部分がいちばんエレクトロぽいです(笑)。
その後は長いサックスのソロを伴ってフェイド・アウト。

サックスが醸し出すアーバンでジャジーな雰囲気がエレクトロの曲としては異色。これは
やはり唄ものR&Bに通じたスタッフが作った音だとわかります。個人的には、こういう
曲聴くならルーサー・ヴァンドロスとかかけたほうがイイなぁ、と思ってしまうのですが、
こういうニッチな路線もたまには目先が変わっていいのかな。






Planet Patrol "Cheap Thrills" (Tommy Boy TB 835) 1983

planetpatrol01.jpg
プラネット・パトロールはアーサー・ベイカーがトミー・ボーイから
デビューさせた5人組のヴォーカル・グループ。ボストンで'70年代から
活動するエナージェティックス(Energetics)を母体としていて、'79年に
アトランティックからアルバム"Come Down To Earth"をリリースしたものの、
セールスに伸び悩んで契約は打ち切られ、地元のローカル・サーキットで
活動していたところ、リーダー格のハーブ・ジャクソンに同郷のアーサー・
ベイカーから電話がかかってきたそうです。

グループはさっそくベイカーのシェイク・ダウン・プロダクションと契約し、
グループ名を(「プラネット・ロック」でバックの演奏を担当した、とクレジット
されていた)プラネット・パトロールに改めます。「新」グループは「プラネット・
ロック」
のレコーディングの数日後に、「プラネット~」と同じマルチ・トラックを
使用してデビュー曲"Play At Your Own Risk"を録音。こちらも大ヒットして、
第2弾としてリリースされたのが今回の"Cheap Thrills"です。

シンセのソロにつづいてTR-808がビートを刻み、ピアノが哀感漂うリフを繰り返す
中、メンバーのヴォーカルがスタート。彼らは鈴木啓志氏も絶賛するような正統派・
実力派のグループで、コーラス・ワークとリードの絡み、ファルセットとバリトンの
対比等もバッチリでカッコイイです。唄が中心なので、アレンジはバンバータ達の
時よりメロディアスで、フリーズの"I.O.U."に似たシンセのフレーズがいくつか
出てきます。後半はシンセのソロの後、ドラム・ビートのみをバックにしたコーラスの
掛け合いがあり、スタート時のコーラスが繰り返されて終了。

ベイカーはフィリー・ソウルに造詣が深く、唄ものR&Bのプロデュースにも抵抗なく
取り組めたので、エレクトロど真ん中なトラックとオーソドックスなヴォーカルの
取り合わせもうまくいっているように思えます。彼らはこの後フル・アルバムを
1枚出してメジャー・シーンからは姿を消してしまいますが、音楽性をフリースタイル
寄りに変更して、現在もマイアミ周辺で元気に活動中です。

なお、彼らはスリーピング・バッグ周辺で活動していたアーサー・ラッセル氏とは
全く関係ありませんので、念のため。






プロフィール
クロい音楽全般が好きなのですが、 ここではエレクトロとオールド・スクールの アナログ盤に絞って紹介していきます。

KDMX

Author:KDMX

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