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Dwayne Omarr "This Party's Jam Packed" (Survivor SUD 132) 1982

dwayneomarr.jpg
ドウェイン・オマーは'66年ボストン生まれのベーシスト/プロデューサー。12歳の
時から作曲をはじめ、14歳の時に出場したTVのコンテスト番組"Super Kids"で
優勝して、そのご褒美としてNYへの旅行と、プリンス・チャールズのレコーディングに
参加する権利を得ます。プリンス・チャールズは現在は主にエンジニア/プロデューサー
として活動していますが、'80年代前半はシティ・ビート・バンドを率いてキッチュな
ファンクを演奏していた人。オマーと録音した"Bush Beat"はイギリスを中心に
カルト・ヒットとなり、チャールズも彼に目を掛けるようになります。

'82年にオマーはチャールズから同郷ボストンのプロデューサー、モーリス・スターを
紹介され、二人は意気投合。モーリスはオマーのマルチ・インストゥルメンタリストぶりに
驚嘆し、モーリスのプロデュースでソロ・デビューすることになります。マイアミの
サヴァイヴァー・レコードと契約して、わずか18歳のオマーが発表したのが今回の
シングルです。

ヴォコーダーがユラユラと曲名を唄い、シン・ドラムがピュンピュンとアクセントを
付けた後、ガヤの中、生ドラムとブヨブヨのシンセ・ベースをバックにヴォコーダーが
唄って曲が進んでいきます。ファンキーなリズム・ギターのカッティング、サビでの
コール&レスポンス等はヒップホップというよりR&B系のファンク・バンド的。そう思って
聴くとギターのリフはロジャーの"So Ruff,So Tuff"そっくりです。

下にあげた"Multi Funk"のCDにはこれより後の"Save The Children('86年作)"やオマーが
プロデュースしたRusty P "The Toe Jammer"のシングルも収録されているのですが、
この頃はドラムも完全に打ち込みになり、シンセ類のフレージングもよりエレクトロ的に
なっています。ただ、この人はやはりヒップホップというよりあくまでヴォコーダー・
ファンクの人だなあというのは変わらないです。

ここに載っているインタビューを読むと、最近のT-ペイン等が演っているロボ声ファンクが
お気に召さないらしく、「オレのほうがはるかに早かった!!ヴォコーダー・バトルやったら
オレの楽勝だぜ」等々鼻息荒いです。"Multi~"のCDもエイフェックス・ツインのレーベル
からだし、どうもアメリカ本国では運に恵まれない人だなあ、とは思います。






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Jamie Jupitor "Computer Power" (Egyptian Empire DMSR 0666) 1985

jamiejupitor.jpg
ジェイミー・ジュピターはエジプシャン・ラヴァー(以下EL)と関わりの深い男性
ラッパー。自身のレコードはこのシングル一枚のみで、それ以外の参加
作品も全てEL絡みのものばかりなので、私は最初ELの変名だと思っていたのですが、
調べてみるとご本人のMySpaceがあり、そちらでは師匠とデュオでラップする
ご本人のビデオもあったので、別人であることが判明しました。
ジェイミー氏は小太り気味のスキンヘッドの外見で、'64年カリフォルニアの
生まれですが、それ以上の詳しい経歴は不明です。
また、ここに載っているインタビューではELの別名義であることを肯定
しているようなくだりもあるので、ある時突然「新」ジェイミー・ジュピターが
生まれたのかもしれません。まぁ真偽は不明、謎のオトコぐらいのほうが
面白いかもしれません...

"Computer Power"は'84年のリリースで、ELのファースト・アルバムの直後
ぐらいに発表されています。作曲/アレンジ/プロデュースはもちろんEL。
"Album concept by jamie jupitor"とのクレジットもあるのですが、彼の
アルバムが発表されたことはありません。

イーミュレーターで人声コーラスをサンプルしたストリングスと、破裂するような
TR-808のビートをバックに、エレピがマイナー・キーのリフを繰り返します。
ピッチを変えた低音のラップが少し入ったかと思うと、ヴォコーダーが
チップマンクス風に唄いだし、その後はエレピ~ヴォコーダー~ストリングスの
ソロが入れ替わり出てくる感じです。

ELのソロ作品から、ヌメヌメしたラップを抜いてエロさも押さえ、代わりに
"Computer Power!"というヴォコーダーの煽りを入れた感じ。やっぱり、この時点では
まだEL本人が「演じて」るんだろうなぁ。





Fab 5 Freddy/Beside "Change The Beat" (Celluloid CEL 156) 1982

changethebeat.jpg
ファブ・ファイヴ・フレディは'59年ブルックリンの生まれ。本名をフレッド・
ブラスウェイト(Fred Brathwaite)と言い、肩書はヒップホップを通じて有名に
なったアーティスト、もしくはヒップホップを広める役割を担った
エンターテイナーとでも言えばいいでしょうか。

'70年代後半に「ファビュラス・ファイヴ」というグラフィティ・ライターの
グループの一員として活動をはじめ、更に単独でも地下鉄にボミング
(グラフイティを描くこと)を行って名を知られるようになり、アンディ・
ウォーホルらNYのアート・シーンとも関わりを持つようになります。
'80年にはNYの前衛アートを紹介する映画"New York Beat(公開時のタイトルは
「ダウンタウン81」)"にバスキアらと共に出演し、翌年には映画「ワイルド・
スタイル」を製作。同じ頃フューチュラ2000やキース・ヘリングと共に
グラフィティ・アートのイベント「ビヨンド・ワーズ」を主催し、バスキアや
ラメルジー、アフリカ・バンバータ等の作品を紹介します。この他にも
ロック・ステディ・クルーの項に登場したヘンリー・シャルファンのイベント
「グラフィティ・ロック」にも関わったり、'88年にはMTVの番組「Yo!MTV Raps」の
VJになってTVからヒップホップを広めるのに一役買ったり...などなど、
音楽面で直接影響を与えたわけではないけれど、ヒップホップの歴史を語る時には
欠かせない偉人のひとりと言っていいでしょう。

"Change The Beat"は'82年に発表された、ソロ名義では唯一のシングル。共演
しているビーサイドはマテリアル関連の録音によく参加しているフランス人の
女性ラッパーです。プロデュースはマテリアルで、シンセとドラム・マシンを
マイケル・ベインホーンが、エレクトリック・ベースをビル・ラズウェルが
演奏しているのはマテリアル関連の"Rockit"や"The Roxy"と同様です。

イントロからメタリックなDMXのハンド・クラップが鳴り響き、シンセがSE的に
ビューンと唸る中、フレディがフランス語でラップを始めます。ところどころで
ヴォコーダーとハモったり、ダブ処理が入りつつ、中盤からラップは英語に変わり、
終盤は"...and You Don't Stop"とか"I Like This Y'All"とかのルーティンを
繰り返して終了。フレディのラップは、何となく「若旦那の余興」を思わせる
鼻唄系ですが、リズムへの乗せ方はしっかりしています。

ラッパーがビーサイドに変わる裏面も基本的には同じ演奏ですが、サビでインチキな
日本語の語りが入るのと、合いの手のヴォコーダーの比率が増えています。そして、
アウトロでドラムやシンセ類が抜けて、ヴォコーダーが"Ahhhhh, This Stuff is
Really Fresh!"と唄う部分は、「声ネタ」として数えきれないほど多くの曲で
コスられています。

曲自体は割と淡々とした、抑揚に乏しいトラックなのですが、この声ネタ部分で
一気にクラシック化してしまった一枚なのでした。





B面。終了間際のヴォコーダーに注目!


Reggie Griffin & Technofunk "Mirda Rock" (Sweet Mountain SM 604) 1982

reggiegriffin.jpg
レジー・グリフィンは'70年代後半から活動しているギタリスト/
キーボード奏者。インディアナポリスのファンク・バンド、マンチャイルドの
メンバーとしてキャリアをスタートし、同グループで2枚のアルバムを残した
後、グループ名をレッド・ホットと改め、ジョージ・カーのプロデュースで
'81年にアルバムを発表。しかしこちらもセールス面では不発に終わって
グループは解散し、レジーはプロデューサー/ソロ・アーティストとして
活動していくことになります。

ジョージ・カーと縁の深かったシルヴィア・ロビンソンのスウィート・
マウンテン(シュガーヒルの傍系レーベル)から'81年にソロ・デビューし、
'82年には作曲/アレンジ/演奏の殆どをひとりで行ったアルバム"Mr.Everything"を
発表。このアルバムでも打ち込みリズムやシンセ類を使用してはいるのですが、
アレンジはまだファンク・バンドのノリを引きずっていて、エレクトロとは
隔たりを感じます。ちょうどその直後に「プラネット・ロック」に衝撃を
受けたのか(←コレはあくまで推測ですけど)、名義をレジー・グリフィン&
テクノファンクに改めて発表したのが"Mirda Rock"です。

イントロで"I am the Computer,I am programmed for Dance..."とヴォコーダーが
宣言し、TR-808のビートとPCのデータ音のようなシンセが「ミューン」と
唸ってスタート。低音の男性ヴォーカルが"Mirda Rock!"と連呼する中、
エレクトリック・ベースとリズム・ギターがファンキーなリフを繰り返し、
ストリングス・シンセと絡みながら曲が進んでいきます。ところどころで
スペイシーなシンセのSEやドラム・マシンのロールが入って機械感を
強調し、ヴォコーダーとピッチを変えた子供声のヴォーカルがユニゾンで
"I Got The Feelin'"と唄うあたりはジェイムズ・ブラウンがロボット化
したよう。終盤は声のトーンが上がっていき、限界が来て破裂するように
終わります。

唄ものR&B畑の人が演っているものにしては、エレクトロの面白味をよく
わかって作っている気がします。レジーはこの後はシュガーヒルで
メリー・メルやウェスト・ストリート・モブ等のプロデュースを行った後、
クインシー・ジョーンズのクエスト・レーベルに移籍し、更にクエストの
親会社であるワーナーのA&Rマンになってしまいました。






Nairobi and The Awesome Foursome "Funky Soul Makossa" (Streetwise SWRL 2205) 1982

nairobi.jpg
ナイロビはアーサー・ベイカーがこのシングルの時のみ名義を使用していた
プロジェクト。マヌ・ディバンゴのアフロ・ポップのカヴァー曲なので、
アフリカ風のネーミングにしたということだと思います。ストリートワイズは
フリーズ、スタイリスティックス、ロッカーズ・リヴェンジ等当時のベイカーの
プロデュース作を多数リリースしていたレーベルです。ゲスト参加のオウサム・
フォーサムはこの他にも2枚のシングルを発表しているラップ・グループ
(リアリティからリリースした"Monster Beat"はプレミア付のレア盤らしい)。
名前からして4人組だと思うのですが詳しい経歴は不明です...プロデュース&
アレンジのベイカーとジョン・ロビーに関してはこちらこちらを参照して
下さい。

「プラネット・ロック」のリズム・トラックをまるまる転用したと思しき
TR-808のビートとピュンピュン言ってるシンセをバックに、集団ラップが
派手に盛り上げます。そこに原曲と同じアレンジのエレクトリック・ベースと
ギターが加わり、アフリカっぽさを醸し出していきます。マヌのオリジナルも
ヴォーカルは唄とリズミックな喋りが半々でしたが、オウサム~の面々も
原曲通り唄う部分とラップが交互に飛び出して盛り上げていき、サビでは
オリジナルのホーンを模したシンセのリフが登場。後半はヴォコーダーの
ヴォーカルもラップと絡んできます。

簡単に言えば「プラネット~」のビートにオリジナルと同じアレンジの
シンセ類を乗せ、そこにラップとヴォーカルを被せた曲。ジェリービーンが
リミックスしていないせいかビートが軽い感じもするのですが、プリミティヴな
アフロ・ポップがアンドロイド化してしまったような、組合せの妙に
驚く曲と言えばいいでしょうか。







Rich Cason and the Galactic Orchestra "Space Connection 2012" (Rappers Rapp Disco Co. RR 2003) 1985

richcason.jpg
リッチ・ケイソンことチャールズ・リチャード・ケイソンは'45年、
アリゾナ生まれのプロデューサー。キャプテン・ラップの時にいちど
紹介していますが、今回はもう少々詳しく経歴を書いてみます。

11歳の時に買い与えられたピアノを独学でマスターし、十代後半に
なると地元のドゥ・ワップ・グループとセッションしていたという
リッチは、'63年にギタリストのピート・コージー率いるビッグ・
ボーイ・ピート&ザ・クルセイダーズにビアニストとして加入します。
彼らはレコーディングは出来なかったものの、地元のタレント・ショウ
番組で優勝して、アリゾナ周辺での知名度を上げていきます。
グループはピートがマイルス・デイヴィスのツアーに引き抜かれて
自然消滅し、リッチは自分のバンドを新たに結成して活動していた
ところ、ツアーでアリゾナを訪れていたダイク&ザ・ブレイザーズの
メンバーが事故に遭って演奏が出来なくなり、急きょリッチのグループが
ツアー・メンバーとして駆り出されることになります。けっきょく彼らは
そのままブレイザーズのメンバーとして入れ替わることとなり、そこで
録音したシングル"Funky Broadway"が大ヒットして、グループは一躍
時の人に。

リッチは2年間ブレイザーズのメンバーとして活動した後、地元に還って
ジ・オッド・スクワッドというグループを結成してライヴ中心で活動
していたのですが、'70年代に入ると、作曲家としての成功を夢見て
LAに上京します。最初に曲を提供したジャーメイン・ジャクソンの
ソロ・アルバムが大ヒットして活動も軌道に乗り、レオン・ヘイウッド、
テンプテイションズ、ドラマティックス、ジミー・ルイス、
フォーミュラ・Vほか、多数のアーティストに楽曲を提供することに
なりました。

'70年代後半に入ると作曲家に加えてソウル畑以外のレコーディングでの
セッション・ミュージシャンとしても活動するようになり、ジョン・
レノンやミック・ジャガーとのセッションも経験したそうです、

'80年代に入る頃からはレコーディングにシンセ類を取り入れるようになり、
自身のレーベル、ライト・オン(Write On)・レコードをジミー・ルイス
と共同で設立。同レーベルから発表した"Street Freaks"や"Killer Groove"
のシングルは、唄ものエレクトロの隠れた名作です。

同じころ、リッチは設立されたばかりのラッパーズ・ラップ・レコードにも
プロデューサー/ライターとして参加するようになり、西海岸のヒップホップ/
エレクトロに関わっていくことになります。ローヤルクラッシュの曲
カヴァーしたMCフォスティ&ラヴィン・Cの"Radio Activity Rapp"も彼の
プロデュース作です。そして、同レーベルでリッチは初めて自分の名を
冠したグループ(ただしメンバーはリッチ一人だそうですが)を作ることに
なり、それが今回のリッチ・ケイソン&ザ・ギャラクティック・
オーケストラになります。キャリアの長さに比例して、バイオもすごく
長くなってしまいました...

"Space Connection 2012"は'85年にリリースされた、ギャラクティック~
名義では3枚めのシングル。全部で6曲も入っています。全てリッチが
多重録音したインストのエレクトロです。メインの"Space~"の音は、
DMXとTR-808を併用したドラムに単音のシンセ・ベースが繰り返され、
「プラネット・ロック」風のシンセがソロを取って曲が進んでいきます。
複数のシンセ類が幾重にも重ねられてじんわりと盛り上がっていき、
サビではエレピがフュージョンぽいキメのフレーズを奏で、またスタート
時に戻る...という感じです。

全体的にはポール・ハードキャッスルの"Rain Forest"や、デクスター・
ヴァンセルの一連のソロ作に近い印象です。キーボード主体で、ギターや
ヴォーカルが入らないインストなので、どうしてもソフトでメロディアスな
感触になってしまいます。リッチは作曲家としてもキャリアが長いので、
曲作りの面でも破綻なくキチンと作ってしまうのでしょう。この音に
ワイルドなラッパーがのってたらカッコ良いかも...と思ってしまいます。

この後のリッチは、ジミー・ルイスとの縁からサザン・ソウル畑の
マラコ(マコラではない)・レーベルのスタッフ・ライターとして活動
するようになり、彼がジョニー・テイラーに提供した"Good Love"が
大ヒットして、リッチのキャリア中でいちばんの収入になったそうです。
ヒップホップからサザン・ソウルど真ん中へってのもすごいですよね。


Fresh 3 M.C.'s "Fresh" (Profile PRO 7037) 1983

fresh3mcs.jpg
フレッシュ・3・MCズは'80年代半ばに2枚のシングルを残した
サウス・ブロンクス出身のグループ。メンバーはMr.ビー、
シュープリーム・GQ、ジェイ・クール(以上3名がMC)、
そしてDJデヴァインの4名です。以前紹介したパンプキンの
"Here Comes That Beat!
"にも参加していましたが、それ以上の
詳しい経歴はわからず...

レーベル上のクレジットで名が通っているのは、作曲/プロデュースの
デイヴ・オグリン。'70年代末からディスコ系のアンリミテッド・
タッチやロケット等のプロデュースを手掛け、'84年ごろから
ヒップホップ関連の作品に数多く関わっています。ただ、この
人はエンジニア出身のためか、聴いてすぐわかるようなアレンジや
音のクセは持っていないように思います。

"Fresh"は'83年にリリースされたデビュー・シングル。DMXの
ハンド・クラップがビチビチ鳴る中、メンバーが"F-R-E-S-H,
Fresh,Fresh,Fresh,That's Fresh!"とコーラスを唄い、ファズの
かかったムーグ・シンセが太いベース・ラインを弾きます。
つづいてラップが登場し、サビでは冒頭のコーラスが繰り返されます。
ラップはファンキー・フォーを思わせるスタイルで、なかなかの
実力派。間奏のドラム・ブレイクではテープ逆回転のエフェクト
もあります。3人が順にマイク・リレーをした後、終盤はシンセ・
ベースの上に"Fresh!"の掛け声が繰り返されてコーダへ。

この曲はとにかく、ドープとしか言いようのないベース・ラインと
3人のMCの絡みに尽きると思います。彼らはほぼこの曲のみの一発屋
で消えてしまいましたが、この曲が収録されたコンピはやたらと
多いです。





Kid Nice "I Want You To Like It" (GT GTR 001) 1984

kidnice.jpg
キッド・ナイスは'80年代前半に2枚のシングルを残したラッパー兼
プロデューサー。本名をティモシー・ハワードと言うこと以外の
経歴は不明で、黒人か白人かすらもわかりません。デビュー・
シングルの"Keep Dreaming"ではジュニア・ヴァスケスがリミックスを
手掛けているのですが、だからと言ってハウス畑の人でも無さそう
だし...参加スタッフでこれ以外に経歴がわかるのはミックス担当の
ジェイ・バーネットぐらいですが、彼もこの時期にはトミー・ボーイ
関連の諸作やロックマスター・スコット等ヒップホップ物の録音に
多数参加した人、というぐらいでキッド・ナイス本人の履歴には
あまり関わっていなさそうです。

"I Want You~"は'84年にリリースされた2枚めのシングル。レーベルの
GTと言うところもこの曲1枚しか出しておらず、ブロンクス拠点の会社
であることがわかるのみです。

DMXがビートを刻み、シンセ・ベースがベベベベベ...とワン・フレーズを
繰り返す中、オーケストラ・ヒットが派手に鳴ってスタート。ストリングス・
シンセがシンフォニックなソロを取り、キッドがその上でちょっと大袈裟な
トーンで喋ります。ラップというよりも普通の喋りに近いトーンで、小節の
終わりで"Daaaaance!!"とか"Somebody,Scream!"とか叫んで勢いを付けている
感じ。スクラッチはレコードを擦るのではく、イーミュレイター等の
デジタル系の楽器のサンプリングを使用して入れ込まれているので、
アナログ・シンセ好きのエレクトロ・ファンとしては妙に空々しく聞こえて
しまいます。デビュー曲で目立っていたヴォコーダーも抑え目にミックスされて
いるので、余計デジタルな音が前に出ている感じがします。

ちょうどシンセ類がアナログからデジタルに切り替わる初めの頃で、その手の
音色が新鮮に感じられて使い倒してしまった、といったところでしょうか。
B面のダブではドラム・ビートとスクラッチが中心のミックスが施されていて、
シンセ抑え目になっているので、今ならこちらのほうがイイかもしれません。


Two Sisters "Right There" (Sugarscoop SS 428) 1983

twosisters.jpg
トゥー・シスターズはティレイザとトレイシーの女性シンガーに
よるデュオ。ティレイザのほうがフル・ネームではティレイザ・ペスコ(
Theresa Pesco)というらしいことと、アルバムのジャケットからわかる
黒人とラテン系の女性らしい、ということ以上の経歴は不明です。

レーベルのシュガースクープは、クアドラント・シックスの項に登場した
ディスコネットの系列レーベル。シュガースクープから出ているレコードは、
ほぼ全てにラウル・ロドリゲスが関わっているのですが、そのラウルは
ディスコネットの専属リミキサーでした。彼に関しては、近いうちに
変名プロジェクトのC.O.D.のシングルを取り上げる予定なのでその際に
詳しく書きますが、マン・パリッシュのアルバムでも大きく関わって
いました。トゥー・シスターズもアルバム全曲が彼のプロデュースです。

"Right There"は'83年にリリースされた4枚めのシングル。リミキサーとして
イーグルス等のプロデュースで知られるビル・シムジクが参加していますが、
どういった経緯/意図での起用かは不明です。

ヴィブラフォンとストリングスの穏やかなイントロを打ち破るようにTR-808が
パーンと入り、つづいて重いベースが唸ります。女性ヴォーカルは終始ユニゾン
で、どこか張りつめたトーン。間奏ではベースやサックスのソロも入り、
ドラムとヴォーカルのみに抜いた後、徐々に音が厚くなっていって終わります。
どこか気怠さを漂わせつつも、ギターやサックスも入った音の印象はメロディの
しっかりした唄ものダンス・ポップ。

エレクトロとして評価するなら、ハンド・クラップ音が派手目にミックスされた
B面のダブのほうが良いかもしれません。


West Street Mob "Break Dance-Electric Boogie" (Sugarhill SH 32005) 1983

weststreetmob.jpg
ウェスト・ストリート・モブはシュガーヒル・レーベルのオーナー、
シルヴィア・ロビンソンの息子のジョーイ・ロビンソン・Jr.を
中心としたグループ。他のメンバーはウォーレン・ムーアと
女性のサブリナ・ギリソンで、いちおうヴォーカル・グループの
体裁を取っていますが、シングルに切られた曲で彼らがちゃんと
唄っているものは殆どありません。アルバムだと半数の曲は
アーバンなミディアム~スローの唄もので、バート・バカラック
作のバラードも演ったりしているのですが。ジョーイはプロデュースと
アレンジを担当しています。

シングル化された、彼らがウリとしていた曲は、ブレイク・ビーツに
よく使われたファンク/ディスコ系の有名曲に独自のアレンジを加えて、
当時のクラブ向けの音にリメイクしてしまうもの。体のいいカヴァーな
わけですが、シュガーヒル・ギャングやグランドマスター・フラッシュの
曲でも演奏しているシュガーヒルの専属ミュージシャン(キース・ルブラン、
ダグ・ウィンビッシュ、デューク・ブーティ等)によるキレの良い
演奏は当時の最先端の音であり、いま聴いてもカッコ良いです。具体的には
プレジャーの"Let's Dance"、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの
"Sing A Simple Song"、フリーダムの"Get Up And Dance"等がネタに
されていました。彼らのオリジナルも、基本的にはシック辺りのファンキーな
ディスコをお手本にしていて、要は当時のシュガーヒルのバッキング・トラックを
前面に出したようなグループ、と言えばいいと思います。

"Break Dance~"は'83年にリリースされた、彼らの通算6枚めのシングル。
それまでの、「有名曲のブレイク部分を生演奏」の通例とは違い、今作では
実際のレコードを2枚使いしたトラックが使われています。使用されているのは
インクレディブル・ボンゴ・バンドの"Apache"。クール・ハークが最初に
使用したと言われるブレイク・ビーツの古典で、ドラムとボンゴがファンキーな
ビートを刻むイントロ部分と、その後のホーンが入ってくる部分が繰り返し
かけられ、その上でヴォコーダーが"Break Dance!""Electric Boogie"と
連呼する...それ以外は女性の"I'm Going Home"という語りとスクラッチが
入っているだけの曲です。

それだけの曲なのですが、やたらとカッコイイ。ブレイク・ダンサーが聴いたら
じっとしていられないタイプの音だと思います。ネタを選んだ時点で出来が
決まった、ということでしょうか。エレクトロの要素としてはヴォコーダー
のみになってしまうのですが、いまも定番として愛好されています。





Byron Davis & The Fresh Krew featuring Special K.M.C. "My Hands Are Quicker Than The Eye" (Players Only POR 003) 1985

byrondavis.jpg
バイロン・デイヴィス&ザ・フレッシュ・クルーは'80年代半ばにLAで
結成されたグループ。'87年にはマイアミの4サイト・レーベルと契約して
そちらに移住してしまい、音楽的にも「マイアミ・ベースのグループ」に
なってしまうのですが、それ以前に自身のレーベル、プレイヤーズ・オンリー
から出した4枚のシングルの音はかなり違います。

レーベル面にプロデュース/アレンジ/作曲/プログラミング/スクラッチ/
ミックス/ヴォコーダーを行ったのは全て「サウンドマスター」バイロン・
デイヴィス、とクレジットされているのですが、この時期の彼らのシングルは、
バイロンが自宅でバック・トラックは完全に仕上げ、スタジオではそこに
メンバーがラップだけを乗せる形で作られていたとのこと。さらに、この
シングル('85年にリリースされた3枚め)に限って言うなら、バイロン以外で
参加しているのはゲストのスペシャルKMCのみで、殆どバイロンのソロとも
言っていい作品ではないかと推測します。

音のほうは、ヴォコーダーが曲名を連呼する中、DMXのハンド・クラップと
手弾きのエレクトリック・ベースがリズムを刻んでスタート。エレピが
コードを弾いている上で、ちょっとチンピラっぽい声のKMCがラップを
聴かせます。サビではイーミュレーターを使用したヴォイス・サンプルと
スクラッチが競り合うように鳴り、スクラッチの腕前を誇る曲のテーマに
呼応するように、徐々にスクラッチの比重が増えていって終わる感じです。

最初聴いたときはジャズィ・ジェイの"Def Jam"みたいな曲、と思っていたの
ですが、今回改めて聴いて、同時期のミッドナイト・スターやザップ辺りの
唄ものR&Bグループによるエレクトリック・ファンクにラップやスクラッチ
をのせた感じ、と思えました。生演奏の多さ、エレピの使い方がヒップホップ
にしては妙に音楽的で整っています。B面の"Fraud"も、バイロンが弾いている
ピアノのフレーズが印象的な同路線の曲です。

バイロンはおそらくちゃんとした音楽教育を受けた人で(経歴調べたんですが
わかりませんでした...)、西海岸のエレクトロ/ヒップホップではかなり異色な
音だったので、この路線をもっと聴いてみたかったのですが、マイアミ移住後は
TR-808の「テン、ボン、ツー」という音とスクラッチだけしか聴こえてこない
音楽に変わってしまいました...何かふっ切れるものがあったのでしょうか。


Rock Steady Crew "(Hey You)The Rock Steady Crew" (Charisma 601 027) 1983

rocksteadycrew.jpg
ロック・ステディ・クルーは'70年代後半から現在まで活動をつづける
ブレイクダンス・チームの名門。もともとは'77年にジョジョとジミー・Dなる
男性二人がブロンクスで結成したのがはじまりですが、転機となったのは
'79年にクレイジー・レッグスことリチャード・コローンとレニー・レンが
新メンバーに加わってから。彼らはブロンクスからマンハッタンに赴いて
しばしばパフォーマンスを行い、ブレイキングを徐々に広めていったそうです。

'81年に写真家のヘンリー・シャルファンに認められてリンカーン・センターで
行ったパフォーマンスで知名度を上げ、翌年には映画「フラッシュダンス」に
登場。アフリカ・バンバータにも認められて彼のズールー・ネイションにも
加入し、'83年には映画「ワイルド・スタイル」にも出演します。同年にイギリスの
カリズマ・レーベル(マルコム・マクラレンの"Buffalo Gals"を出したのもここ)
からのオファーでレコーディング・アーティストとしても活動することになり、
デビュー曲として発表されたのが今回のシングルです。

彼らはダンサー達のためかメンバーの入れ替わりが激しく、その時々によって
顔ぶれが大きく異なるのですが、この時のメンバーは、リーダー格のクレイジー・
レッグス、プリンス・ケン・スウィフト、クリアキ、バック・フォー、デヴィアス・
ドーズ、そして女性シンガーのベイビー・ラヴの6名。プロデュースは元ジュールズ
&ポーラー・ベアーズのメンバーで、'80年代にはイギリスに渡って活動していた
アメリカの白人男性、スティーヴン・ヘイグでした。

音のほうは"Rock!Steady!Are You Ready!"の掛け声と共にDMXのフィル・インで
スタート。シンセ・ベースとデジタル・シンセのポップなリフに乗ってベイビー・
ラヴがハスキーな声でタイトルをラップし、男性メンバーがコーラスで呼応する
かたちで曲が進んでいきます。ちょこっとだけ男性のラップも交えつつ、中盤には
ドラム・ブレイクやダブ処理されたパートもあったりするのですが、全体の
印象は明るくポップ。男性コーラスのあどけなさもあって、殆どアイドルに
近い感じです。スティーヴン・ヘイグの持ち味にもよるのでしょうが、これは
エレクトロ/ヒップホップと言うより「ヒップホップに関わって有名になった若者が
唄っているポップス」といった方が正解でしょう。

そんなせいもあって、この曲はイギリスではトップ10入りするヒットになったものの、
アメリカでB-ボーイたちから支持されることは殆ど無く終わってしまいました。
ビデオ・クリップで彼らのブレイクダンス付きで聴くと、身を乗り出して見入って
しまうほどカッコイイのですが...





Imperial Brothers "We Come To Rock" (Cutting CR 201) 1984

imperialbros01.jpg
インペリアル・ブラザーズはカッティング・レコーズから2枚のシングルを
リリースしていた4人組。メンバー名は、(B面のマトリックス部分に手彫り
されているものを信じれば)O.G.ロック、Mr.アイス、マーク・スキー、
ソウル・シュープリームの4人ですが、このグループ以外での活動が全く
わからず、謎のグループです。このシングルでは、GLOBEの際に紹介した
DJのウィズ・キッドがゲスト参加しています。

この曲はカッティング・レーベルの2番めのリリースで、プロデュースは
同レーベルのオーナーのアルド・マリンと、レーベルの第一号アーティスト
だったハシムです。

曲は、スペイシーなシンセのイントロの後、ストリングス・シンセがテーマを
奏で、ディレイのかかったTR-808がビートを刻んで、メンバーのラップが
スタート。最初のパートはソウルソニック・フォースを意識したMCポッピンの
スタイルです。その後ラテンぽいシンセ・ベースがソロを取ると、メンバーに
よる下手なコーラスが入り、(MCポッピンでない)早めのラップとコーラスが
交互に登場して盛り上げ、ドラム・ブレイク~スクラッチへ。更に後半は
ヴォコーダーも登場するなど、多彩な曲です。

ハシムのプロデュースは、自身の"Al-Naafiysh"もそうなのですが、つぎつぎに
曲を展開していくのがジャズ的というか、ポップスの常套パターンでないところ
が面白いです。まだ作曲/プロデュースにあまり慣れていなかったせいかも
しれませんが...

A-2の"We Dub To Scratch"のほうは、タイトル通りダブ処理された重低音の
ドラム・ビートをバックに、ウィズ・キッドがスクラッチしまくるインスト。
こちらも単独でかけられそうなぐらいカッコイイです。





"We Dub To Scratch"




Maggotron "Welcome To The Planet Of Bass" (Jamarc JMC 7729) 1987

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マゴトロンはマイアミ周辺で'80年代半ばから活動する白人プロデューサー、
ジェイムズ・マコーリー(James McCauley)によるプロジェクト。ジェイムズ
はこの他にも膨大な数の変名/別名義でも活動しており(DXJ、Ose、Claudio
Barrella、Derrick Rayほか多数)、調べていたら頭痛くなってきました...
彼らはマイアミのレーベル、パンディスクと権利関係でモメて裁判で争った
経緯があり、その関係もあって別名義の使い分けや発売中止になったレコード
も多く、よけい混乱が増している気もします。プラネット・デトロイトの
名義もあって、マイアミの人なのかデトロイト・テクノなのかもわからない
時もありました...

最初期の作品は'83年のOseの"Computer Funk"だと思われますが、マゴトロン
としての作品は'84年の"Computer Pop"から。"Welcome To~"は'87年に発表
された、マゴトロンとしては3枚めのシングルになります。作曲者のDee X.Jay、
スクラッチ担当のDJデボネア/クラウディオ・バレッラというのも当然ながら
ジェイムズの変名です(笑)。

「プラネット・ロック」を簡略化したような、TR-808と単音のシンセ・ベース
によるトラックがず~っと流れている上で、つぎつぎに様々な曲がスクラッチ
されていきます。コスリネタを一曲ずつノートに書いてみたのですが、あまりにも
数が多いので途中で止めました。ラップはピッチを変えた妙な低音のモコモコした
トーンの声になっていて、P-ファンクのサー・ノウズを連想させます。後半には
ハード・ロック風のギター・ソロ(これはジェイムズとは違う人のポール・
ナポリターノが演奏)が入り、またもの凄い勢いでスクラッチが繰り返されて
モコモコ・ラップと絡み合って...という曲です。

タイトルに「ベース」と入っている割には、あまりバスドラの重低音は強調
されていません。彼らはそういう音色へのこだわりよりも、とにかくめいっぱい
いろんな要素を詰め込むこと、こちらの処理能力を上回るぐらいいろいろな
曲を繰り出して「どうだっ!!」と言いたいようなタイプなのでしょう。変名の
多さもその辺に根差しているのかなと思えてきました。






Warp 9 "Light Years Away" (Prism PDS 460) 1983

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ワープ9は白人のキーボード奏者/プロデューサーのリチャード・シェアと、
女性シンガー=ソングライターのロッティ・ゴールデンのスタジオ・
プロジェクトから生まれた唄物R&Bグループ。ロッティは'60年代後半から活動
しているベテランで、当時はローラ・ニーロとコールド・ブラッドの
中間のような、ソウルに根差したフォーク・ロックを演奏していたのですが、
'80年代に入るころには裏方に廻って作曲/プロデュース業に専念。
相方のリチャードと二人で制作したシングル"Nunk"を'82年にワープ9の
名義でリリースしたところ大ヒットし、そこでパーマネントなグループ
として活動していくことになります。

二人はあくまで裏方としての活動を望んでいたので、フロントに立つメンバー
として選ばれたのが、ストライカーズのドラマーだったミルトン"ボー"ブラウン、
チャック・ワンスレイ、そして女性シンガーのアダ・ダイヤーの3人で、ここで
ジャケットにも写っている黒人3人のヴォーカル・グループとしての体裁が整う
ことになります。彼らはあくまでヴォーカリストで、作曲/アレンジ/プロデュース
は前述の二人。また、初期の3枚のシングルではジェリービーンもプロデューサーに
名を連ねています。

"Light Years Away"は'83年に発表された3枚めのシングル。宇宙船の着陸音の
ようなシンセのSEにつづいて、TR-808がカリカリとリズムを刻み、マリンバ
っぽいシンセ・ベースの後、男性のラップとコーラスがつづきます。シンセの
リフがカリブっぽいリズムを刻んでいたり、ラテン・パーカッションや
中近東風のストリングス・シンセも飛び出す等アレンジは緻密で多彩。
ヒップホップ系のエレクトロと比べるとぐっと完成度が高いです。その分
ワイルドさには欠けますが...ジェリービーンのおかげか、楽器の鳴りも良い
です。

終始鳴り続けているTR-808の音色が印象的で、それだけでもエレクトロ感を
堪能出来ます。フリースタイルの"Don't Stop The Rock"と並ぶ「エセ宇宙服
ジャケ」も、音にぴったりマッチしていて好きです。






Davy DMX "One For The Treble(Fresh)" (Tuff City/CBS 04955) 1984

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デイヴィDMXは本名をデイヴィッド・リーヴスと言い、NYはクイーンズの
出身になるDJ。もともとはハリケーンやクール・Tら地元の仲間と共に
ソロ・サウンズ(後にアフロスに発展)と言うグループで活動していて、
その際にラン・DMCのランと出会い、そこからラッセル・シモンズや
カーティス・ブロウと縁が出来て、彼らが関わった作品でバッキング・
トラックを演奏するグループ、オレンジ・クラッシュのメンバーに
加入します。

オレンジ・クラッシュはギタリストのデイヴィD、ベーシストのラリー・
スミス、ドラマーのトレヴァー・ゲイルの3人組。彼らはスウィート・G
ラヴバッグ・スタースキー、そしてラン・DMCの最初の2枚のアルバムでの
演奏で知られ、グループ名義のシングル"Action"も'82年に発表しています。

ラリー・スミスがプロデューサーとして、トレヴァー・ゲイルはスタジオ・
ミュージシャンとして成功していく一方で、デイヴィもソロ・アーティスト
/プロデューサーとしても活動していくことを決め、初のソロ名義での
シングルになったのが"One For The Treble"です。

彼の芸名の由来でもあるDMXがビートを刻み、女性のナレイションが曲の
タイトルを連呼する中、デイヴィが車の排気音やタイヤの軋む音を
トリッキーにスクラッチしていきます。女性の声以外のヴォーカル類は
無しで、その後は手弾きのエレクトリック・ベースがソロを取ったり、
ファヴ・ファイヴ・フレディの"Change the Beat"やソウル・サーチャーズの
"Ashley's Roachship"、デニス・コフィの"Getting It On"等のブレイクを
ひたすらスクラッチ。デイヴィはDJであると同時に、ベース/ギターに
長けたミュージシャンでもあるので、その両方を盛り込んだ音を一人で
作ると、まさにこういう曲になるということなのでしょう。

もともとシングルでしか出ていなかったこの時期の彼の作品をまとめた
"F-F-F-Fresh"では、デイヴィのか細く微笑ましいヴォーカルが聴ける
"Baby Be Mine"、"One For~"の試作曲的な色合いの"Davy's Scratch"等
なかなか面白い内容なので、興味のある方はこちらもどうぞ。






Rammellzee versus K-Rob "Beat Bop" (Tartown TT001) 1983

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ラメルジーは、'70年代半ばからNYで活動を始めた現代アートのパフォーマー。
もともとはグラフィティ・ライターとしてスタートし、作品がアート界でも
認められるようになった'80年ごろからは本職の画家に転向、
「ゴシック・フューチャリズム」や偶像破壊主義といった独自の理論を掲げて、
絵画/彫刻/詩作などのさまざまな芸術活動を行っていきます。

スタートがグラフィティ・アートだった彼は当然のようにヒップホップにも
関わり、映画「ワイルド・スタイル」のクライマックスのライヴのシーンにも
ラッパーとして登場。黒のコート姿でなかなかカッコイイ容姿を披露している
のが彼です。「ワイルド~」の公開と同年の'83年に、アーティスト仲間の
ジャン・ミシェル・バスキアのプロデュースで(実際のレコーディングには
一切関わっていないそうですが...)発表したのが、K-ロブとのデュオ名義
によるこのシングル。

リズム・ボックスの薄いビート、イコライジングのかかったパーカッションに
エレクトリック・ベースとリズム・ギターがゆるいファンキー感を醸し出す中、
スモーキーな男性ラッパー二人が入れ替わりラップしたり、時にハモったり
して曲が進んでいきます。ベース/ギターとプロフェットのキーボードは
ジャズ畑のセコウ・バンチで、演奏自体は安定しているのですが、パーカッション
や後半に出てくるヴァイオリンにかけられたダビーなエフェクトや、一服
キメて喋っているような二人のラップのハイなトーンから、妖しくサイケな
雰囲気が漂ってきます。エコーかかりまくりの終盤は、聴いてるこちらも
頭グルグルのトリップ状態に...

音楽的に「どこが?」って感じもするのですが、リック・ルービンがデフ・ジャムを
始める際に、参考にしていたレコードでもあるそうです。また、出典を忘れて
しまったのですが、最初にラメルジーが書いてきたリリックがあまりに酷い
出来だったので、K-ロブが大半を書き直した、なんて話もどこかで読みました。

この曲はエレクトロ絡みのコンピのいくつかにも収録されてはいるのですが、
リズム・ボックス以外は全て生演奏なので、個人的にはエレクトロには数えて
いません。ただ、サイケでフリーキーな曲調があまりに特異すぎること、
バスキアによるアート・ワーク、オリジナルは500枚しかプレスされなかった
というレアリティ等から、いつの間にか「特別な1枚」になってしまった
という感じです。





Love Bug Starski "You've Gotta Believe/Starski Live At The Disco Fever" (The Fever TFR 003) 1984

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ラヴバッグ・スタースキー(本名ケヴィン・スミス)はブロンクス生まれのMC/DJ。
'71年に地元のクラブのレコード・ボーイとしてキャリアをスタートし、その後
DJに転向、徐々にNY周辺での知名度を上げて行きます。'78年にはブロンクスの
人気クラブ、フィーヴァーの専属DJに就任して、更に名を上げていくことに
なります。

フィーヴァーはNY周辺で複数のクラブを経営していたラテン系白人の
サル・アバティエロ(Sal Abbatiello)が持っていた店のひとつ。当初は
35歳以上のオトナ向けの店として営業していたそうですが、'70年代後半ごろに
サルがヒップホップ/ラップを中心とした店に方針を変更、グランドマスター・
フラッシュに初めてクラブでのDJプレイをさせる等、初期のヒップホップの隆盛に
役割を果たすことになります。当時のレギュラーDJは月曜:スタースキー、火曜:
フラッシュ、水曜:DJハリウッド、木曜:エディー・チーバ、金曜と土曜が
ジューンバグ・スパン&スウィート・G(フィーヴァーのマネージャー)といった、
オールドスクール好きからはヨダレの出そうなラインナップで、業界の関係者
たちからも注目の場所となっていたそうです。

スタースキーに話を戻すと、フィーヴァーの他にも彼は「ハーレム・ワールド」と
「ザ・ルネッサンス」というクラブでもDJを行うようになり、「ハーレム~」での
縁から初のレコーディングを'81年にテイスター・レーベルから発表します。ポリスの
"Voices Inside My Head"を引用したそのシングル"Positive Life"は、プレス枚数が
少なかったためヒットには至りませんでしたが、現在はオールドスクール・ファンの
コレクターズ・アイテムになっています。

フィーヴァーのほうも'83年からはレコード・レーベルを設立し、スウィート・G、
ジゴレットにつづく第3弾としてリリースされたのが、スタースキーの2枚めの
シングルになる"You've Gotta Believe"です。プロデュースはスウィートGや
ジゴレットも手掛けていたカーティス・ブロウと、ブロウのマネージャーだった
ラッセル・シモンズ、そしてそのお仲間のラリー・スミス。

女性コーラスの"You've Gotta Believe"のリフレインから始まって、どっしりした
DMXのビートと太いシンセ・ベースに導かれてスタースキーのラップがスタート。
DJハリウッド直系の、語尾を上げるアクセントの強いスタイルです。サビでは
女性コーラスと絡んでスタースキーも唄ったり、シンフォニックなシンセが派手に
鳴る等、メロディアスでポップな曲です。

"Starski Live~"のほうは、DMXのドラムがヘヴィなビートを刻む中、スタースキーが
ラップと鼻歌を聴かせるライヴ仕立ての曲。おそらく彼の常套フレーズを適当に
ビートに乗せて喋ってもらっただけではないかと思うのですが、後のラン=DMCに
通ずるハードコアなスタイルがカッコイイです。2分半ほどの短い曲ですが、いま
かけるならこちらのほうがウケが良さそう。

Dr.ジキル&Mr.ハイドの時にも書きましたが、この当時のブロウのプロデュース作は
ポップな彩りを加えつつ、シンプルなエレクトロ・サウンドを展開していて、
エレクトロ好きのツボな曲が多いです。





L.A.Dream Team "Rockberry Jam/Funky Fresh" (Dream Team DTR 630) 1985

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L.A.ドリーム・ティームは名前どおりロサンゼルスで結成されたMC二人組。
メンバーはルディ・パーディー(Rudy Pardee)とスネイク・パピーこと
クリス・ウィルソンの二人です。ルディは'57年オハイオ州のクリーヴランドの
生まれですが、音楽界での成功を夢見てLAへとやって来ます。そこでLA育ちの
クリスと出会い、エレクトロとラップを合体させた音楽を演るデュオを
結成します。

彼らはそれと同時に自身のレーベル、ドリーム・ティーム・レコーズも
設立。レッキン・クルーの項でも登場したマコラ・レーベルに配給を
任せて、シングルをリリースしていきます。"Rockberry~"は、'85年に
リリースされた、彼らの2枚めのシングルです。プロデューサーとして
クレジットされているトレイシー・ケンドリックとコートニー・ブランチは、
どちらもLAのミュージック・トラック・スタジオを拠点に活動している人。

曲は、葬送行進曲をパロッたようなシンセのフレーズからスタートし、
準メンバーの女性シンガー、リサ"ミス・ロックベリー"ラヴが
"Ooh Rockberryx3,Jaam,Jaam,Jamx3"とセクシーに語った後、TR-808と
秒針のカウントのようなシンセ、ゆる目のシンセ・ベースが鳴る中、
スペイシーなストリングス・シンセがソロを取って進んでいきます。
二人の男性が掛け合いでラップしたかと思うと、サビでは再びシンセの
ソロが入る等、ラップ入りなんですがインストの比重高し。後半は
リサがアンクル・ジャムズ・アーミー、エジプシャン・ラヴァー、
ボビー・ジミー等のLAの人気ラッパーたちの名を順に挙げていき、
それに各々男性が"Hey,Rocks The House~"とシャウトして返す、
というLA礼賛スタイルで終了。

エレクトロとしては凡庸なアレンジ/音色で、パッとしない曲なのですが、
リサの語りがいつまでも耳に残り、それがタイトルになっているのも
わかる感じです。この曲のライヴの模様がYouTubeで見れるのですが、
そちらでもリサ(けっこう美人でした)のほうが目立っていました(笑)。
"Funky Fresh"を聴くと、彼らはラッパーとしてもなかなかの技量を
持っていることもわかるのですが...





ライヴ


Quadrant Six "Body Mechanic" (Atlantic 89902) 1982

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クアドラント・シックスはジョン・ロビーによるこのシングル一枚のみのプロジェクト。
ジョンはNYを拠点に活動していた白人のキーボード奏者/プロデューサーで、詳しい経歴は
わからないのですが、最初にレコーディングに関わった作品は、ディスコネットからリリース
されたコンピレイションに収録された"Vera Cava"になっています。ディスコネットは、
市販されていない、DJ用のリミックスや楽曲をリリースするためのレーベルなのですが、
"Vera Cava"は、おそらくジョン自身が多重録音して作ったものと思われるシンセ/打ち込み
中心のインストで、クラフトワークとヤン・ハマーの中間のような、ややロッキッシュな
テクノという感じの音でした。

どういった経緯で知り合ったのかは不明ですが、ジョンはその直後からアーサー・ベイカー
行動を共にするようになり、楽器の演奏が出来ないベイカーに代わって、彼のプロデュース作での
プログラミング/演奏を数多く手がけるようになります。「プラネット・ロック」を始めとした
バンバータとのシングルや、プラネット・パトロール、フリーズ、ニュー・オーダー等
「エレクトロ期」のベイカーの殆どの作品に関わっており、陰の立役者と言っていいでしょう。

いっぽうでジョンは単独での活動も行っています。ベイカーとの蜜月期だった'82~'83年では
C-バンクの"One More Shot"とこのクアドラント~の作品がそれですが、C-バンクでは女性
ヴォーカリストのジェニー・バートンをフロントに立ててのものだったので、クアドラントの
ほうがジョン個人のカラーが出ているように思えます。

TR-808が早めのビートを刻み、シンセが木琴のようなリフを繰り返し、シンセ・ベースは
デンデケデンデケ...とデジタル・シーケンス感を強調して鳴らされる中、ストリングスが
マカロニ・ウェスタン風のテーマを奏でてスタート。タイトルを連呼するヴォーカルは
老人のような不思議なロボ声です。サビでは元コモドアーズのケニー・シモンズが
コーラスを聞かせますが、どこかゲイっぽいというか、妙にキレイに力強い感じがします。
後半はエディットされたドラム・ブレイクやダブ処理されたキーボードも出てくるのですが、
もうひとつ盛り上がらないままフェイド・アウト。

使われている楽器の音色はたしかにベイカーと演っている時と同じで、ジョンのオハコである
ハンド・クラップやスネア連打等も出てくるのですが、曲がのっぺりとして一本調子なことと、
インパクトのあるヴォーカリストが居ないため、ほどほどの出来かなあという感じです。
やはり見せ場をわかっているベイカーみたいなブレーンと一緒のほうがいいですね。

因みに、このページの真ん中辺に、珍しいジョンご本人の写真が載っています。










Dr.Jeckyll & Mr.Hyde "Fast Life/A.M./P.M." (Profile PRO 7048) 1984

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Dr.ジキル(本名アンドレ・ハレル)&Mr.ハイド(本名アロンゾ・ブラウン)はハーレム出身の男性デュオ。
'80年からハーレム・ワールド・クルーの名義で活動しており、テイスター・レーベルから3枚の
シングルをリリースしています。アロンゾはソロでもロニー・ラヴの名義で活動しており、NIAレーベル
から発表したシングル"Young Ladies"はプロファイル・レーベルに権利を買われて再リリース。
同レーベルと縁の出来た二人はコンビを復活し、デュオ名もホラー風味に改めて再始動します。
スーツとネクタイ姿でステージに立つことがトレード・マークだった彼らの第一弾シングルは
"Genius Rap"。ダイナミック・フォースの項に登場したエリック・マシューがプロデュースした
この曲は、トム・トム・クラブの有名曲「ジニアス・オブ・ラヴ(悪魔のラヴ・ソング)」を初めて
ブレイクに使用した曲でした。その後プロファイルから2枚シングルをリリースした後、彼らが初めて
プロデュースをカーティス・ブロウに委ねて発表したのが今回の「ファスト・ライフ」です。

カーティスは'59年ハーレム生まれの生粋のオールド・スクーラー。最初にメジャー・レーベルと契約した
ラッパーとしても知られています。何れ本人の作品も当ブログで紹介したいと思うのですが、
全盛期の曲は意外とエレクトロ度が低い...彼の作品は'84年の"Ego Trip"のアルバムまでは全て
JB・ムーア&ロバート・フォード・Jr.のプロデュースなのですが、彼らのプロダクションは生演奏の
ドラム/ベース/ギターをキチンと携えたものが中心なので、エレクトロ的にはやや違和感があります。
その一方でブロウはプロデューサーとしても活動していて、そちらでは毎回ドラム・マシンやシンセ類を
使用した音で仕掛けてくるのは面白いところです。因みに、コ・プロデュースとクレジットされている
M2とはWBLSの有名DJ、ミスター・マジックの変名です。

音は、カチカチ音が耳に残るDMXのドラムと、よくうねるエレクトリック・ベース、ポップな
ストリングス・シンセに、オールド・スクール直系のアクセントの強いラップが絡むオーソドックスな
スタイル。サビで女性コーラスが出てくる等やや甘口な感もありますが、基本に忠実な音は聴いていて
気持ち良いです。"AM/PM"のほうは、ドラム・ビートのみのトラックに男性が掛け合いラップを
聴かせるややハードコアなスタイルで、ラン-DMC辺りに通ずる音になっています。

ブロウの音は、いい意味でポップで聴きやすいです。DJハリウッド~ラブバッグ・スタースキー~
カーティスという「ハーレムの音」の流れを感じます。そう言えばフィアレス・フォーもハーレム出身&
ブロウのプロデュース作アリでした。

ジキル&ハイドのほうは、この後アルバム"Champagne Of Rap"を発表して解散してしまうのですが、
アンドレはアップタウン・レーベルを設立して社長に就任、ガイやメアリー・J・ブライジを
大ヒットさせて、ビジネス面での大物になってしまいました。


Phase II "The Roxy" (Celluloid CEL 159) 1982

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フェイズ・IIは本名をロニー・ウッド(Lonny Wood)と言い、'70年代前半から活動している
ブロンクス出身のグラフィティ・ライターのパイオニア。詳しい経歴等は検索してほしい
のですが、グラフィティ独特の書体である「バブル・レター」や「ソフティーズ」と
言われるスタイルは彼の発明とされています。

画家としての活動をメインにしつつ、ヒップホップの音楽面での動きにも関わっていて、
'82年の夏にチェルシーの「ロキシー」というナイトクラブで行われた伝説的なヒップホップの
イヴェントに参加。彼はフライヤーのデザインと、演奏中にライヴでグラフィティを描いていく
パフォーマンスを行ったそうです。その時の関係者によるイギリスとフランスへのライヴ・ツアー
にも参加し、NY以外でも名声を高めていきます。映画「ワイルド・スタイル」の登場人物の
ひとり、フェイドは彼をモデルにして生まれたそうです。

そして、自身の録音作品も残しています。最初のレコーティングはマイクロノウツの項に
登場したバリー・マイケル・クーパーのビーチ・ボーイのメンバーとして。そして、
唯一の自己名義の作品が"The Roxy"です。

当時ヒップホップ関連の作品を多数リリースしていたマテリアルのプロデュースで、
フェイズはラップと作詞/作曲を担当。演奏はマテリアルの3人-ビル・ラズウェル、
マイケル・ベインホーン、マーティン・ビシと、ハービー・ハンコック"Rockit"
項にも登場したスクラッチDJのD.STが行っています。詞の内容は上にも述べた「ロキシー」
での'82年の夏について述べたもの。

DMXがミディアム・テンポのビートを刻み、手弾きのエレクトリック・ベースが低く
唸る中、ラヴィン・スプーンフルの「サマー・イン・ザ・シティ」を引用したメロディ
からフェイズが唄いだします。その後はラップと歌を交互に演りつつ、ヴォコーダーや
鐘のサンプリング音、DSTのスクラッチ等が絡んできて、坦々と曲が進んでいく感じです。
フェイズはソフトな声質で、多少ごまかし入ってはいますが、歌もラップもなかなかの
腕前です。


Dynamix II "Just Give The D.J. A Break" (Bass Station BSR 005) 1987

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ダイナミクス・IIは'86年にフロリダのウェスト・パーム・ビーチで結成された
白人デュオ。当時のメンバーはデイヴィッド・ノラーと、ロン・アロンゾの二人で、
グループ名は彼らが使用していたダイナミクスというミキシング・ボードから
命名されたそうです。

中心メンバーのデイヴィッドは、高校生の頃からクラブでのDJプレイを始め、
当時からレコードに加えてヴォコーダーやイーミュレーターを使用する等、
独創的な構成で注目を集めていました。高校卒業後は専門学校で音楽教育を
学んだ後、マイアミのベース・ステーション・レーベルと契約。同時に
ダイナミクスIIを結成して、初のリリースになるのが"Just Give~"です。
A-2にはラッパーのトゥー・タフ・ティーが参加したヴォーカル・ヴァージョンも
収録されていますが、メインはインストのダブ・ヴァージョンです。

男性の笑い声の後ヴォコーダーが曲のタイトルを唄い、更にTR-808がビートを
刻んでスタート。エフェクトをかけて重低音を強調した「ブオン、ズ~ン」という
バスドラがマイアミ・ベースの特異性を感じさせます。ブレイク部分で
"Say Kids What Time Is It?"とか"Please Stay Tuned"とかの声ネタが投げ込まれ、
サイレン音や「プラネット・ロック」、ウィスパーズの"And The Beat Goes On"等が
つぎつぎにスクラッチされて曲が進んでいきます。後半にはトランスフォーマー・
スクラッチが入ったり、ドラム・ビートのみのブレイク・パートもあったりと、
マイアミ・ベース物にしては派手な展開が面白く、60万枚を売る大ヒットになりました。

マイアミ・ベースと言えば素のTR-808のみのトラックに下ネタ中心のラップ、みたいな
イージーな作りのものが多いなか、この曲は音響的にも面白く、エレクトロ好きからも
高く評価されています。クラブの大型のスピーカーで大音量で聴くとトリップして
しまいそうです。





Tha Swami Scratch "The Swami Scratch" (On The Spot NRS 101) 1984

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ザ・スワミ・スクラッチはスワミことホアン・ギブソンと、ブラザーズ・
シュープリーム
の項で登場したDJアントロン(アンソニー・メイビン
/スクラッチマティック)のデュオ。この名義でのシングルはこの一枚だけ
ですが、この翌年には同じ組み合わせでTwo Freshという名義でシングルを
発表しています。

ホアンは'80年代初頭から自作のミックス・テープを手売りしていたようですが、
LAのレディオトロンというクラブでのDJバトルで準優勝して名を上げ、
その時の優勝者だったアントロンとはもともと友人だったこともあって、
この即席デュオを結成したようです。

プロデューサーのウィリアム・J・ウォーカーはオン・ザ・スポット・レーベルの
オーナー。この当時は新進のレーベルですが、'80年代半ばには女性
ダンス・ポップのステイシー・Qを大ヒットさせています。ゲスト参加の
MC・K-ロック・Gはブラザーズ・シュープリームのメンバーです。
要は当時のホアンの周辺に居た仲間同士でサラッと作ってしまった曲
なのでしょう。

オモチャみたいなペナペナな音色のドラム・マシーンと、こちらも激チープな
シンセがピュンピュン唸る中、ところどころで男性の笑い声が入ったり、
シュワシュワ言ってるだけのスクラッチが繰り返されます。ドラムのリズム・
パターンが少しずつ変化しているなと思うと、中盤でここだけしっかりした
音色のストリングス・シンセがブイーンと鳴り、その後は虫の声やスクラッチが
繰り返されて終わります。

これまで取り上げてきた曲の中でも飛びぬけてチープな音で、これはおそらく
ホアンが宅録したトラックに、アントロンがスクラッチをかぶせ、最後に
デイヴ・ワトキンスが中盤のシンセをスタジオでオーヴァーダブして出来上がった
ものではないかと思います。刻々と変化していくリズム・パターン等、殆ど
鼻歌レベルのものを適当に音にしただけのような感じもあるのですが、
一種のモンド・ミュージック的な面白さでつい最後まで聴いてしまいます。

A-2の"Scratch Ragious"やB面の"To Be #1"も、違う曲ではあるけれど
基本的な作りは全く同じのチープな音響です。でもなんだか憎めないん
だよなあ。


Chris"The Glove"Taylor,Dave Storrs,Karlos Z,Victor Flores "Itchiban Scratch" (Electrobeat EB 003) 1984

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クリス"ザ・グローヴ"テイラーはLA出身のDJ。もともとはディスコ用の機材レンタルの
仕事をしていたそうで、その頃仕事の際に必ずゴツい手袋をはめて作業をしていたため、
とあるディスコのマネージャーが彼に"ザ・グローヴ"というニックネームを付けたそう。
その後エジプシャン・ラヴァーと共にレディオトロンというクラブでDJとしての活動を
開始し、更にアイス-T、スーパー・A.J.との3人でレイディオ・クルーというグループを
結成します。'83年にクルーはTVのドキュメンタリー番組「Breaking & Entering」のために
サントラ盤を録音して初のレコーディングを経験、同年にはクリスがヴィクター・
フローレスと共にJDCレーベルより「Breakmixer」というミックス・レコードを2枚発表して、
ミックスDJとしての名声を高めていきます。

初のメジャー・レーベルでの仕事になったのが、映画「ブレイキン」のサントラに収録
された"Reckless('84年)"。デイヴ・ストアーズとの共作になるこのシングルもカッコイイ曲
なので何れ紹介の予定ですが、今回取り上げたのはその翌年にエレクトロビート・レーベル
から発表された曲です。レーベル面にはクリス、デイヴ・ストアーズ、カルロス・Z、
ヴィクター・フローレスの4人がクレジットされていますが、トラック制作はデイヴが、
スクラッチはクリスがメインで行っているとのこと。

タイトルやレーベル・デザイン(この一枚のみの特殊なデザイン!)からもわかるように
日本を意識した曲なのですが、ここで聴けるのは中国やカンフー映画の雰囲気も混じった
インチキ・オリエンタリズム。イントロやスクラッチで、日本人なら苦笑してしまうような
謎の言葉が(「ウシノコイビト」?とか)飛び交います。TR-808のビートにシンセ・ベース、
ちょっと東洋風なストリングス・シンセといった使用楽器はありきたりですが、
エフェクト類のかけ方に工夫があり、ヒネリが効いていて面白いです。後半にはドラが
鳴り響いたり、笑い声やうがいの音がスクラッチされたりでナンジャコレ状態のまま
終わります。

コスリに使われているのは楽曲ではなく殆どが「声ネタ」ですが、クリスのスクラッチの
腕前はじゅうぶんわかります。こういう、ユーモアを感じる曲はヘヴィな曲の合間に
流すとハマりそうです。


G.L.O.B.E. & Whiz Kid "Play That Beat Mr.D.J." (Tommy Boy TB 836) 1983

globewhizkid.jpg
G.L.O.B.E.は本名をジョン・ミラーと言い、ソウルソニック・
フォースでバンバータに次ぐポジションのMC。ソウル~での
レコーディングのほか、トゥー・シスターズやジェニー・バートンの
作曲/アレンジ等に参加するなど、スタッフとしての活動も行っています。

ウィズ・キッド(本名ハロルド・マクガイア)は'80年代前半から活動する
DJ兼プロデューサー。ジョン・ゾーン(!)やインペリアル・ブラザーズの
作品にも参加していて、スクラッチDJとしての腕を請われて録音に呼ばれる
ことが多いようです。

彼らはパーマネントなデュオとして活動していたわけではなく、このシングルのみ
でコラボしたもので、ソウル~が活動停止状態になったこの頃はソロや様々な
コラボでシングルを発表しています。

"Play That Beat~"は'83年に発表されたシングル。TR-808とシンセ・ベースを
中心にしたごくシンプルなトラックをバックに、GLOBEが「パンク、ニュー・ウェイヴ、
ソウル、ポップス、サルサ、ロックンロール、カリプソ、レゲエ、リズム&ブルース...
いかしたビートをオレのためにプレイしてくれ!」とラップするDJ賛歌。サビで
女性コーラスがタイトルを唄ったあと、コール・アンド・レスポンスのかたちで
ラップとスクラッチが交互に登場する部分がこの曲で一番の見せ場です。

ヒップホップのレコードでは珍しく、ジャケ裏に歌詞が印刷されているのですが、
ここでのDJとは、クラブではなく、主にラジオDJについて語っているのがNYらしくて
素敵です。この後のシングル"Celebrate!"でもそうなのですが、GLOBEの作風は
ポップで明るくメロディアス。バムが中心のときに比べると唄もの寄りだと感じます。

この曲は、トミー・ボーイ側がプロモーション手段として、この曲のリミックスを
公募するコンテストが実施されたのですが、その時優勝したのがダブル・ディー&
スタインスキの"Payoff Mix"。原曲に加えてファンキー・フォーやカルチャー・クラブの
曲、ハンフリー・ボガートの語り等さまざまなコラージュが加えられたこのミックスは、
現在ではブレイク・ミックスの古典としてオリジナルより有名な曲になってしまいました。






Aleem "Release Yourself" (Nia NI 1241) 1984

releaseyourself.jpg
アリームは双子の兄弟タハクァとトゥンドラ(Taharqa & Tunde-Ra Aleem)と、
リード・シンガーのリロイ・バージェスから成る3人組。アリーム兄弟は
'46年にハーレムで生まれ、'60年代半ばごろからセッション・ミュージシャンとして
活動を開始。'64年にはシアトルからNYに出てきたばかりのジミ・ヘンドリクスと
出会って意気投合し、彼の「クライ・オブ・ラヴ」のアルバムのレコーディングに
参加しています。ジミの死後はジャック・テイラーが所有していたロジャックや
テイスターといったレーベルで活動していたのですが、自身のレコード会社を望む二人は
'70年代末にNIAレーベルを設立、同時に自分たちのグループ、アリームを結成して、
リード・シンガーには旧知の仲だったリロイ・バージェスを誘ったのでした。

リロイ・バージェスも非常に長い経歴を持つ人で、10代の頃はブラック・アイヴォリーの
メンバーとして活動し、グループ解散後はパトリック・アダムスと共に
ディスコ/ガラージ系のプロデューサー/シンガーとして多数の作品を発表しています。
イナー・ライフやフリークでのシングルはガラージ・クラシックとしておなじみですし、
'80年代前半のログやユニヴァーサル・ロボット・バンドのシングルはブギーの
名曲として私も愛聴していました。

アリームとしての最初のシングルは'79年の"Hooked On Your Love"。この頃から
'82年の"Get Down Friday Nite"まではフィリー・ソウル/サルソウル辺りを
お手本にした、生演奏中心のディスコ・ミュージックを演っていたのですが、
打ち込み系の音作りに転換したのが'84年の"Release Yourself"です。

アップ・テンポの打ち込みドラム・ビート(TR-808とDMXを併用?)とタメの効いた
シンセ・ベース、緊張感を煽るホーン・シンセとマッチョな男性ヴォーカルが
カッコイイこの曲は、唄ものエレクトロの名作であり、フリースタイルの
古典ともされています。

マーリー・マールがミックスしたB面のダブは、サビの「自分を解放せよ!」という
フレーズがイントロから繰り返され、ドラム・ビートが強調されたハードコアな
ダンス・サウンド。こちらはラリー・レヴァンのお気に入りで、パラダイス・ガラージで
ヘヴィ・プレイされていたそうです。

NIAレーベルはM.マール関連のほか、キャプテン・ロック等エレクトロ/ヒップホップ関連でも
名曲を残しているので、近いうちに紹介したいと思います。






Uncle Jamms Army "Dial-A-Freak" (Freak Beat UJA 1001) 1984

dialafreak.jpg
アンクル・ジャムズ・アーミーはLAのロジャー・クレイトンを中心とした
DJ集団。エジプシャン・ラヴァーキッド・フロストの項でも既に触れましたが、
今回はロジャーを中心に書いてみたいと思います。

'58年生まれのロジャー・クレイトンは13歳からDJをはじめ、複数のクラブのDJを
掛け持ちする一方で、自身のレコード店を経営したり、レコードの卸業も営む等
ビジネス面でも成功していました。

'78年に、ロジャーは級友だったギド・マーティンと共に、DJグループ「ユニーク・
ドリーム・エンタテインメント」を設立。ライヴやクラブ・イヴェントを開催して
徐々に人気を高めていきます。グループは'83年に名前をP-ファンクに由来する
「アンクル・ジャムズ・アーミー」と改め、スタジアム級のライヴ会場でイヴェントを
行う人気グループに成長(全盛期には50人以上のDJが在籍していたらしい...)。
LAでは(ヒップホップ関連では)最大のライヴ興行主となり、ラン-DMCやLLクールJを
西海岸で初めて招聘したのも彼らでした。

同じころロジャーは自身のレーベル、フリーク・ビートを設立し、アンクル~で
彼と人気を二分していたエジプシャン・ラヴァーと共にレコード制作にも取り組みます。
レコーディング時の芸名をミスター・プリンズ(Mr.Prinze)と名乗っていた彼の
第一弾リリースが"Dial-A-Freak"です。

電話のプッシュ音からスタートし、「プラネット・ロック」そのまんまな感じの
TR-808のビートと緩いシンセ・ベースが鳴る中、プリンスを陰険にしたような
低音のラップがテレフォン・セックス中毒の男の話を語っていきます。スタート時から
聞こえていた女性の喘ぎ声がサビで大きくなり、彼女を攻め立てるようにシンセの
フレーズが炸裂して...みたいな繰り返しで曲が進んでいきます。実際の演奏/ヴォーカルの
殆どはおそらくエジプシャン・ラヴァーが一人で行っており、彼の実質的なデビュー曲と
言っていいでしょう。

B面の"Yes Yes, Yes"もクラフトワーク~バンバータ路線のエレクトロ・サウンドに
呪文のように単語を3回繰り返す詞が乗ったエロくてフリーキーな曲。こういう妖しい
雰囲気の曲は個人的には好きなのですが、こういうのが一番の人気だった当時のLAの
ヒップホップ・シーンってどんなところなのだろう...と夢想してしまいます。






Vericheri "Ultra-Sonic Breakdance" (Zakia ZK 131) 1983

vericheri.jpg
ヴェリチェリはザキア・レーベルから2枚のシングルを出していたNYのグループ。
正確なメンバーは不明ですが、プロデューサーとしてクレジットされている
バーナード・トーマスが中心となったスタジオ・オンリーの架空のグループと
思われます。共作者のロバート・ヒルはザキアのオーナーでもあったエンジニア。
アレンジャーのピーター・ブリーラヴはトロイズ(Troids)というグループでも
活動していた人です。上記三人はザキア関連の他の作品でもよく共演しているので、
当時スタジオでツルんでいた仲間同士ということなのでしょう。バーナードだけは
マーゴス・クールアウト・クルー(Margo's Kool Out Crew)の"Death Rap"や
Ikim&Bacardiの"Funk Rap"(何れも'80年作)等、オールド・スクール初期から
プロデューサーとして活動しており、先輩格で現場を仕切っていたものと
思われます。

「ウルトラ-ソニック~」は'83年にリリースされたデビュー・シングル。
DMXのドラムにスクラッチが絡んだ後、シンセ・ベースが4小節ソロを取って、
女性ヴォーカリストが"Are You Ready~"と唄い出します。続いてヴォコーダー・
ヴォーカルが曲名を連呼するように唄って、更にその2組のヴォーカルが掛け合いの
ように唄って盛り上げていき、再びスクラッチがソロを取り...という風に
エレクトロとしてはちょっと凝った展開が面白い。聴き終えて耳に残るのは
太いシンセ・ベースと、対照的にポップな女性ヴォーカルでした。

B面の"Cancer Sign Break-Boogie"は全く別の曲で、重めの男性ヴォーカルから
スタートし、打ち込みビートに手弾きのエレクトリック・ベースやパーカッション、
ワン・コードのシンセ等に女性ラッパーが絡む曲。BPMもやや早く、中盤にスネア連打の
ドラム・ブレイクも入る等、全体にテンション高めの曲です。エレクトロ好きなら
A面を、ストレートなヒップホップ好きならB面をどうぞ、という感じでしょうか。

彼らのセカンド・シングル"69 Cancer Sign"は上の"Cancer Sign~"の改作のような
曲で、ほんのちょっと楽器の抜き差しがある程度の内容なのでご注意下さい。



NJ 4 "How Many Girls You Got" (Star SR 2836) 1983

nj4.jpg
NJ4はこのシングルのみしかリリースしていない謎のグループ。名前からして
ニュー・ジャージーの4人組なのかなとも思うのですが、メンバー名すら
わかりません。レーベルのスター・レコードも2枚しかリリース歴が判明
しておらず、NY拠点の会社であることがわかるのみ。

参加している面子は、アレンジのブライアン&ザンが2枚のシングルを
発表しているブライアン&ウィリアムのアクアート(Aquart)兄弟。
ウィリアムの方は'80年代後半にZANの名義でニュー・ジャック・スウィング系の
ソロ・アルバムを出すことになる男性シンガーです。ミックス担当の
アート・ポルヘムスは紹介済みのCDIIIのプロデュースを手がけていた人。
彼のミックスがこの曲のクオリティを上げているのは間違いないです。
スペシャル・サンクスとしてラン-DMC、CDIII、マスター・ドンの
3組の名が挙げられていますが、どういった繋がりなのかは不明です。

曲は何かの動物の叫び声?のSEからスタートし、DMXが遅めのビートを
刻んで、シンセ・ベースがグニャーと唸る中、メンバー達がこれまで
付き合った女性たちについて語る、彼女自慢な曲。小節の終わりに
入るメタリックなハンド・クラップ音がアクセントになっています。
中盤にラッパー達が消え、クレジット無しのガールズ・トークが入った
後、今度は男性陣の会話と男性コーラスが入ってきてフェイド・アウト。
全体的にはファブ・ファイヴ・フレディの"Change The Beat"に似ている
感じです。

特に凝ったアレンジでも無いのですが、聴いた後は太いシンセ・ベースと
ハンド・クラップ音が忘れられなくなります。フレディ・フレッシュも
お気に入りの一曲に挙げていました。



プロフィール
クロい音楽全般が好きなのですが、 ここではエレクトロとオールド・スクールの アナログ盤に絞って紹介していきます。

KDMX

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